昭和53年9月14日 公開講演会(於大阪サンケイホール)
金光教の教祖、生神金光大神様は、江戸時代の末期から、明治時代の大変革期に生きられた、生きた神を体現した素購しい世直し人であります。
大坪先生は、その教祖様の御教えの実証者たらんとして、御自身の長年にわたる信仰体験を基に、生きた神様と交流する信心を極め、神様のお恵みを水も浅らさず受け止める助かりの道を明らかにしつつ御活躍中でございます。
合楽教会と申しますのは、九州は福岡県久留米市にございます。その久留米の中心地から十二、三キロも離れた田んぼや畑に囲まれた所にございます。
十年程前広大な土地を得られ、荘厳なたたずまいの教会が建てられ、現在、教会には修行生やあるいは奉仕者が常に四、五十人もおられ、信徒の数も幾千人にも及び、熱心に信心を進めておられます。
生身を持つ人間がその気になれば、誰でも容易く有難く楽しく行じることが出来、しかも愉快になれる絶対の助かりの道がある。
それを合楽理念と称して、その生き方によって、生きながらに神の働きが出来る生神の光をはなつことが出来る。そこに神様も喜ばれ、自他共に助かって行く道が開けて来ると説いておられます。
現在、その信心の勢いは目ざましいものがあリ、その道は広く全国に伝えられようとし、遠くは南米にまで及んでおります。その根本には、大坪先生の求道一筋の信心と、生き生きとした神様との交流がいつも光っている訳でございます。皆さん、先生のその生きた信心に、今日は十分触れさせて頂こうではありませんか。それでは「天の心、地の心」と題しまして、大坪先生にお話を頂きます。大坪先生どうぞ。
序
一番確かなことは、私がおかげを受けているという事実でございます。又合楽教会が今日のゴヒレイを頂いておるという事実でございます。合楽に御神縁を頂いております信奉者がいよいよおかげを頂いておるという事実でございます。
又合楽教会にかかわり合いをもちますお教会、又は合楽教会以外で信心の稽古をしておられます御信者方、もうこれは間違いのない事実でございますから、その間違いのない事実を正直に赤裸々に皆さんに聞いて頂きたいと思いますので、皆さんもどうぞ確かな頂き止め方をして頂きたいと思います。
私の話を聞いて、もし感じて下さるなら、必ずおかげになります。私のお話を聞いて、わかって下さるなら、必ず信心が進みます。そういう話をさせて頂きます。
講題にはとてつもない大きい講題を掲げております。「天の心、地の心」というお話でございますが、これは天地の事でございますから、私共には計り知れない、私共には考えも及ばないものでございますけれども、人間が幸せになる、人間が幸福になれる、教祖様が教えられます、先の世までも持って行かれ子孫までも残していけるという程しのおかげなのです。そういうおかげをです、私共が頂き受けて、そしてそれを表わしていく。
私は今朝から、神様、あなたの願いが、この度大阪の青年教師達の思い立ちで今日でもう三日目になります。もういっぱいに詰ったスケジュールの中で御用にお使い回しを頂いて今日になりました。そういうお使い回しの中で、この事を神様にお届けさせて頂く都度に、私の心が踊るのではない、神様が心踊らしてそれを受けて下さっておるんだなと実感を致しております。
神様、あなたの願いがこのような形で開かれることになり、おかげを受けることになりました。合楽の宣伝でもなからなければ、いうならば金光教の宣伝でもない。もう宣伝という事には、やはり針小棒大的なものが必ずある。けれども私の話には、それこそ一分一厘間違いのない、私が受けて来た確かな信心とおかげと、そしてそれを私にかかわる人達が現わしておるという事実を聞いて頂くのでございます。
第一章 天の章
◎天地につながる大道
・日奈久教会
今日もこの会場に三日前から招待を受けて見えておられます、私の手続きじゃございませんけれども、熊本の日奈久教会の教会長先生、富永友記先生が見えておられます。
その方と私の出会い、それはもう十年前の話でございますけども、日奈久布教所をおかげ頂かれて六年いや七年近くの間、それこそ大変なところを通ってこられ、体の上にも「富永先生は亡くなんなさったげな」というような厳しいなかに、というて信者が助かることでもない。
もう夏ともなると広前いっぱいに西日があたって、それこそもう日本一小さい教会だと自分でも言っておられましたが、そういう難儀の中に、今迄そんな事ではなかったのに、急に大家さんが「教会を空けてくれ」と、それも年の瀬の押し詰った十二月に入ってからのことでございます。御夫婦でお参りになられた、そして、どう、ここのところを頂いていったらよいだろうかということで見えられました。
・難儀の実相
神様にその事をお届けさして頂きましたら、雪の生体(結晶)、幾何学模様に顕微鏡でのぞきますと、そういう状態で雪一片一片の形なんです、そういうおしらせを頂きました。
それで私は感じた。本当に大家さんがこの年の順も押しせまったというどうにも出来ない時に、家を空けてくれとか、出て行ってくれとか言われることは、それは大変冷たい仕打ちだと思うのですけれども、神様のところでは、神様のお心では、おかげを頂かしたいの一念がそういう形に表われておる。
「富永先生、如何にも冷たい大家のようにもあるんだけれども、これは神様のそれこそ手のこんだ、幾何学模様のような、微に入り細にわたっての神様のお働きの現われなんですよ。神様の神愛の現われなんですよ」と言ってお取次させて頂きました。
元気がでられた。「はあ、何という冷たい大家であろうか」と思っておられたのが、これが神様の御演出であり、神様の助けずにはおかん、聞かせずにはおかんという働きの現われであることを感じられ、それからお礼の信心がまあ、出来られたと仮定いたします。実際には出来られなかったかも知れません。
けどもこの神様はね、形だけでも出来たかのようにあると、もう出来たかのようにしておかげを下さる神様です。「これからこれ迄はちゃんと出来なければおかげはやらん」とおっしゃるのじゃない。
「はあそうだ」実感としてはまだ辛い思いがあるんだけれども、御理解を頂けば、御教えを頂けば、神様の神願であり神愛の現われであるというので「お母さんお礼を言うよりないよ」と夫婦の者が信心をはげまれた。
・感動の元旦祭
それから思いがけない方がお参りしてきた。その話を聞いて「先生、そんなら私が探しましょう」ということになった。そして私も一回お邪魔したことがありますけれども、日奈久というのは皆様もご承知のように、熊本の温泉町なんです。
その温泉町の繁華な所から、ちょっと一、二町登った実に閑静な一番いい場所であって、しかも小じんまりとした感じの、まるで教会の為に建てられたような家を探しだしたんです。
おかげを頂いて移られた。その翌年にお札に見えてから感動いっぱいで「おかげを頂いて布教に出さして貰うて初めて、元旦祭らしい元旦祭を仕えさして頂きました」と言うて、感激の涙をこぼしながらのお札のお届けでした。
・あれよあれよ
それからというものはね、毎日五名ないし六名の求信者があったということです。求信者、おかげを求めて集まって来る、信心を求めて集まって来る。今迄かつてない働きがこの日奈久教会の上に起こったんです。それこそあれよあれよというような感じなんですね。
おかげを受けられまして、本当に、一騎当千といったような感じの御信者さんが次から次とおかげを頂かれる。
丁度十年たちました訳なんでございますけれども、最近、先月お礼お届けに見えられましてから、今度建築の話が進んでおります。そこでお屋敷を、と言うておりましたら、おかげを頂いて四反余りの素晴しい場所に話がまとまりました。しかもそこの地名が「大坪町」というんですよと。もういよいよこれはおかげになると確信を持たれた。
先日参られた時に「そこに地上げをしなければならん」と言われていた。それが「地上げは私にさせて下さい」というような信者までが出来たというお届けでございました。
・薬は毒
もちろんその十年の間にはさまざまな事がありましたけれども、もうそれこそ一生懸命の信心によって、二回程は、いよいよ先生も難かしかろうかという所も通られたけれども、合楽では申します。薬は毒だと言う心になることだ。薬は毒なんです。もう絶対に毒なんです。
そこでね、願いとしては「どうぞ毒薬変じて薬になりますように」ど言うて願う。教祖様はそこのところをおっしゃいますね「祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ折れにするからおかげにならぬ」とおっしゃっておられます。これは、薬は間違いなしに毒です。
私は昨日ホテルで、備え付けの石鹸をちょっと間違って使わせて頂きましたら、顔がヒリヒリする。持って来とります石鹸とかえたからまた良くなった。石鹸でもそうなんです。小さい赤ちゃんが皮膚にあわないとそういうことが起こってまいりますでしょう。
私、こちらへ参ります前の日に熊本からお礼に出て来た方がありますがね、その方が嫁入り前に高い化粧品を買ってつけました。ところが、それがかぶれて、それこそふた目と見られぬような顔になった。化粧品会社としてもそれに大変責任を感じて、あらゆる治療をしたけれども良くならなかった。そこで治療をやめて合楽にお参りをさせて頂いて、私が下げたお神酒さんを頂いて、もう二ケ月も三ケ月もなるでしょうか。その為に一度は縁談も破談になった。
ところがおかげを頂いて、又きれいにならしてもらい、破談になった縁談も又、元に戻らして頂いて、結婚相手の方と二人でお礼参拝をして来たんですけども・・・・・・。
いうならば、だから化粧品は毒だと言うてもいいのです。だからクリーム一つおつけになるでも、どうぞ毒薬が変じて薬になりますように、と祈ってつけなければならんのです。合楽ではそう申します。薬は毒だ。そういう観念がいるんです。
そういう信心が段々出来てまいりますと、本当に毒な薬は飲まんでもよいようにおかげを頂きます。もう合楽で御神縁を頂いて十年も信心するなら、まず第一に薬箱がなくなります。
・手続についての迷信
まあ話が横道にそれましだ。
いうならば確かな事、例えば富永先生は手続きが違う。あちらは日田の出社の又出社であられますからね。だから道を間違えたということではないことがわかります。おかげを頂いて、もちろん親教会にも今まで出来なかった御用ができられておる。おかげで信者は助かる、教会は発展の一途をたどっておる。
「道という言葉に迷うことなかれ、道は教えを踏む他はなし」お道の信心をさせて頂いたら、教祖金光大神様の御教えをね、そのままにいよいよ行じていく以外にはないのです。
そこから親子の道も必ずハッキリしてまいります。わざわざ夫婦道と言わんでも、夫婦の道は必ずついてまいります。商売の道もやはりついてくるんです。何というても「道は教えを踏む他はなし」その教えには、天地につながる大道が開けてくるのです。
◎天地との交流
・手立て
先日のお道の新聞に、ある青年教師の方が書いておられます。
金光教では和賃心を基軸にして、又は天地との交流、いうならば天地との調和、天地自然との調和ということを言われる。けれども、どういう信心をさせて頂いたら天地と調和するか、どういう信心をさせて頂いたら和賀心になれるかということを教えてくれる入がいない。ただ、天地との調和、ただ、和賀心を基軸にして、天地書附を基軸にしてというだけだ。
そこで私が皆さんに今日聞いて頂きたい、「天の心、地の心」という事です。 私共でも以前は思うておりました。とても「天の心、地の心」いわゆる「神の心を心とする」という事などは思いもつきませんでした。しかし教祖様はハッキリと「天地日月の心になる事肝要なり」と教えておられます。天地日月の心になる事肝要なり。
私もいろいろと、もう生まれながらにしてお道の信心を頂いておりますから、おかげを受けられる宗教だ、本当にあらたかなおかげが受けられるということは、もう子供の時からいやという程聞かされてまいりました。
・厄年の迷信
私は、先程御紹介になっておりましたように、久留米の田舎の方で生まれました。大正三年の四月一日生まれでございます。両親が結婚をいたしましたのが、父が二十五歳の厄年、私の方では男の二十五歳の厄年の人とは道づれにもなるなという程しのものであります。母は女の大厄、十九歳までおかげを頂いております。いうならば大厄同志が結婚をした。
それではなかろうか、妊娠のおかげを頂くけど次々と流産、その時に初めて善導寺の三井教会の親先生にお取次を頂いて、三人目に私がおかげを頂いた。まあそれこそ家族中の喜びはたいしたことであったらしい。三人目にとり止めた。それがどう間違うたか、「椛目(生家)には三つ子ができたげな」というて、噂になった。とうとう当時、今の西日本新聞の前身であります福岡日日新聞が記事をとりに来た。それで、もうばば(祖母)といろいろと言い争いがあって「嘘と思うなら寝とるところを見て来なさい」と言うてね、そんなエピソードがございます。もう生れながらにして問題をはらんでいる感じがします。
・祖母の祈り
五歳の時にはもう疫痢を患って助からん。親先生も「今度はどういう事があっても驚いてはならんよ」と言うて暗にその死ぬことをほのめかされた。それでもまあ一生懸命にお参りをさせて頂きましておかげを頂いた。
親先生が「大坪さん、今度のおかげはとにかくあなた達一家の信心のおかげのたまものだよ。私がお願いに出た時、始め神様にお願いさせてもらいよったら、蘇鉄が皆赤く枯れていく所を頂いた。これはもう難しいばいと思いよったら、今神様にお願いをさせて頂いたら、その枯れた蘇鉄から新芽を吹くところを頂いた。さあ元気を出して信心せよ」と言われておかげを頂いた。
隣に熱心な叔母がおりましたが、もう絶対食物を頂かしてはならぬと言っていましたのでございますけれども、御神飯を一つ、翌日は二つというように、お粥のようにして食べさせた。叔母が御神飯を持って来ると、五つの私がこうして合掌して叔母を拝んでおったと申しております、ね。
これは後先になりましたけども、私は生れて六十日目に大火傷をいたしております。この顔の傷がそうなんです。もう本当に助からない所を何回も何回も神様のおかげで助けて頂いて、ばばがよく申しておりました。「この人はもう金光様の御恩どん忘れよると罰かぶる」、もうそれをいやという程聞いてきた。
ばばが御祈念をさせて頂きますと、私の名をはじめ兄弟三人の名を言うて「大坪総一郎が、神様、あなたのお役に立ちますように」と言うて、声を出して願っているのを横に行ってチョコチョコ拝んでいっしょにおるわけなんです。それをね、いつもじっと聞いておる訳なんです。ですから、本当にお役に立つ人間にならなければ、ばばに対しても相すまんといったようなものが、何とはなしに育って来たように思います。
・真の信心のめざめ
私が丁度十一歳の時だったと、換算してみるとそうなるんです。善導寺の教会で、今の少年少女会、子供会と申しておりました。その子供会に出ておりましたら、丁度学院から帰られたばかりの親先生と、現在総代をしておられます、今はもう七十何歳のおじいさんになっておられます、岸新郎という学校の先生です。その二人が一生懸命信心の話をしておられる。私がその前で、手洗鉢がございますが、そこの所に何げなしに立っていましたら、二人のお話が聞こえてくるんです。
「親先生、もう沢山なこたいりません、一人でよいから真の信者をつくって下さい」。それを聞いた途端にですね、私は電気に打たれたような感じがしました。そしてね、その本当の信者、真の信者に私がなろうと思ったんです。これはもう実感です。
途端にね、感動が湧いて来た。もう涙があまりこぼれてくるからおかしくて、横にあったみかん畑の中に入って泣いたことを、私は覚えておりますけども・・・・・・。
私共が本気でおかげ頂こうではなくて、本気で真の信心を頂こうと、本気で真の信心がわかりたいと思うたら、その思いはそのまま天地に交うことがわかります。今にして思うと、それは私の感動ではなく天地の感動であったと思うんです。だから本気で思わなければいけんです。
・世界の名教
段々長ずるにしたがって、まあいろんな横着時代がありました。
金光様よりかまちっとよい宗教はないだろうかと、まあかわる腹はないけど、いろんな宗教をあさって、いろんな宗教書を読まして頂いた時代がありましたけれども、結局は金光教が一番だなというような感じでございました。ほんとにようも親がこういう信心を残しておいてくれた、ようもこういうおかげを頂いて、私が今日こうしておかげを頂いておる。そして沢山の人が助かっておる、しかもね、そのおかげはどこまで広がってゆくかわからない程しの感じが今、合楽教会にはございます。
◎天地が自由になる
・奇跡のインターハイ
先日、久留米の近見敏之という市長さんが参ってこられました。
数年前から大変熱心に夫婦で参って来ます。その参られるようになった動機は、久留米に皇太子を迎えてインターハイを開催する時のお天気の願いからでした。もう毎日毎日おしめり続きでした。それを、その近所におります井上という方が、市長さんに電話をかけた。
こうして合楽には天地が自由になるという神様がございますので、是非お願いに行って下さい。もうさっそく市長さん夫婦と取り巻きの関係の方達が六、七名で合楽に参ってみえました。
皇太子が見えますその数時間だけでもよいから、お天気が頂けるものなら・・・・・・、と言いますので、私はね、二、三時間と言わずにインターハイが終ったら久留米祭りが一週間続くのです。だから折角ならばその久留米祭りが終わる迄という風にお願いをなさったらどうですか、と申しましたら、そんな事が出来るのでしょうか、と言われる。
それは天地が自由になる神様ですから、お願いしてみないことにはわかりませんけれども、お願いを致しておきます、と言うて応接間で話をしておる間に、耳納山にかかっておった雨雲がずうっと上がっていったんです。市長さんが喜ばれますこと・・・・・・。
ああ、あらたかなことである、という訳で、おかげで翌日からお天気が続くのです。一週間。しかもその周辺は雨が降るけれども、そこだけは降らんというようなおかげを頂きました。
以来というものは、もう市政の上におきましても、又は近見氏御自身の家庭内のこと迄、お届けをなさっておかげを頂かれる。
・地球上に死相が現われている
先日も、今度中国に旅行させて貰う御招待があった。「久留米から三十名、市長を団長として参りますが、どういう心がけで行かせて貰ったらよいでしようか」
丁度去年の一番寒い時分にヨーロッパ旅行をされました。その時にもお届けに見えましたから、私が、あちらへ行ってひとつ「寒天危地」を見て来なさい。その「寒天危地」というのは、寒い天、危い地。
その時分に私は、もう地球上に死相が表われたようなお知らせを頂いておった。だからここに本当に強烈なカンフル注射がいる。
・寒天危地・歓天喜地
その「寒天危地」を「歓天喜地」にするのは金光教の信心以外にはない。歓天喜地にするということは、歓びの天、喜びの地という。寒天危地を歓天喜地!
あちらから帰って見えられましてから、もうまさしく親先生、あなたが言われるようにあちらは寒天危地でした。もうへドの出るような思いをして帰りました。もう取り分けフランスあたりを旅行する時には、もういよいよもって日本の、退廃時代と言われる、幕末の頃ですかね、弁天小僧やらああいう輩がうろうろしておる時代です。公園で写真機を肩にかけておられたら、「ああお前のその写真機はいいなあ」というて、ちょっと見せて呉れというので借してやったら、それを持ったまま逃げて行った。
追いかけようと思ったら他の人が「ああいかんいかん、どんな事が起こるやらわからんからその写真機はあきらめろ」と言うたというような、もう本当にどうにも仕様のないような嫌な感じ、特に宗教者同士の醜い争いがあっているような様子を、見たり聞いたりしてまいりました。
もうまさしく寒天危地。久留米に帰らして頂いたら、それこそ歓びの天、喜びの地を感じました。緑と水にかこまれたその久留米に、いよいよ歓天喜地の、その歓びの天、喜びの地にしてゆく為には、いよいよもって合楽理念をもってする他はない。合楽の御信心を精神として、これに和の心を頂かなければと言うてのお届けでした。
・我、無力
今度の中国旅行にまいります時にも、私がね「中国との提携が出来た。中国と日本との同盟が出来た。けれどもそれはお互いが利用し合う為の同盟である。だから近見先生、横に手をつないだだけではいけませんよ」と言うて、私は神様からおしらせを頂きました事を話させて頂いた。
お道の信心をさせて頂いてぎりぎり何がわかるかというと、神様のおかげを頂かなければ立ち行かんということなんです。もうここ一寸動くにしても、神様のおかげを頂かなければ出来ないのです。「なすといえなしうる条件恩恵のなくばなし得ず何一つとして」と、現教主様が教えておられますように、その成すというても、成し得る所の条件が揃わなければ出来ることじゃない。ぎりぎりのところ教祖の御教えにありますように、障子一重がままならぬ人の身であることがわかるということである。金光様の御信心を段々段々進めてまいりますと、いよいよ我、無力であるということがわかってまいります。本当に障子一重がままならぬ人の身だということがわかってまいります。いうなら神様の前に無条件降伏が出来る事になるのです。
・世界真の平和
神様の前に無条件降伏が出来た時、はじめてこの手で握りあった時、こういう人達で握りあった時に、いうならせ界真の平和ということになるのです、ね。神様のおかげを頂かねば障子一重がままならないという、神様の前に無条件で降伏をした姿の人達がね、手を握り合った時に初めて世界平和となるのです。
世界真の平和、そして世界総氏子の身上安全。皆さん、誰もやはりお祈りになっていると思いますけれども、この祈りが本当に実感として願えるという事です。
・大きな祈り
昨日でしたか、青年教師の人達の色んな質疑応答がでましたがね、どうしてこういう問題が次々と起こって来るだろう、こういう悩みがと。
けども私、聞かせて頂きますと一つも問題が問題でない。そんな難儀でもない。これはね、もっと祈りを大きく持つ以外にない。大きな願いを持つことなんです。大きなおかげを頂かなならん、為には大きな願いを持たなければならない。大きな願いが真剣に出来てくるようになると、もうこの位な事は当然、この位な事はあたり前、という様に段々頂けてくる様になります。いうならば、天の心であり地の心である。
◎天の心とは地の心とは
・弟の戦死
いわば余りに限られた時間ですから、言い損うといけませんから先に聞いてもらいます。
「天の心とは、地の心とは」これは私が長年の信心をさせて頂いて、いよいよもって難儀を感じた時、又は神様にそれこそ一種の反発を感じた時「どうして神様このような事が、これだけの信心をさして頂いて、私の二人しかおらん男兄弟の中の一人であります弟が戦死した。その戦死も七月三十日の日でした。もう十五日何とかなりませんでしたか」と言いたいところなんです。
例えばそういう悲しい思いをする時にです、それをそのままにしておってはいけない。そういう時に、いよいよもって神様のお心はどこにあるのか、その心がわかるならばです、私の胸も少しはスッキリとするかもしれません。
丁度そういうある日でした。親先生が月参りをなさるのに、今日から月参りをするから、参らんかと言われた。すぐ参りましようと言うて、ついて参った。もうその時分の汽車はもう大変な、それこそ窓から乗るような時代ですから。
着きますと汽車の中から沢山なリュックをかついで復員の軍人さん達がぞろぞろと降りてまいります。もう各駅からでした。そういう中に、もう戦死をしているというはずの弟がです、ひよっとすりゃ、あの中に混じっておるかもしれんというような気が起こってくるのです。これはもうどこででもでした。そして、それこそ空しい思い、悲しい思いをさせて頂いたんですけど・・・・・・。
私はそのお参りに、いうならば賭けた。神様に一遍でよいから、神様のおしらせというものがもしあるならば「お前のところの弟はこうこう、こういう訳で戦死をしなければならなかったんだよ」とわからせて頂いたら、私の胸もスウツとするだろう、そう思うた。
・神のみやげ
そこで、親先生は宿でお泊まりになる。私は奥城に出らせて頂いて、一晩中、それこそ一心不乱に御祈念させてもらいました。もう朝の御祈念が始まるという時間まで座り抜きましたけれども、それこそおしらせのおの字も頂きませんでした。それこそすごすごと控えに帰った。
帰らせて頂く時に、親先生が後ろから、私は前に親先生のカバンを持って久留米の控所から降りて来ておりましたら、親先生が「大坪さん、何か今度おみやげができたか」と言われた時に、「はい、できました」と。
私、今から考えて不思議で不思議でたまらんのです。そんな事どうして言うただろう。おみやげ一つ買った訳でもないし、神様からこういうおしらせを頂いたという訳でもないのに、どうして言うたたろうかと思うんですけども「はい、できました」と言うた途端でした。
これはもう理屈じゃないです。もう名状しがたいというか、それこそ千万斤の重みといったものが心に「ドーン」と入って来た感じがしました。
・願い迷いはわかるまで貫け
もう途端にです、有り難うして涙がこぼれる。金光駅に着かせて頂いたら、丁度京都行きの鈍行が着いた所であった。中から復員の軍人がぞろぞろ降りてみえた。行きがけにはね、この中にもしや自分の弟がと思うような心で胸がさわいだんだけれども、もうそういうものがさらさらない。もうただ、一人一人に頭を下げて御苦労さんでしたと言うてまわりたいような心があるんです。もう自分はどうなっているのだろうかと。
汽車に乗ったら、すぐに席があった。もうすぐにお年寄りの方に席をかわってあげる。もう席をかわってあげるということが有り難かった。車窓から見るところの稲がこの位伸びておった。その稲穂を車窓から眺めたら、もう涙がこぼれた。私、気違いになってゆくんじゃないだろうかと思う程しに、とに角有り難くなった。
だから、もう押す所迄押して行かなければいけないということがわかります。
・表行全廃
まあ私の難儀時代、苦行時代というものはです、もうそれこそ目も当てられない。あれ程信心して、どうしてあんな事が起こるだろうかといったようなことが続いた。そこでおかげを頂きたい一心で、小倉とか福岡の初代、又は久留米の初代、又私の手続きの初代がなさったという修行を、もう本当に一生懸命させて頂いた。けれどもある意味ではおかげを受けるけども、こちらの願いはビッチリおかげにならなかった。そこで私は考えだした。
これは一つ自分の上に起きてくる様々な難儀とか問題もあろうけれども、これからはそれに不平を言わず不足を言わず、それをだまって受けることを修行としようというように、心がかわってまいりました。
・成り行きを大切に
腹を決めますと、不思議です。出来ます。もうその時分には段々と人も助かっていましたから。お金をもらいに来る人もある。もう棒にも箸にもかからんような病人を連れてくる人もある。時には十何人という病人がお広間でうようよしていました。
それでもね、それを御用させてもらうということがひとつも苦にならない。しかもあれが家族中で出来たということは、やはり、こういう修行させてもらうと決めたらね、神様がおかげ下さるんです。
四年半続きました。その四年半の、いうなら丁度五年の記念祭を仕えさしてもらう半年前でございます。
今まではね、そういう修行をして来たけれども、これからは、例えばホウレン草のおしらせを頂いて、今までは赤い葉がついておってもヒゲがついておっても、いわば少し位泥がついておっても、そのまま何でもかんでも頂いた。
けどもそれは余りもの信心だから、これからはです、滋養になる所、美味しい所だけ、もういけない所は摘み切って頂くようにというおしらせを頂いて、以来払の方では病人を預かってくれとか金を貸してくれとか、金をあげるといったようなことはしないようになりました。
・真の信心
そしてその時初めてわからして頂いたことは、これが真の信心であった、という事でございます。成り行きを大事にする、成り行きを尊ぶということは、その頃から言いだした言葉でございます。
なぜ成り行きを大事にしなければならないか、又尊ばなければならないか。それは天地金乃神様が、私に下さる所の修行なのだ。いうならば神様の働きなのだ、如何に麗々しく神だなに神様をお祭りして、神様を尊んでも、神様の働きそのものを粗末にしては、神様を粗末にしておると同じだということがわかってきた。
さあそれから成り行きを尊ぶ、成り行きを大切にさせて頂くということがね、真の信心だと。そういう信心に本気で取り組む人達が次々とこれが真のおかげであろうかというおかげを頂いてまいって来ました。いうならば天の心、地の心が、少しわかりだしてきたわけなんです。
・天の心 地の心
先程申しました、その言い損うといけんから、「天の心とは地の心とは」という事を申し上げようと、こう申しましたがです。
天の心とは与えて与えてやまない、しかも無条件、麗しい心だということでございます。ね、無条件なんだ。しかも与えて与えてやまない心が天の心なんです。
地の心とは、それこそ受けて受けて受け抜く心なんです。それを合楽ではだまって治めるという風に申します。もうこのだまって治めるという事の素晴しいことは、皆さん体験なさると、もうそれこそ、願って願い通りのおかげを受けるという事は大したことじゃない。願っても願っても右と願えば左となり、左と願えば右となる、といったような時こそ大事にしなければならない。
それは天地の親神様がままになっておられる時であり、天地の親神様の願いが成就しておる時なんです。だから、そこを大事にしていきますと、それこそ夢にも思わなかった、というようなおかげが頂けてくるようになってくるのです。
・確かな道 確かなおかげ
今合楽で現われておるおかげは、それこそ夢にも思わなかったようなおかげです。
しかも私のような人間、頭は悪いし、お話は出来んし、こういって今お話をしているのはね、神様のお話だから出来ているのです。もう私はね、社交辞令的なことがもう全然出来ません。今度の会合でも一番最後に私があいさつをしなければならん所があったから、もうそれだけが心配でした。神様のお話をすることは有り難いけれども、というように実際お話も出来ませんけれども、まあ私位な者でもこのようなおかげを頂いているのですから・・・・・・・・。
私が歩かせて頂いた確かな道。その確かな道である証拠に、確かなおかげが現われておる。これは合楽教会だけではない、合楽の信奉者だけではない、かかわりあいのある教会の皆さんが、かかわりを持つ御信者がおかげを受けておる。
◎天地のリズム
・開闢以来の教え
私の所から一年前に南米布教ということを頂いて、末永建郎先生がブラジルのビリグイという小さな田舎町に布教さして頂きました。
ところが、僅か半年余りの間に、毎日百名からのお参りがあるようになった。しかも白人、黒人、現地人、それに日本人、それこそ月次祭でも仕える時は、かけだしをしなければならない、小さいお広前ですから。それこそ世界人種の品評会のごたるというて、手紙が来ておりました。それこそ前代未聞である。
昨日までの会場でございました大阪教会の先代は、金光教の信心を「前代未聞、開闢以来」と言うておられます。私もその通りのことを実感いたします。
ですから、お互いはそういう素晴らしい信心に御縁を頂いている。もしも信心に御縁を頂いていない人はです、一遍あんばいみに教会に参ってみられるがよい。そして、おかげが頂ける事実をわからして頂いて、良い信心を身につけられるがよい。
・前代未聞の南米布教
丁度私がこちらへ参ります十日程前に手紙がまいりました。ビリグイ教会で一、二ヶ月信心の稽古をさせて頂いて、もうあらゆるいろんな宗派を研究した方だそうですけども・・・・・・。
私が金光大神の教えを元にしておかげを頂いてきたことを、こういう信心をさしてもらえば信心が頂ける、これは絶対の助かりの理念だというて、合楽理念を発表しましてからの南米布教でございました。
末永先生が、まあいうならば、別におしらせ一つ頂くわけじゃありません。けれども、その信心を引っ下げての南米布教でございました。もちろん、まいりましてから十日余りというものは、それこそ誰もお参りはなかったけれども段々おかげを頂くようになって、半年余りの間に沢山の人達が助かるようになり、そこでは次々とあちらの南米の若い青年の人達がお道の教師を志し、御本部に行きたいというような人達が次々と出来てくるようになりました。
お月次祭ともなると、いうならあちらのブラジル人の方が奉仕着を着ておかげを一緒に頂くというような働きが、半年の間に。
そしてもっと驚くことはです、そこで稽古をさせて頂いた方が・・・・・・。私はその前から手紙が来とったから聞いてはおりましたけど、実際それ程の事とは知らなかった。
ビリグイから又三日半バスに揺られて行く森林地帯ですね、ジャングル地帯です。そこに政府から払い下げを受けられて、一日本人の方が生神金光大神をお伴してあちらの地に渡った。
先生どうでもこちらの地に布教所を出して下さい、と言うて行かれましたそうですが、ある時にそこの山にはね「オンサ」という人喰い虎が住んでおるそうです。もう何人もそれに殺された人があるそうですけども、いつ行っても虎が出ないものですからね。
その日はうかつにして猟銃を持って行かなかったところ、帰り道に向うから虎がやって来た。もう一生懸命生神金光大神様を唱えたと。そしたらその虎がね、それこそもう人間は餌のごとしか思っていない虎がね、ジロツと横目でにらみながら通りぬけた。
そういう一心の信心が出来ておかげを頂くようにならして頂いたら、この頃からそこに持ってきている御神米とか御神酒で人がどんどん肋かるようになった。月次祭ともなると、合楽にあわして一日、十日、二十三日と月次祭をさして頂く。そういたしますと、数十名の人達が集まって来る。しかも黒人、白人、それから現地人、日本人が助かるというような御比礼が輝きだした。
・天の行 地の行
今日、壮年教師の、合楽にちょっと御縁のある方が、合楽の修行生が学院の時、そこに修行に参らせて頂きました。その先生が面白う、おかしゅう発表されておりましたが、奥さんが、先生が発たれる時に、大阪は大変な所だから道に迷わんごとしなさいと言われたのを、迷うもんかで汽車に乗られた所がです、眠っとってから広島迄行った。それで三時間遅れたという話をしておられました。だからね、道を間違えるとそういうことになるのです。だから、その道というものがです、どういうことを道というのか。
天地につながる道。その天地につながる道とは、天の心がわかり、地の心がわかり、わかっただけではいかん。天の心を自分の心として、地の心を自分の心として行くような信心修行が出来なければいけない。改まらなければいけない、磨かなければならない。
そこから限りなく美しゅう、しかも、無条件で与えてやまないような真心が生まれてくる。どういう場合であっても、本気で黙って治めようという気にな
ったら、それこそ土のような心で、自分の心の上にどういうことであっても、黙って受ける。心が豊かになる。
私は皆に申します。段々豊かな心になってまいりますから、豊かな物にも、金にも不自由いたしません、ね。
・真の信心には真のおかげ
私はこれは本当に思うんですけどね、真の信心、真の信心、金光様の信心してりゃ、真の信心のように思うている。違う。
真の信心には、もう絶対真のおかげがついて現われなければだめだと、私は思うんです。ですから、東京行きをしようと思うなら、東京行きの汽車に乗って、これでいいのだろうか、これでいいのだろうか、と。
これもある時の教徒新聞に出てましたですね。ある教師の方が、時々自分がふっと、今こういう信心さして頂いておるが、これでいいのだろうかと不安になることがあるという。そういう例えばね、不安の起こらない道、これを行けば絶対だという道。
それを合楽理念では、それこそ有り難く頂かせて頂くということになりますと、さっき私を紹介して下さる時にいうておられましたがね、もうそれこそ、有り難うして勿体のうして、楽しゅうなって来て、しかも愉快になってくる。天の心、地の心を本気で行じようとするから、天地の心がこちらへ通うてくる。
・日と光の旋律
心に光ができるから、私ある時に「晃」という字を頂いた。日と光と書いてある。日を天地の親神様とするならばです、光というのは人間氏子の心の中に燈るところの信心の光、その日と光がひとつになる。
晃の字を頂き、その御理解を頂いた時に、ある先生が字引きをひいてみた。ところが日と光の旋律とあるそうです。
いうなら、私のいう天地のリズムがね、心に響いて来るんです。リズムに乗
って、浪花節でも流行歌でも、リズムがあるからこそ出らない声もでるでしょうし、それが素晴しい効果をもたらすことになるのです。
不思議に天の心、地の心というものを究明して「天の心」とは、とに角無条件で、しかも美しい心だと。本気で美しゅうなろう、美しゅうなろうと努めさせてもらう。不思議です。美しゅうなろうと努めさせて頂くと、問題はその場で解決するんです。汚い心が、又問題が問題を生んでゆくんです。美しい、ここを美しい心にならせてもらおうと言うたら、もうその問題はその場で解決するんです。
「地の心」とは土の心。ここはひとつ土の心で受けて行こう、だまって治める生き方を身に付けて行きますと、それこそ妙なる迄のリズムを聞きとることが出来ます。合楽では、そういう日々を過している人が沢山あります。
天地につながる道。教祖様はね、そういう信心、そういう道を噛んで含めると言おうか、教祖様の御教えを合楽で噛んで含めるように説明しておるという方が本当かもしれません。
・魚釣る人見ておる人
例えていうならば、御教え一つでもです、「おかげは受け徳受け勝ち」と言われますが、何かこう頂きもうけといった感じがするけど、そうじゃない。
おかげは受け徳受け勝ちという御教えは「魚釣る人見ておる人」ということを頂いたんです。
魚釣る人見ておる人、ね。魚を釣りよるのを橋の上からじっと見ている。あれもやはり面白いらしいですね、人の釣りよるのを見よるとは。「ははあ引きよるが、引きよるが」と上から言う。それでも一匹の魚でもこっちにはくれません。やっぱ魚を釣ろうと思うならば、竿も用意せんならん、餌も用意せんならん。
私は今朝、朝の食事の時にです、有り難いとお礼申させて頂いておりましたら、かたかなの「ネ」という字を書いて、こちらの方に魚釣り針を頂いたんです。「礼」という字になるでしょう。かたかなのネを書いてから、魚釣り針、神様にお礼が届いたら、もう次のおかげの手がかりになるんです。だから簡単に頂きましただけではいかんわけ。神様に交うような有り難うございましたがなされなきゃならない。
それこそ蟻の一穴からおかげが洩ると言われるのですから、私共の信心は、余りにも目が粗いように思う。一言一言の中に真に有り難いという心、その心をもってお礼を申し上げる。もうそれは次のおかげの手がかりになる。いわば次の魚を釣り上げることの手がかりが出来たということになるのです。
ですから、見ておった聞いておっただけではいかん。やはり自分もそういうおかげを頂こうと思えば、川にも入らなければならない、竿も糸も持たれなければならない。そして、もう十匹釣ったからやめとけとは、誰も言い手はない。それこそおかげは受け徳受け勝ちというのは、そういうふうに頂くんです、ね。
・真の信心とは安心のおかげを受けることです
安心のおかげを頂くということ。私はもう数十年前でしたけど、御本部にお参りすると、御本部の下の方でお茶の接待をしておる、お婆ちゃんがおられますね。あれは私の方からちょっと二里ばかり上の方に行った、古賀さんというそれこそ一家をあげて大変な熱心な信心をなさる方のお家です。甘木教会の御信者さんです。
ある時、あちらのお婆ちゃんがまだおられる時に、当時の椛目にみえられましてね、是非お話に来てくれというので一晩、お話に参りました。朝のお食事をよばれる時に、御神前にお供えをしてあった一本の白扇を持ってみえて
「大坪先生、これはもう私の方の宝でございます。三代金光様にお願いをしてお書下げを書いて頂いたら、真中に真の信心とお書き下げを頂いた」。
本当に真の信心さえしていれば有り難い。その真の信心というのが、それがもう小さく小さく書いてあるんです。それで、私、それを聞かせて頂いてね。ほんとうに真の信心とはどういうことでありましょうかというて、神様にお願いをさせて頂いたら、三代金光様のお声でね、「真の信心とは、安心のおかげを受けることであります」と頂いたんです。ははあ、だから真の信心をしよれば必ず安心が生まれてくるです。ただ、自分よがりの安心じゃいかん。
・傘一本で開ける道
本当に言うならば「此方の道は傘一本で開く事が出来る」と言われるが、簡単に開けますよというのではなくて、信心のおかげを段々頂いて、いうならば、安心のおかげを頂けばどこででも道が開けるぞということなんです。
傘一本、降ろうが照ろうが、一本の傘を持っていれば、いつ降っても、いつ照っても、暑い時には傘をさし、降って来たら傘をさせばよいという安心がありますから、傘一本で開ける道とはそういう事なんです。
だから、私共が真の信心を目指させて頂くその手がかりはです、まず天地の心を知る事だ。敦祖様が仰ったでしょうが。「天地日月の心になる事肝要なり」と、こう仰っておる。
そういう信心をさせて頂くと、はあこれが和賃心であろうかと、和ぎ賀ぶ心が自ずと生まれてくるです。天地との調和、天地とのリズムに乗った生き方・・。 「天地日月の心とは、たったその位の事か。簡単なことだな」と、皆さん、思われるかもしれませんけれども、その簡単なことが問題なのです。確かに簡単です。その気になれば誰でもがおかげ受けられる。その気になれば誰でも出来る。
◎日月の心とは
・実意丁寧神信心
次に日月の心とある。日月の心とは実意丁寧神信心と、私は頂いておる。横着があってはならない、我ままがあってはならない。しかもその我ままもない横着もない心をもってです、貫くことだ。先日合楽に見えられたある青年教師の方が申されましだ事の中に、泉尾教会の三宅先生に、実意とはどういう事ですかとお尋ねになった。そしたら、三宅先生もしばらく御祈念されて、そして、「実意とは執念のことだよ」とおっしゃった。さあ、ところがどつこい、分らない。それで、合楽の先生に尋ねたら分るかもしれないという事で、お尋ねになった訳です。実意とは執念のことですよと。それで、翌る朝の御祈念の時にその事をお伺いさせて頂いたら、貫くことだと頂きました。教祖様の御伝記の中にもございますでしょう。あの神前撤去の時「お上出ても、実意を立てぬき候」というところがあります。
信心とはね、だから貫かなければだめです。その過程においてはね、貫きにくいところもありましょうけれども、それが修行なんです。
貫かして頂いて初めて、天地日月の心というようなことになる。それは荒削りではあっても、必ずできんでも、その気になればできたかのようにして神様がおかげを下さる。これだけ完壁にやらなければお徳はやらんという神様じゃない。その気になってそれを貫くということなんです、ね。
・信心生活とは天地のリズムにのった生活
金光様の御信心によってです、南米布教が出来た、一粒の種がまかれた。一粒万倍のおかげになっていくだろう。しかも今まではただ日本人を対象にした。いうならば西本願寺だって東本願寺だって同じように日本人相手の布数ですけれども、金光教でもやはり限られた日本人が対象だった。
ところがです、今申しますように僅か半年の間で百名もの、しかも世界の人種の人達が、言葉はわからんけれどもおかげを頂く。そこには通訳をしてくれる人ができてくる。お弟子さんができてくる。それこそ虎の住むような僻地に行ってもです、金光大神のいうならば金光大神の教えをまとめた合楽理念によって信心をするとです。
わざわざこれからこれ迄の信心をしなくても、その助かりの理念に基づいて、おかげを頂いてゆけばです。
しかも今それは天地日月の心と言いましたが、もう限りなく美しくなることが難しか、もう無条件ということが難しか、土の心でだまって受ければよかろうけども、それが難しかと言うたらもう信心はないです。
だからその汚い心を限りなく美しくならせて頂こうという精進です。本気でだまって受けようと一心発起するその信心なんです。
そして天の心地の心がわかってくる、自分の心の光の旋律がです、一つのリズムになって流れてくる。それを私は信心生活だと思うんです。日月の心、いうなら実意丁寧神信心、私共の心から横着と我ままをとり外して、しかもその心であればよいというのでなくて、それを貫かせて頂くという意気込みが信心にはいるのです。そこから生き生きとした喜びが生まれてまいります。
◎天地との調和
・人間が幸福になっていく為の天の心地の心
限られた時間でお話をすることでございますから、大変荒づかみなことで、大変わかりにくかったろうと思うけれども、私がここ二、三日申しておりますように、神様あなたの願いがこのような形で行なわれ現われておりますと、私が神様にお礼を申しあげると、神様が一緒に感動して下さるものを私はおぼえるんです。
天地の心と。もう偉大ですから。けれどもこれから先は、もう人間の踏み込んでいくところではないです。天地の中には私共が知ろうとして知られない、いうならば不思議な働きは沢山あるのです。それを人間が征服しようとか、わかろうとしたって無理です。
私共の近所に不知火という所があります。盆の何月何日にはそれこそ必ず沖合いに沢山のかがり大のような光がでます。それはそれこそ、千古の謎を秘めて、かがり火の出る時期になると見物人が絶えない、今の現代の、いうなら学問ではわからない。そういう世界はもっとまだ沢山あるんです。
けれどもそれはね、いくらわかったからというて月の世界に行けるようになったからというて、それが人間の幸福につながらない。
人間の、今日皆さんに聞いて頂いたのは、人間が幸福になっていく事の為の天地の心であります日月の心なのです。人間が幸福になっていく為なんです。
・和賀心時代を全世界へ顕現
今、私の方では、五十名余りの修行生、教師が修行致しております。おかげを頂きまして、この頃から、カナダから合楽の修行生をと言うて来ました。又この頃からはある方が、合楽からアフリカ布教をなさったらどうですかと。
それこそ五十名の先生方がです、もう海外布数を願っております。世界真の平和を願っておるんです。世界総氏子身上安全の、いうならばおかげを頂くことの為に、どういう例えば世界の隅々にでもです。合楽理念を引っさげていけば、必ず人が助かるんだと、神様の願いがこのようにして成就していくんだと私は確信する。
天地の中にはもう丸うせずにはおかんという働き、それは千年万年かかってでも、もう丸うせずにはおかん、丸うせずにはおかんという働きがある。その働きをまともから受け止められたのが教祖生神金光大神である。
私共もです、天地のそういう丸うせずにはおかんという働きをです、本気で成り行きをいよいよ大切にさせてもらい、尊ばして頂いて受け抜いていくところに和賀心が、即ち喜びの心が自分の心にいやが上にも広がっていくと思うのでございます。
どうぞ世界真の平和、世界総氏子身上安全を、そういう大きな祈り願いを持たせて頂くとです、もう目の前におきてくる問題は小さいものになってくるんです、ね。時間が参りました。
どうぞ皆さん、おわかりにくかったでしようけれども、どうぞ「天の心地の心」もう一遍味わって下さい。それは天地全ての心ではない。人間が幸福になってゆくということのあの天の心地の心でございます。御靜聴ありがとうございました。