昭和53年6月4日 朝の御理解
御理解 第四節 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって神は世に出たのである。神からも、氏子からも、両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神のいうことは、そむかぬよう、よく、守って信心せよ。まさかの折りには、天地金乃神というにおよばぬ。金光大神、助けてくれといえばおかげを授けてやる。」
神からも、氏子からも、両方からの恩人は、此方金光大神である。
私共が、おかげを受けて、大恩人としての金光大神、ここを分かり、やはり、頂かなければ、先の方の御理解が何も分からない事になってくる。
金光大神を、私共が、大恩人として頂く時に、大恩人の云われる事であるから、聞かずにおれないという事であるから、聞かずにおれないという事になるのです。ね。
大恩人が、たとえばね、まあ、様々な頼みをされると致しましょうか。まだ、これは、人間と人間の場合でもそうです。あの人に大恩を受けておる。あの人の御恩どん、忘れちゃならんと云われる程しの人が、一つ、これは、あんたにお願いだがと、もし、云われたら、それを右、左にするわけにはいきません。やっぱり、言うことを聞かずにおられません。聞かなければ、義理がすまんという所までなら、天地金乃神様が感じておられるような金光大神に対して、感じておられるような、その感じをね。私共が金光大神に感じたときです。ね。金光大神は、私共の、いうならば、大恩人であると分かる。為には、やはり、おかげを受けなきゃ、ならん。
また、教祖生神金光大神の御信心によって、もう、いよいよ持って、広大無辺の、天地金乃神様のおかげが受けられるようになったという自覚が出来て来る時です。金光大神は、まさに、私共の大恩人であるという事になる。
さあ、その大恩人が、頼むように云うておられる事。「どうぞ、信心して、おかげ受けてくれよ」と。もう、こんこんと、切々とね、頼むように、私共に、下さってあるのが、御教えなんです。
だから、私共が、大恩人であるということが分かれば、大恩人の云われる事が、少々無理であっても、いわば、聞かずには、すまされない。と云う所迄ね、私共の信心、いわゆる、私共の頂いている金光大神と云うものが、確かなものになってまいりませんと、教えを、云うならば、行ずる事が出来ませんし、又、行じて始めて、分からせて頂く真実、おかげを受けてくれと云われておる、いうならおかげも、云うなら御神徳も受けられぬ事になるのです。
金光大神の云う事に背かぬよう、よく守って、信心せよという先の所がね、ここの所が分からんと、しだごだになってしまう。云うことを聞かんなり、大恩人大恩人と云う取るだけじゃ、大恩人じぁない。だから、大恩人であるという事が、分からなければ、私は、金光様の御信心を頂く、云うならば、自分の云うならば信条にして、行くという事は、出来ないと思う。
私は、毎晩遅く、ここへ出て来て一日のお礼を申し上げる。そして、その日の、正奉仕をしている人が、御用日誌を、必ず、読ませて頂きます。それには、今日の御参拝が、どれだけあって、どういう行事が、教会であったと事細かに、書いてございます。それに、今日の朝の御理解、又は神の声、又は自分の所感と云ったような、所の欄がございますから、そこに、細々と、皆が書いております。だから、その日一日、正奉仕した人の信心ぶりと云うものが、感じられる分けです。ですから、毎日、私はここで読ませてもらうです。
昨日は、幹三郎が正奉仕だったようです。書いております事の中に、丁度夜の御祈念も正奉仕がいたしますから。ね。雨の音がしきりに、この屋根を打つ、その音を聞かせて頂きながら、もう心の底から、有り難うなった。成程、雨じゃない。おしめりと云わずにおれないと、書いておる。御神米によって、命が助かった。もう、お米ではない。もう、その人にとっては、およねと云わなければ、おられないと、書いておるです。
神様のお恵みを実感すれば、もう雨じゃない。おしめりである。無い命を助ける頂いた御神米を、ただの米とは思われない。やはり、「およね」と云わずにおれない。御神米と云わずにおれない程になるという。
金光大神のおかげで助かったという実感はね、もう、ただの金光大神じゃない。大恩人としての金光大神である。そこで、昨日、幹三郎が御祈念中に実感したという。そういう実感を持って、金光大神この世に、おわせられなかったら、今日の私は無い、合楽は無いと私が実感する度合が、合楽の御比礼になって来る。
だから、その大恩人の仰せられる事であるから、場合には泣く泣くでも、云う事、聞かずにおれなくなってくる。その大恩人の、云われる事であるから、聞かなければ、義理がすまんと、云う事になる。
そして、聞いて始めて分かる事は、こういう有難いおかげの世界にあったんだ、開けてくるんだという事実が分かれば分かる程、いよいよ金光大神あって、天地金乃神様の広大無辺の限り無い無尽蔵のおかげにつながっていく、日々の信心生活が出けますという事になるわけです。ね。
だから、金光大神あって、神はこの世に出たと仰せられる程しの実感を持って、金光大神あって今日の私があるんだという、私は実感が皆さんの場合どの程度あるだろうか。その程度が云うことを聞く聞かんという事になる。教えを守る守らないという事につながって来るわけであります。
昨日は、梅の実会で丁度半ばでした。大阪から電話がかかってきた。今度、中近畿の九月に私の話しを聞くという催しがあっております。起こっております。もう、再三お断わりしたんですけれども、どうでもということで、まあ、大体承諾致しました。
で、勿論、青年教師の達の教務主催の青年教師の方達を中心にという事でしたから、青年教師の方達に対するお話しするのかと思うておりましたし、昨日電話がかかってまいりましたのに、今度、サンケイホールトイウ大きな会堂があるそうですが、そこで、公開講演というお話しである。
それで、そのポスターを作らねばなりませんので、その講題を示してくれというのにである。
私は0思いました。金光様の先生とか、青年教師とかに限らずに、私の話は沢山の人に聞いて貰う。信心のない人にも聞いて貰う話だなおとおもったから、何かかえって自信のようなものが出来て来たような感じがするんです。
お道の人達は、私の表現が今まで、今まで教団の人達が使った事のない言葉を盛んに使いますから、あれは金光教ではないとか、何とか云ったような、初めからそういう先入観を持って、合楽は合楽教だというふうに決めつけられる。ですから、話しにくいんですよ。ですから、求めて来る人には、たとえ信心がなかっても、他宗教の人であってもです、私の話しは通用する話しだと信じておりますから、かえって、よかったなあと、私は思わせて頂いて、神様にその事をお届けさせて頂いたら、天の心、地の心といただきました。
それを頂いて、又、いよいよ自信がつきました。なぜって、ここ三十年の私の信心は、もう、天の心、地の心より他にないからです。どこを切っても、私の話しは、天の心、地の心がでて来るのです。ですから、三十年のもし、私の体験を話させるなら、何んぼどれだけ話しても、午前中があのう教師の方達に対する講演で、午後からが公開講座だという事だそうです。
先日から若先生に実際現場現地に来て頂いて、そちらのお指図も頂きたいし、それまでの云うなら相談もしたいから、是非、出て来て頂きたいという電話があったから、わざわざ出て行かんでもよかろう。別に、ただお話しをするのですから、そげん剥いだりこさいだりするわけじゃない。ただ、私の持っている話しをするだけですから、そんな必要はないですよと。又、いろいろそういう心配は、いりませんよと。もし、会わんならんならば、この六月十日の御本部に皆御参拝のおかげ頂きますから、まあ、そん時、お合い致しましょうというて、まあ、電話を切ったという事でございます。けれども、ともかく、いうならば、大掛かりな事になってしまいそうです。 本当は私は、そう思もうんです。私の信心は、天の心であり、地の心であり、云うならば、天地日月の心になる事肝要と、この天地日月の心になる事肝要だと、そこに焦点をおいて日々の生活がなされていく所から、いうなら金光教の神である和賀心。天地書付の御精神がだんだん分かってくるし、皆さんでもね、ここん所に精進なさる以外にないです。合楽で信心頂かれた方達。
今朝方、昨夜休ませて頂くに、その、やはり、こりゃ、大変な事だなあ。いうなら、サンケイホール一杯に例えば信心のある者、ないもの、教師、信者が集まる事だろうが、折角おかげを頂くならば、本当に一人一人がおかげを受けて貰えるようなお話しをさせて頂かにぁならんなというような事を心に書いて休ませて頂いた。そしたら、今朝方、お夢を頂きましてからね、丁度、山と山との、いわゆる山合いのような広場がちょつとありましてね。そこである聞いた事も、見た事もない、まあ新人歌手というか、歌手というのでもない、まあ、高校を出たばっかりのような、あのお粗末な格好しておる顔の丸い、真ん丸い、こえらしいその人が歌を歌われる。それで、私共もそこに集まって、歌を聞き、何時からというので。それを連れて来たのが、椛目の私の妹婿(妹の娘婿)にあたります上野勝美先生が連れて来とるようです。
それでその歌が始まりましたから、まあだ一杯集まっとるわけでもない。まあ、山合いから、あっちから、こっちから、どんどん聞こうとする人達が、集まって来よる中に、時間が来たからというて立って歌うわけです。それに、第一伴奏がない。たいがい、歌うなら自分で弾きがたり、いうならば、ギターならギターを抱えて歌うですね。そのギターもない。伴奏もない。
それがにこにことして、その長い長い歌を歌われるんですけれども、その歌う笑顔のよい事、歌の徴しのよい事、声量のある事。ただただもう、ただこれは人間の歌ではないだろうというように、すばらしい歌だったんです。
そして、歌い終わられて、まだこれからも、いろんな何曲か歌いなさるであろうその人一人のこつじゃからと思いよりましたら、歌いなさらんですもん。したらにこにこ笑いながら、私の歌はこれだけで充分です。あちらこちらから聞きに来て下さる、遠方から聞きに来て下さる方達が間にあわれなかった。まあだ、どんどんその終わつた頃、来よるわけです。その方達には、大変気の毒ですけれども、一口でも、私の歌を聞いて下さった方達は、これで本人も満足して下さるでしょうし、私も満足です。というて、さっさと引き上げて、上のいわゆる、池尻が連れて帰るんです。そして、今晩は家で泊まって頂いて、お食事でも差し上げるというお夢でした。
私は、本当に昨日その大阪からの電話をかからせて頂いて、心の中に画いておる事の、云うなら、腹がこれでいよいよ決まったという気がしました。
別に入場料取るわけではないし、ね、別に私が堂々たる話しぶりとか、その衣装をつけてということではない ただもう、いうなら、黒衣でまいります事でしょうから、それで、私がお話しをさして頂く。その話しというのは、他には、何んにもないんです。私の話しは、いうなら、天の心、地の心、それは広大無辺な天地の心ですから、私が、それを全部話すと云う事は出来んでしょう。また、分かりもしません。知りもしません。
但し、人間が幸せになるという点においてだけでは、自信を持って、お話しが出来るという事。
人間、氏子が助かる事、幸せになる事、幸福になっていくという手立てを、その一部分ではありましょうけれども、天の心を、地の心を私が説かせて頂いたら、いうなら、どういう宗教の人でも、宗派の人でも、無神論の人でも、又は信心は抵抗を感じておるという反対の人であっても、私の話なら分かる。
そして、一人一人が、はあ、お話しを聞いてよかったというて頂く自信を持ってですね。だから時間に間にあわなかった方達は、折角来て頂いて気の毒だけれども、一口でも聞いて頂いた方達は、もう私は満足だと思うと 別に伴奏もなければ、特別の大きな施設という事もないのだけれども、ただ天の心、地の心をとにかく、私が 三十年間それを行うじて来た事、嘘もなければ偽りもない。ね。ただ、どこを切っても天の心、地の心を質問に応じて答え、又は、私の体験をそのまま聞いて頂くという事に、一つの自信を神様が持たせて下さったように今日思うのです。ね。
だから、他にはなあにも無いです。合楽の場合は。だから、天の心、地の心それを合楽理念には、まとめてあるのです。だから、これを行ずる以外に無い。行ずる為には、なら金光大神をもっと知り、もっと深く分からせて貰い、金光大神のおかげで今日の私かあると云う自覚が出来る所から、大恩人に対する所の云うならば、姿勢というものは自ずとそこに決まってくる事になるでしょう。
昨日は中川建設の七十周年のなにかお祝いが、久留米の文化ホールでございました。念の入った御案内をあちらの社長さんが持って来ておりましたから。けれども、私は行けないと思うておったら、昨日、正義先生もやっぱり御案内を受けておったそうですから、それで、若先生を誘うて下さったそうです。それで、一緒にまいっております。そして、藤原何んとか云ったけな、何んち云よったかな。このいろいろ来とったんですけれどもね。藤原弘達さん、テレビなんかでよく大変有名な方ですね。この方は。藤原弘達という人のお話がいろいろな行司の後にあったんで、それを目当てに皆行ったんでしょうけれど、それは一時間半という時間を感じさせない程しに、すばらしい、面白いお話しだったそうです。面白いというよりも、時局の事をいつもテーマにして話されるのでしょうけれどもね。
そして、若先生が云うております。最後にしめくくられる時には、なら、こういう話しを皆さんに聞いて頂いたが、結局、要は、人間作りにありますということだったそうです。先ずは、人間を作らねばいけないということです。
だから、これから先ば家の親先生の話になったらすばらしかろうと思うたという話を昨日しております。だから、その人間作りがですね二宮金次郎んごたるとやら、楠木正成んごたるとば作ったっちゃ、なあにんならんですばい。孔子やら、孟子やらじゃ、なあにんならんです。人間の本当の幸せには繋がらないです。道徳人間じぁつまらんです。どこまでも、天地の御恩徳をわからして貰い、その御恩徳に応えまつらせて頂く精神。てすから
それならばです。合楽理念を持ってするならば、どういう程度の人でもです、自分が、その気になれば、合楽理念をマスターして、それを行ずるということは、有り難うして、勿体のうしてね、それこそ、愉快にまで、なれるという道が合楽理念なんです。
それを私がです、ここ何十年、ただ悲しい事が起こってくれば、苦しい事が起こってくれば、ただただ苦しい元がどこにあるのであろうか。
「天地の 心知りたし 道あらば 示せ天地 おのが心に」と。
これは私が、大変苦しい時分に頂いたお歌です。こういう熱心な信心しょった人が、ころっと死んでしもうた。神様、私には分かりません。ね。どういうわけに、この人が亡くならねばならない、こういう難儀な事にならねばならない、そのわけがあるならば教えて下さいと神様に無理難題をした頃の歌です。
「天地の 心知りたし 道あらば 示せ天地 おのが心に」
そして、その心が分かった時に、一切が神愛である事が分かり、神様の願いが成就しておる一つの手立てであるという事が、分かって来た時に、そこにはもう、お礼を申し上げる以外何物もないというようなものをなら、天地日月の心になる事肝要という天地日月の心の中から、頂きとめてあるのが、合楽理念です。
ですからね。とてもそげな難しかこつは分からんというのではなくて、世界中の隅々までも広げていかれる和賀心時代を創るという事。十三日会、いわゆる放生会。人間のお粗末、御無礼が、例えば詫びる心になれば、神様が許して下さる、放生して下さる程しの事が、今、合楽では説かれております。
だから、そういうならお話しをですね。例えば、昨日藤原弘達さんの話しを聞いてすばらしかった。けれども、その素晴らしい話しでもです、これは、どこまでも、人間が云うならば、芯になるものであり、結局だから、人間作りが先だという事になると、まあ締めくくられたという事です。
そこで、人間作りという事を、どういう手立てを以て人間作りをするか。天地の大道に基づいて、しかも、体験を積んで、体験を持っておる者が説かずにはおかげにならんです。御取次成就信心生活新発足、こんな素晴らしいスローガンはないです。そこで鳴り物入りで教団全体が、一生懸命にそれこそ、後何日かで、久留米の教会で、ここの教会長とそれに総代が一人ついて行かんなんごつなっとる。その変わり弁当も旅費も出るというのです。
それはどういう事かというと、御取次成就信心生活運動が、どうしてもこういう素晴らしい事であるにもかかわらず、一つもそれが進展しない。浸透しない。そこでそれを詳しく説明しょうと云う会が久留米の各地区の教会でそれがあるんです。それに旅費まで出るんです。お弁当まで出るんです。
私は、その事が不思議で不思議で分からなかったんです。こんな素晴らしい事を話されるのに、どうして弁当やら、出さんならんじあろかと、神様にその事をお届けさせて頂きましたら、あのう、頂きますことがですね。琴です。ここで楽の時に弾く琴のゆるんでしまっておる。それから、しゃんとしとるともあるとば一生懸命こうやって弾きよる所を頂いた。
先ず、第一に云うなら、十三の糸の調子というのが、さおっとあわなければいけないでしょう。
調子も分からん、合わせきらん者が、弾いて聞かせたって、喧し位のこつでしょうもん。だから、今度の会合でも、実は上がらないと私は思います。折角旅費までだした。弁当まで食べさせちからまでしたばってんから、いっちょん、分からじぁったちいう事になるです。
もう、それを云う人自身が、琴の調子を合わせてね、私の信心に合わせれば、天地のリズムが聞こえて来る。しかも、妙なまでの音律を聞き得る事の出ける信心。
だから、調子を合わせきる者がね、合わせてやって、さあ弾きなさいというて、稽古させるなら、楽しゅう稽古も出けるようなもんですけれども。だから、藤原弘達さんの話の後にです。ね。私の調子の合うたので、一遍なり天地の中にはね、こういう素晴らしい働きがあるんだよと、億念かかっても、人間を幸せにせずにおかん、丸うせずにおかん所をばっちり受け止められた。
神様が丸うせずにおかんと云われるなら、こっちも丸うならずにおかんという働きを示していけば、おかげが受け止められるという事実を御自身が体験されてです、実意丁寧神信心の上に現されたのが、教祖金光大神、ね。 それが、あまりにも平易な、平凡な表現ですから、かえって難しい。その難しい教祖様の御自身をです、合楽理念では、現代の人にも又、分かりやすく、しかも、噛んで含めるように、説きあかしてあるのが合楽理念ですから、どうでも、分からにゃいげん。行じなければいけん。そして、金光大神のおかげで、今日の私があるという所までおかげを高めていかねばならないという事になりますですね。