昭和59年3月11日 信徒総会



昭和59年3月11日 信徒総会

 今朝から先生方が私の部屋に打ち合わせに来てくれました。皆さんのお手元のこうたいパンフレット読んでもらった訳ございますが、本当に見事に合楽の信心をとは、合楽理念を又は合楽の全信奉者が向かわねばならない、やろうとなども適格に表現されてもうこれだけでええとそれだ私は思いました。これだけの事を思うたり分かったりしておるのは、合楽の御縁を頂いて御参拝になっておられる方の全部が、あの内容を分かっておられると思います。私はそう信じます。

 そして合楽の信心の間違いなさも、今日から段々はっきりして来ておられると思います。そこでここまでは分っておる、なるほど親先生が言われる金光教の信心が、前代未聞または開闢以来と言われるその内容を、合楽では年々その事に焦点を置いて、いわば金光大神の真の世界、金光大神の世界を広げて行っておるのは、今日の合楽であり又は御理念だと思うのです。私が先だってからちょうど二十日間また病院にとどめられまして、いよいよ治療を受けました。

 その二十日間の間に受けましたおかげと言うのは、もう金光大神の世界にこう言う世界があるだろうか。夢にも思わなかった世界が開けて来つつある事でございます。今度の廿日の御修行と言うのはこういう意味に於いての、一つの脱皮のための御修行であり、脱皮のための神様のお働きであったんだと言う風に、段々はっきり分からして頂く様になりました。先だって御本部で御用頂いたております、井上たもん先生が突然やってまいりまして、一週間前ぐらいでしょうか。

 金光様に親先生の事をお届けさせて頂きましたら、この度は大患ですといい、また苦しましたち、この度は大患ですと仰った。そして後に付け加えられたお言葉ははっきり分からなかったけれども、教祖金光大神が42歳の時のご大患と、私共は思よりますね。42歳の大患教祖金光大神の42歳の大患。それと同じ意味のものだと言う風に、金光様はお説き下さったんだそうですけれども、井上先生それが分からなかった。ただ大患のところだけを聞いてびっくりして、あのうまぁやってきた訳です。

 私はその話をたもん先生から聞かせて頂いておって、今迄何と言うか夢ごごちというか、はぁいつこれが覚めるだろうかと思われる様な、言うならば私の脱皮の状態がはぁあまりにも今まで克って感じた事が無かった世界ですから。もう来る日も来る日ももう何時この心の状態が、また元に戻ってしまうのじゃなかろうかと思うております。矢先にその話を聞かしてもらって、確かに脱皮のためのいわゆる一段と金光大神の世界を、深く見極める事のためのいわゆる大患であった。

 そりゃやぱり大患と言われるほどたい、だからよい廿日間でした。もうあん時などは、今夜な子供達を皆んな呼び集めてくれと。言おうかと思いましたが。神様がいやいらんと仰った。はぁまだいらんと死ぬとじゃないばいな思うたばってん。とにかくあのもう分からなくなって、便所に家内がこうやって支えて行ってくれたら、力が尽きて取り落とした。ほれでそこで尻もちを着いたっきり意識が亡くなって。身体下半身が全然感じなくなりそれから段々目が見えなくなり。暫く2時間ぐらい目が全く見えなく。

 今まで薄ぅすいですけれども、この目が見えなくなって、お母さん目がみえなくなったよ。おまえ傍に居ってくれ。今日は看護婦だけは呼んどいてくれ。というて家内に手握ってもろうたまま、そのままうとうとと休ませて頂いた。何時間か休み本当に休んだ時には目が覚めた時には、目が見えるし気分が非常に爽快です。まぁおかげ頂いたなぁと、新たにおかげを頂いた事に気づかせて頂き、その頃神様からいろいろと頂いておりました、御教えをあれやこれやとまぁつなぎ合わせて聞いてもらいますとね。

 ある時に今日は合楽の自慢話を言うて、はらから頂いた、何十年間おかげを頂いてきた、しかもそのおかげの実証をとなるものを、あれもこうであったこれもこういう神の御神意であったと言う事を聞かせてもろうて、本当に人にそれこそ吹聴したい様な、それこそけれども吹聴すると言う事は自慢話になる。けれどもやはりこれはおかげの実証だから皆んなに聞いてもらっておかなければならない。ここにこんなに細かい神様の御演出があったんだ、おかげを頂いておったんだと言う様な、日々でございました。

 翌日でした、合楽が今日までこんだけの成長のおかげを頂いてきたと言う事は、私共は私の信心でこれまで来たとは思えません。そうじゃいまの合楽の御比礼は、全部神への借金になっとるですね。こりゃ本当にこの御比礼をこのまま子供達に譲り。合楽にご縁を頂いておる人達が、相変わらずおかげが頂いていけれるものとばっかり思うておった。これは借金になっておるんだと。そこでそんならその借金の自覚を、まず子供達に自覚させたければならない。

 子供たち4人を全部呼び夜呼びまして、そしてその時頂いた神様からの事細かい事に至るまで、まぁいうなら遺言と言う事にもなりましょうか。実は合楽の御比礼はこうこうだと、親の借金は子供の借金。子供がこれを親から受けれた財産などと思わずに、こんだけの借金を残されたんだと言う事になったら、それを4人が心を合わせて借金払いの信心をさせて頂かんければならないぞ。そこで神様にその借金払いの中心に、芯になる要になるところの頂き方と言うものをお伺いさせて頂きましたら。

 謙虚と頂きました。普通謙虚な姿勢、謙虚な態度でと言った様な事を申しますね。まぁ言うなら実意丁寧とそう言う風にいいよったけど、結局やっぱり心から謙虚の心にならせて頂くと言う事が、芯になる。それには先ず自分自身が分からなければならない。自分自身をいいよ見極め、本当に神様のおかげを頂かなければ、と言う一途の思いをいよいよ深くしていかなければならない。その謙虚な心と言うのを内容を、どういう内容であるかと言うと、若先生が字引を引いてみた。

 そしたら結局、神様を信じ言うなら吾無力を分かり、神様を信ずるところからおのずと生れて来るのが、まぁ謙虚の謙虚な心だと言う意味の事がもっと詳しく出ておったと言う事を聞いて、はぁ神様はそこの所を教えて下さったんだな。ただうわっ面の信じ受け継いだでなくて。借金を一切受け継いでその借金払いのために、4人の子供達が力を合わして、いわゆる謙虚な心をいよいよ自分たちの信心の要ともして、今後の合楽の御比礼ともなる働きをしてくれる事を願いとして。

 その4人の子供達にいよいよ話を聞いてもらって、思いを変えて神様に向かう。思いを変えて新たな信心姿勢、構を作らして下さる。そう言う様なおかげを頂いておる時に私は、朝の4時になりますとベットの上で御祈念をしちます。苦しいから2回ぐらいでやめなきゃならなかってり、便所に立たなければならなかったり。あえぎあえぎのしての神様からね、そういう術ない御祈念をやりなさったちゃと。もしなら私の信心から祈る事を取り除いたら何が残るだろうか。

 まぁそれを頂いて天地はもう悲しゅうして悲しゅうして、より何処のない心のよりどころのない祈る事をやめよと。それでもやはり言うならばおかげを頂きたい、そしたらどう言う中ににあっても神がきっと守ってやる、死なせはせんと仰った。祈念をしなくてもそげな修行しなくても。そう言う成程神様が御守護下さってある、と言う事を実感せずにはおれない様な事が、いろいろな些細な事の中から分からして頂く様になりました。日頃なくても特別に修行しなくても、こう言うおかげが頂ける。

 どう言う事なんだろう。こう言う様な事になって来た神様と私とのいきさつというものは、私ぐらいなものにどうしてこういうおかげが頂けれる、世界が開けて来てであろうか、過去三十数年の私の信心生活の中には、一区切り一区切り何かがあるたんべんに、私が脱皮して来たように思う。何かのたんべんに私と金光大神の世界が広がって来たと思う。この度の20日の修行でもうこれは今まで想像もし得なかった、話に聞いた事もなかった世界が開けてきた。

 それというのは病院に10日目くらいから、それこそあのう出来変ってしまったかと思われるくらいに、私の心の中に不思議に心はが涌いてくる様になってきた。湧いて来るんです。それはね有り難いでもなけれ勿体無いでもない、もう嬉しゅうて嬉しゅうてという心、不思議になにかね本当に嬉しい事の様に嬉しいですよね。それこそ都都逸の文句じゃないですけれども、ともかくも世間の手前に窓だけ開けて、もいちど嬉しく入る蚊帳のうえきやもっこ。

 皆さんも体験があると思うです、とにかくそう言う嬉しさがです、それとは反対のお届けであっても、暑かっても寒かっても一日隔日に病院通をいする、言うなら6時間の遠く及ぶまぁいうなら生活、今日もまた結構な修行をさせて頂きますと言う間は、もう時間を感じずにはおられなかった。ただまぁ一時間ずりょうが、まぁ時間ずりょうがと言った様なもんで、ところが不思議なこの嬉しゅうて嬉しゅうてと言う心が、生れだしたらね、その治療を受けておる言う事が嬉しゅうてたまらん。

 不思議ですね嬉しいという心の中にゃ、今まで痛かった事が痛くなくなったり、まず第一時間を感じなかったり。と言う様なまぁ不思議な、まぁ道が開けております。皆さんこれはここに於いても有り難くなる稽古だと、こう言う様な事はまたくすりと頂きましたけれども、これを期せずして、私の心の中に突然起こった大変化でございます。そしてそれはいわゆる金光大神の奥の心には、なるほどこういう心の状態になれる世界があるんだとと言う事です。

 嬉しい世界、こう言う様なだんだんおかげを受けられるようになった、そもそもの神様と私との関わり合いちゅうのは、どういうところから始まって来たのであろうかと、ある時そんな事をと思いましたら、あの矢切の渡しと言う、流行歌がずぅと流れて来る。親の意見に親の思いに背いてまでも、恋に行きたい二人です。と言う様な文句がありますでしょ、その時ども私も思う事が、なるほど私こそ親の意見にそむいてまでもという信心であったと言う事。

 本当に親教会でも、大坪さんの信心を見習わにゃと皆んなに言われるほどしの、おかげを頂いておった私が、親先生の言う事をまるきり聞かなくなった。世界で一番大切だと言うておる両親の言う事にも、もうどんなに嘆かれても口説かれても、ちゃかしてしまうのです。さぁ御祈念御祈念、まぁひと辛抱だと言うて、まぁ御神前に出て御祈念さしていただいて。御理解を又頂くと両親納得してくれる、ほりゃ深刻でした。そりゃそうでしょう頼りにしとる一人息子が、全然当てにならんものですから。

 親の意見思い出も染めて、そしてそれこそ恋に生きたい私、いわゆる神様の例え世界で一番大切な親の言う事もね。保古にしてでも神様の仰せには背かれんという時代です。そんな神様のお言葉に服従しておった私の生活というものは、一向楽ではなかった。先だっても何の話からかでしたけれども、福岡の長浜町の時代に、冬に蒔き一本木炭一切れ買わずに過ごしましたからね。豊美が小学校の一年生、勝彦が五つ、まぁいっちょう二人は浜に出てもう薪を平ってくる。

 こげん大きなテボをさげて、なんかガラス工場のところの、石炭のこう処理場のようなところでガラを拾ってくる。本当にあのう食生活と言うたらもちろんしゃがいばかりです、私はしゃ粥を一食と頂く。お採と言うたら食料品店でもう売られなくなった、沢庵何かを貰って来た。少しばっかり作ってあったニラのよう出来た、そのニラをニラ汁にしたりニラの煮つけにしたり、子供達がこんなもん食べられんって一辺も言うた事がなかった。甘いね甘いねと言うて食べよったことを。

 あの時分の事をどげん思うのちゅったら、ひっとつも不自由と言った様な事は感じなかった。あの人たちのおもちゃと言うたら、土瓶の割れたり瓦のえらおきる石炭箱に一杯拾って来て。それがあのうおもちゃであった。ある時に私茂雄さんに福岡久留米間の有料のパス券を持ってましたから、そこは二日市のちょっと向こう手前か、あのうところまで電車が往復するのがありまして、今日お大坪さんは電車に乗してある。そしてデパートも見せてある。それでもお父さんはお金をいっちょも持っとらんけ。

 愛子をおくれにゃ連れて行かんよと言うて、あのう子供達をまぁ二人春日原、春日原から福岡の間を何回も往復してはぁ電車に乗ったと言うて喜んで、でそのまま岩田屋ずぅっと見て回る、いわゆる見て回るだけ。屋上に上がりますとあのおもちゃや、木馬やらがございます。勝彦が木馬に乗るっちいいます。それけん木馬に乗せてやったら、とうちゃんこりゃいっちょん動かんよ、10円がと入れなきゃ動かんのですから、動かんなら俺のろうちからはにつきゃんな、ま様な時代(くじょぶ)として。

 不自由を感じしなかった。まずいとかしるしいとかそう言うものを感じさせなかった。こんな生活ではもう私はやり切れませんと言う様な、家内のなつは決して言うた事はなかった。それがもういうならば有り難く出来てきた。今それをまぁあのう当時の思いその時分生活を知ってるのは、秋永委員長だけです。その時分毎日来てましたからね。こりゃぁまぁ掘っ立て小屋と言う掘っ立て小屋、四方からつんばりしてあった。ところが雨だけはどんどん風が吹いてもびくともしない。

 どんなに雨が降っても絶対漏らない。もう焼けトタンを何枚もこんなに厚くした。引揚者の方達が作った家をあのう求めて、5万円で土地と家とを買わしてもろうて。あのちょう安くしとると言う事でしたが。その時代を知っているのは秋永先生だけ。そこで大変困っておる人がありまして、もう明日から住む家がないと言う人を、有吉教会で会ってそれが自分達が泊るだから、私の部屋がるからおいでと言うたら、その日の内にその人達が移ってきました。

 八畳ともちょっといわん位の広い部屋に住んでおった私共は、そこをもう家族が6にんか7にんか居ましたから移って。私共親子4人は4帖半ぐらいな、まぁ畳も敷いてないそこだけはスレート瓦で一部屋、部屋ちゃ部屋、そこがその時はある方が沢山この、はくしんのお供えをした下さった。そのはくしでその時したばきを全ぇ部綺麗に貼りまして、神様をそこにお祀りして、ところがそこのうえにきの方は漏らんけれども、スレート瓦の方は漏るんです。

 でそこのおやじさんが僕が登って漏らんごとしてやろっちゅて、登ってからしてくれとるうちに踏み割ってしもうちから余計漏るごとなった。ほうれでもう雨が降るきにゃもうほんのお神様の前の半畳だけがもりませんから、そこにこう押し固まって休むっと言う事でした。その時分です。水づくし魚づくしだろうたが離れられぬがわしの心じゃと、そういう水づくしの生活をさせて頂いておる中にも、信心の喜びと言うものはそれを耐え忍ばせるというのじゃなくて、有り難く頂けれるというもの。

 まぁ生活がそこにあると言う事を今改めて思いました。あの時にゃしるしかったなぁ苦しかったなぁと言う事はない。先だってから末永先生がこちらに参りました時に、家の修行生の先生方があちらに出られて、やっぱりつらい事や苦しい事があったでしょうが、何が苦しかったですかちゅてその質問に対して、そうですなぁ無かったですよ。苦しかった事やらしるしかった事一回もなかったですよ。あの修行生の皆さんがおられて、修行生の皆さんがせまいとるところに出ておる。

 確かに信心の世界とはどう言う苦しい中にあってもあるのはおかげだけです。例えばその日暮らしのどういう粗末な暮らしであっても、それが約束されるです。それが勿体無いです。それが有り難いです。私は今日は皆さんに分かって頂きたいのは、分かっておられる事は皆さんそのパンフレットの中にあるのを読まれて、皆さんが充分合楽の信心は間違いはない、合楽の信心はこの様にいわゆる御理念による在り方、いわゆる金光大神の世界をいよいよ広げて行けれる。

 まぁ道を教えて下さるんだと言う事は、皆さんが分かっておられますけれども、分かっておるだけではない。それをねそれをね、あなた方一人一人のものにして頂きたいと言う事でございます。それは一家の内の一人二人の信心でも、なるほどおかげを頂いております。今そこで控えております時に、文雄先生と久富さんと二人話して居る、話を聞かして頂いて、ほんに神様のもうおかげの調子というものは、あんたの様な生き方で決まる、頂けるんだなぁっと。

 つまり言うならば久富さん達夫婦、なら息子が信心んがないわけじゃありません。やっぱりお父さんの信心けれども、ただ信心を頂いておると言うだけでそれえでいわれる、もうこの頃はもう作る野菜作る野菜が高価で、とにかく近所のもんが、今度久富さん何ば作りなさるのというて、その尋ねに来る。隣の人が言う久富さんかたは何か違うばい、何か違うばいと言うて一般の者は、あぁあの高値あれによういわれておる一丁五反作っておられるそうな、ほりゃもうお前やぁ三反もカンランばっかり作ってと言ったら。

 まぁ今年カンランが高値でそりゃ売れる。私は試みで作った野菜がまた高値で売れる、しかもそのタイミングの良さというものは、信心の無い子供達がやりょるごたるにゃ分かりませんから、本当におかげおかげと私が言うから、皆んなふうの悪かごたる風ですが。そのわからない嫁御が信心がないから分からない、それをまた働く事一丁六反の田んぼを二人で切り回してある。はぁなら理詰めのよかごと理詰めのよかこと、晩の八時まで日のある間は夫婦とも田んぼから帰らない。

 そして帰ったら今度は温室に入って電気のついておるところでまた明日の市場行きの準備のなんか。もう理詰めのよか事には驚きます。先だっても若い者たちばかりの組合を作っておる村の人達が、温泉に生きました。一日帰りで帰って来ておかげでちくいち帰って来て、まぁなんか旅行それこそ原鶴なら原鶴のなら自分がきとる(ていしょく)で申しまして、ほんにいえとてもそげなもんと、私んとこの嫁御は買う女子じゃございません。もうそりゃもう理詰めのよかこと理詰めのよかこと。

 もう女子が銭使い荒い嫁御どんもろうたら、親がそこのやりそなうでしょうけれども、私の方には息子の邦夫が尻を叩かれるくらいにその締まってます。そりゃもうほんとにもう買うてこんこつ、こんそんなこたぁもう考えもありません。もうたくようじゃもてとると思うて、もう嬉しい有り難く思うというていうのが買いなされなさいます。ははぁそういう頂き方あるんだなぁと思うて、ここの本当に家の嫁御がこりゃお土産のいっちょも買い道も知らん。

 本当にわがもう働くばかりというて悪口を言えば悪口も言えるけれども、それが有り難い。そしてその上神様のおかげと言わずにはおれない、素晴らしいタイミングが生まれて近所の人達が言う様に這う様なおかげを頂いておる。もうそういうおかげだけなら茂雄さんのごたる信心で頂けますね。内容のせんぎょうを軽蔑するだけにありませんけれども、ただ神様一途というか親先生一途と言うか、降ろうが照ろうがその間には、普通で言うならばもうこれで信心をやめてなかじゃろかと思う様な事もなん回かこうありました。

 信心しょってどうしてな事があったのと言う様な事もございました。そこをね無事茂雄さんの信心のまぁねばりと言うとでも言うでしょうか、なんか一途に思い込んでおられる事が、ちょっと人と違うですね。毎日いつも何かまぁそして只今申します様なおかげの世界が開けて来た。けどもこれではならお爺さん時代だけは有り難い有り難いだけれども。子に孫に伝わって行くと言う事、それなら子供孫たちても資金やら困った時とか何かの時にゃ、いっちょお願いしてくれんのっちからくるんですけれども。

 ならそれに付いて来ると言う程しの事ではございませんけれども。これはどうしても徳ともなり力ともなってそれをね、一家が勢を揃えた信心になって、金光大神の世界を広めて行く事を楽しみに喜びに。いまの合楽教会であったら皆んながその気になったら頂ける。そのパンフレットにあります内容の事やら、皆さんがもう充分分かっておられる、だから分かっておられるだけだはいかん、それが皆さんの一人一人の血に肉になって、いむの力ともなって、そしてそれが徳の光を子供にも残して行け。

 周辺にも広げて行けれる、はぁ何かが茂雄さんとこは何かがあると、なら近所の方達が目を見張るっておるところまでは、おかげを受けておれれるから、これが金光大神の信心の家庭であり世界である。こう言うおかげが受けられるんだと言うところまでにゃ、そこに今一歩力が欲しいところである。そこでです皆さんにね本当にかるくお願いをして、もう合楽にご縁を頂いた一人一人に、信心を好きになって貰いたいと言う事でございます。信心が好きになる。

 熱心にお参りをする何十年間もしょだいが続いた、それがやっぱりおかげを頂きたいからお参りする、と言うのでなくてそうせずには居られないと言う心。私が先だって久留米の御大祭の時に幹三郎が代参をしました。もう福岡の吉木先生からでたの説教を聞かせて頂いて。私は帰って来たら必ず何の話じゃったかと聞きます。この頃は三井教会の月次祭にも必ず栄四郎がお参りしますから、必ず先生のお話になった事、感じたところをときをしる何か控えて来る。そしてそれを聞かせてもらいます。

 幹三郎のお話でしたけれども、三代金光様のお若い時に宗教家をじんぽう緊急に皇居に参集された事があった。みんな集められた事、そして天皇陛下から有り難いお言葉をまぁ頂けたわけでございますが。金光様のお若い時にあの山高帽をかぶってねえ、燕尾服来てまぁおいでになっておられます。その時にある宗教が金光様へむかって、金光様あなたは世界真の平和世界総氏子身の上安全と言う事を祈られるそうですが。

 あなた一人がそれをお祈りになっても、まぁいうならばたかが知れた事じゃないですかと言う様な意味の事を言われた。そしたら金光様暫く御祈念があってね。はい祈られずにはおられませんからと仰られた。祈らなければならんからではない、祈られずにはおられなかった所に、金光様の御信心があったと思いますよ。私はその話を聞いてね結局そうせずにはおられないと言う心はね、私は今日の信心が好きにならなければ出来ません。

 始めから信心が好きというよりおかげに、まぁてんらくされて合楽合楽というておったらパット消えてしまう。おかげおかげだけでは消えます。お参りするたんびんに頂く御教えを、それが自分の血に肉になって行くと言う事を、楽しみに喜びにそれを実験させて頂く事に、またこよない信心生活の喜びが分かる様な信心をさせて頂きたい。昔はやった俗謡の中に、最初にはさほど好きとは思わねど、会う度毎の親切が身に沁みじみと沁み込んで、今ではこっちから命懸けという。

 信心でもそう始めから好きだ好きで飛び込んでくると言う人はありません。本当に真の信心とは真の信心とは、あちらこちらを探し求めたけれども、自分にぴんと来る様な宗教家に出会わないし宗教にもない。勉強に本も見てみた教えも頂いてみた。教団の偉い先生方の話と言ぁ皆んな聞いたけれども、どこにかはぁこれだと言うものが限りでは、伊万里の竹内先生のごとです。私しゃその時分に大体門外不出でしたけれども、必ず来る見えるたびんに三回か四回か私が居なかった。

 それでもまぁごしと言うか久保山先生の当時のお話を聞かれては、また参りますと言うて何回目かにおお参りになった時に、始めて竹内先生と出会わせて頂いた。あの時分に現代の金光教の行き方というものが、あまりにおかげを頂き過ぎて、きげんであった事件が、( ? )年になって、あのいうなら水田になってしもうとる。水田ちゅうが水の深いだからね、ここにどうしても湿抜きと言うですか、中を堀割ってなかにこうしだガラなんかをこう一杯詰めてね。

 田んぼつくりをやり直すとまた、新たに出来ると言うな構造でしたね、ここがとてもここにはそこまで来ておったけども。ここが合楽のお屋敷になると言う事は夢にも考えもなかった。三回も四回もこの道の向こうの神様は一生だと仰るのだけれども、さじきの方だけにしかその土地がなかった。しかもそれも出来そうで出来なくってしておるうちに、どうした事からかこの田んぼを4、5人の方の田んぼをでしたから、はぁしたらどうだろうかと、ここそうばってんや地盛が大変なこっちゃある。

 ちょうどその頃久留米の方にきとう小学校が山を崩して、その広場を作っておると言う話を聞いて、そこから土を貰う事にして、はぁさぁどれだけそれこそ莫大な泥がここに土運びの、まぁふやだんですけどもその運賃だけが当時の金で70万、ちょうど椛目で貯まっておった金額でした、ちょうど土地盛をしたらそのお金は無くなった。それから始まったんですよ。ここから始まったんですここは。

 そう言う事でまここにこう言う、いわゆるここの神様は石浦石浦と仰せられたが、やっぱり石浦の地であったなと、石浦と言う事は心の港と神様は当時仰っておりました。ここ辺には沢山のいわゆる真の信心と言うか、真の心を求めて集まってここに寄場になる、港の様なところだから石浦にとこにいけない。当時そんな御理解を頂いた事がございましたがね。それが今日いうなら合楽にあてになって、沢山のそれこそ出舟入舟夢にも思わなかった世界がこの様にして広がって来た。

 そう言うおかげの世界が同時に金光大神の世界が、私の心の中に広がって行く次第にやはりおかげを頂いて参いりましたが。ここでどうでも皆さんにその、なるほど始めから好きともどうでもないだろうけれども、お参りをするたんべんにお話を聞くたんべんに、それが血に肉になるためのこれは実験です。実験に実験を重ねて行くところから生れます実証です。それがね皆さんの力なんです。その力を受けて行けれる手立てに発願すると言うかそう言う思いを起こすと言うか。

 皆さん合楽の信心はわかっておられる、合楽の信心の内容も皆さん信心を文章に書けと言えばそこにまぁ見事な名文章が、あれは一っつも嘘でも誇張でもないでしょうが、確かに合楽の信心は見事に表現してございますです。そしてそれを皆さんが存分に頂いて、それを餓鬼に釣れるでしょうが、これはちとオーバーだとそげな事はと言う風には思われないでしょうが。だからそこまでは分かっておられるのですから、それが皆さんが力になる。だないとね。本当の合楽進化というものは現せれないと思います。

 いかに私がえらそうな事を言うておっても、私だけでは駄目です。その教えを頂いておる皆さんがそういう力を発揮出来る様になった時に、初めて合楽の真価が問われるときである。先だって大きな虎が小さい猫ぐらいなこう親子の虎を見せてもらいます。一見猫かの様に思うたらよく見たらやっぱり虎の子であった。合楽の場合はそばに来て見る話を聞いてみる。合楽に帰依してこられると合楽は絶対のもんだ、本当なものだ金光大神の世界をいよいよ深く広げて行っておられるのだと言う事が分かる。傍に来れば。

 ところがそれを外から見ておるとあれは猫だと言うておる人が沢ぁ山おります。そこです合楽では猫でない証拠に、横に竹を描くと言う句があります。合楽の場合にはあまりにも実証的なのです。はらいだけではありません。それを裏付けるたからが実証があります。先だってから頂いた合楽の自慢話の中は様は、もう合楽のおかげの実証であります。本当なものである証拠に竹を書かなければ分からない様に、そう言う実証があるのです。ただそう言う実証を皆さん見たり聞いたりしておられたから。

 その実証を皆さん一人一人が実証できると言う事になる時に、私はいよいよ虎が大きくなる年じゃないでしょうか。今はまぁだちょっと見には猫ぐらいにしか見えたないけれども。この猫は十、二十それこそこの昭和26百人一徳といわれる様に、百人の人がそう言う徳を身に付けて、ひとつの塊ともなるようなおかげを頂いた時に、私は今の合楽の御比礼が数十倍にも広く大きくなって行く事が、この頃から今合楽の学院生の中に一人は手紙をよこして居る中に、こんどまぁ取り合えず御比礼の頂いておられる教会に、修行に本部からやらせられます。

 これに御比礼を頂いとれるそれは何かと違う。やっぱり人が助かると言う所には何かがある。ところがねどこを見ても聞いてもです。あんだけの教えを頂いておると言う事は今まで合楽の御比礼の数十倍も御比礼が立っていいんだと。これだけの言うならば教えとこれだけの言うならば、御理念に元ずく一見ひしょの術を現して居りながら、今日の合楽の信奉者では不思議なくらいだと言う様な意味の事を手紙に言うてよこしてます。私はそれを聞いて同感だと私は思いました。

 本当に合楽はいわゆる最近真の信心真の信心と言われるが、その真の信心を本当に頂きたいならば、その手立てをこんなにも嬉しゅうに、楽しゅう出来れる手立てを説いておるところは克ってあっただろうか。これだけの教えをたった僅かばかりの人に聞いてもらうだけでは勿体無い。どうも不思議でたまらない、とその修行生が言っております通りね。これをやはり結局合楽がまだあれは猫だと。言う風に決めつけてかかっておる人すら沢山ございます。だから猫じゃない証拠にこれが普通はいわれる。

 それにはなら合楽のそう言う真髄を身に付けて、さらにしてそれが固まる比礼のおかげを頂いた時に、合楽の現在の御比礼の数十倍にもなる様な働きが起こって来るんだと思います。ここまで今日までのはこれで、いうならばパンフレットにあるその事は、皆さんが充分合点がいかれる合楽の信心とはそうだと、間違いがないそして今日お話し聞いて下さって、なるほど合楽にはこの様な奮しとるけれども、じゃっくりとはといわにゃおられない。ちゃんとお店には竹が書いてある。

 他いにも実証がある。神様もそういう細かいところにまで心を使うて、これを本物なら本物としてべになにそうようするようなおかげを頂いてくれよと望んでおられる。天地の親神様からご覧になったら、私の信心はまだ言うなら猫の様なものである。猫のような虎のようなものに、あのうそれをいよいよ偉大な虎にして行くと言う事は、私と同んなじ方向に向かって一歩一歩、金光大神の世界を身に着けて行けれる賀びに、周りの人達が出来なきゃならんと言う事でございます。

 どうぞ皆さん信心を好きになるところまで極めて下さい。それまでには様々な修行もありましょうけれども、その打ち込んでいる内に修行が修行と感じない、それが有り難いものになって行くところまで信心を極めて行って頂きたい。そしてそれこそ、それこそものの上手なれ信心は思いもかけないところへ展開して行く。金光大神の世界にはこう言う世界がある。みじんにも思わなかった世界がある。これは今度の私の廿日のてを生活で、だんだんはっきり一つある心の状態でございます。

 教主金光教祖様が使用人の大患を境に、言うならば脱皮の世界いわゆる金光大神の世界に、人間河手文治郎からねどれだけ金光大神の世界を広げて行かれる。八つのルートになったのはその使用人の大患であったように。今度の私の大患をはた今まで克って想像もしていなかった、金光大神の一断面と言うか外に世界をのぞかせて頂き、それこそ自分の都合の良い時だけお許しじゃなくて、ではない時でもこくばんと言う事に、もう十四五年も前に吉井の熊谷さんに、色紙に書いて差し上げた母をたのまんこれ一生。

 湧き出る愛の真清水汲みて飲まばや。湧き出る愛の真清水汲みて飲まばや。私の15年前のこの愛の真清水というのと、今日の愛の真清水とはもう雲泥程の違いがあると言う事です。もう日々いわゆる湧きがって来る、その嬉しさと言うかその心を抑えようもない様な心が、もと私の心の中にそれをこう15年前のいうなら思いとは。雲泥の差があるものでございます。一言が分かったと言う事はその分かった事が、十年後にはもう雲泥の差のある深さ広さに広がって行かなければいけないですね。教えと言うものは。

 であと一つ勿論有り難い勿体無いの世界から、本当にそう言う世界があるだろうか。ところがそう言う世界があると言う事を実証し、いよいよ金光大神の世界をいよいよ広く深く、もっともっとこれをきわめて進んでいきたい。皆さん矢張り一緒にねその道を歩いて下さる事のために、いよいよ御理念の実験実証は勿論ですが。それもおかげを頂かなければならんのに実験ではなくて、実験せずにはおられない心をね養う、それにはやはり好きになる信心に好きになる。

 私福岡の修行中の時分の事を、あぁいうまぁこれ以上の、以下の生活は無かろうと思われるような生活の中にでも、喜びがあった。苦になると言う事もなかった、そう言う世界をねまた味わう事になります。ですからそれと久富さんのお話を聞かれてでも、信心何十年の間に収まるものは難儀や問題ももう生き詰まりでも、もうあるのただけれでも実際いつの間にか何とはなしに、おかげの世界に出ておられる。そして信心の無い者をそれをやはり強くする。ところまで行っておられる。

 だからその信心が子にも孫にも先に伝わると言うところまでには、今一歩例えば茂雄さんで言うならばもう一歩力が欲しい。お徳が欲しい。お徳は絶対子に孫に残る。それにはもう一段と一つ信心の奥雅を、奥雅を目指す事の喜び( ? )の皆さん本当に私が今頂いておる嬉しい世界、これが本当にこういう心の状態というなもうあるかと、たまにはあるそれは本当にみんなと一緒みたいで、子供が明日は遠足というと、心が躍って嬉しくておられんごたる。

 そう言う時だけではなくて難儀の中に入っていく時でも、この嬉しみがしきの湧き出る愛の真清水として、湧いて来るようなおかげの世界がある事を、私はここね、22,3日4,5日になりましょうか。味わっております。私の最近のまぁ本当に今まで皆さんに聞いて頂いた事がなかった体験です。私ねですからこれがあと何時まで続くかは、いや続かせなければならない。そしてもっとおう世界がありますよね。を、私が目指して行きたいと思います。皆さん信心を好きになる手立てをひとつ講じてください。

   どうぞ。



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