昭和50年7月8日 朝の御理解



昭和50年7月8日 朝の御理解

 御理解 第46節 「痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめなのがありがたいのぞ。」

 この四十六節この御理解が、本当に自分のものにななったら、いつも壮健なおかげが受けられる。いつも人間の幸せの条件と云うのものが足ろうてくると云う程しに、この教えは有難いのですから、是が本当分かる分かるじゃない 判ることはすぐに判る事です。成程そうじゃなぁと。痛い病気をするそれが治った確かに有難い。けれども健康であるという事は、もっと有り難いんだと言うのですから分からん筈がない。

 けれども実感としてその壮健な時に、心から有難いと言うものが頂ける様になったら 恐らくは痛い痒いがないだろうと思う。病気がなくなるだろう。本当に有難いと言う事は、和賀心と同じです。有り難いと言う心。その和賀心が何時も出来てくると言うのだから、これはお陰の頂けない筈がない。云うなら頭の上とか理屈の上では、これはすぐ分かる御理解です。ですからここん所を、例えば痛いのが治ったのが有難いのではないと仰る様に 金銭のお繰り合せを頂いたから有難いのではない。

 特別にお願いをせんで済むほどしのお繰り合せを頂いとる時にはもっともっと有難い時なんだ。様々な難儀がある。なら人間関係なら人間関係で、大変難しい問題になって来て、それこそこんなに人間関係で苦しいごとあるなら、仕事も変わろうごとある。人間関係で、もう死んだ方がましと言う人すらある。これは病気だって経済の問題だって、人間関係だって、苦しいと言う事は同じ。

 泣こうごと苦しいとか、死のうごと苦しいち言うとと同じ。そういう苦しい所をです、お繰り合せを頂いて円満になったとか、金銭のお繰り合せを頂いたとか お陰で病気が治ったとかという事が有難い。けれどもそういうお願いをせんで済む程しの時には もっともっと有難いんだと言う事なんです。そのもっともっと有り難いという心はです、此処で教祖が仰っておられる有難いというのは、これは和賀心に通じるのです。和らぎ賀ぶ心です。だからこれを頂くと大変むづかしい。

 難しいと言うが修業をさせた上に、頂いた上にもさせて頂く。どうでしょうか今日も平穏無事であったと言う事が心の底から有難い。その有り難いのがです、痛い痒いのが治った時に有り難いと思う様な有り難さをもって、より有難いのだと仰るから、より有難い心をもって、神恩報謝の生活が出来る様になったら、これは愈々人間の幸せの確かなものを、そこに体得する事ができるのです。まずそこん所を一つ腹に置いて、今日のお話を聞いて頂いた訳ですね。

 判る事はすぐ判るでしょうが、痛いとか痒いが治っのが、有難いのじゃない。いつもまめなのが有難いのぞとこう仰る。だから訳分からなくてほんにどうもないと、本当おかげ頂いとるどうもない。こげな有難過去とはなかと言ひよるけれども、それがほんなら有難いと言うものがどの様に現わされておるかと言う事。医者の見放した病人が助かった。おかげで命を頂いたと言うて、その喜びと匹敵して果してどのくらい有難いか。

 痛い痒いが治った方が有り難いのであって、平穏無事の時には、もう当たり前の様な考え方で、有り難い事じゃあると言っているのです。だから判る事はすぐ判るけれども、次のまめなのが有り難いとおっしゃる、その有り難いというものは、お互いが頂いていないと言う事。その有難いのが体得出来たら、貧乏する事もないだろう。病気する事もないだけう。人間関係等で悩む等と言うことは、サラサラないだろう。そこに本当の意味でのおかげの世界があるのです。

 今朝方から私はお夢を頂いた。それがどうもこの耳納山と違う様だけれども、耳納山の様です。耳納山を越えてそして向こうへ降りた所を、高橋さんと秋永先生がついて来る、そして、向こう側の景色と、様子とか、向こう側の実体というものを一つ一つ写真に撮っておる所である。写真と言う事は真実を写す所である。またの御理解に信心は山登りと同じ事だと。信心も山登りも同じ事。いわば峠を極めるそして向こうへ降りたら安心じゃとこうおっしゃっておる。

 いうならば信心の峠を越えて、そして向こうへ降りた所の様子というものを、詳さに写真を撮っておるわけである。真実をここも撮っておけ、あそこも撮っとけと言うて、写真を撮らせておる。そして又反対に峠を登っておる訳であります。峠へ登った所が野焼があっとった。それがようと意味がわからないけれども、今朝その事をどう言う事だろうかと思うたら、山の幸海の幸と言う事を頂いた。

 野焼をしておると言う事は、山焼けてまた萌え出る わらびかなと言った様な句があります様に、わらびはと言うのは山の幸の一つなんです。そういう意味だなと思うたんです。信心も峠を極めて向こうへ降りたらそれで安心だと。けれどもお徳を受けると言う事は、またここん所の真実を極めてです、向こうへ降りた様子というものが、どういうものかと言う事を極めて又登って来る。そこん所へ来る時には人間の、生活をして行くには不自由しない程しの徳を受ける事じゃないでしょうかね。

 海の幸山の幸を受けられる様な。それから又こちらへ向かって段々、降りて来て道がついておったんですけれども、その道が分からなくなってしまった。その時には私が一人になってるんです。それでまぁとにかくまっすぐ降りさえすれば、道はなかっても下りさえすれば草野に着くだろう。草野に着いたら合楽は目の下にあるんだという様な思いで、サッサと降りて来る訳です。

 所が中々大変な厳しい様な山です、下り坂がね。けれどもその、桂につかまったり降りょうとしたら、足を掛ける所がありつかまる所があるで、思うたよりも案外楽に降りてこれる訳です。そして途中に麦生があったり、山本があったり山本と言う事は、私に関係のある、山本には私の叔父叔母が住んでおる所ですし、麦生と言う所は矢張り、耳納山の麓に有ります、田主丸の上の母の里なんです。

 そこで私は下り下りどう言う事をして来ておるかと言うと、御霊の助かってない言うなら、麦生と言う事は先祖の御霊とでも申しましょうか。沢山な御霊逹のお済度をして来てる訳です。救い助けて来よる。山本と言う所は、私に関係ある人逹を抑えとして来よる。済度と言う事は救い助けると言う事である。それは山を下りながら。そして私は山を段々下って、こういう険しい所がどうして下りられただろうかと思う様ですけれども、そこには桂に下がって下りたり。

 岩やらの所が丁度石段の様になっておって、足をそこに持って行けば足が降ろされるようにして、真っ直ぐ下って来ておる、そしたら誰かがね前人未踏の道が開けたという声を頂いた。前人未踏の道が開けたと。私は今合楽というのは是はもう絶対前人未踏です。大変徳を受けられた先生方が沢山あります。けれども私が歩いておる道と言うのは、教祖金光大神の教えられた道を、新たな意味あいに於いて、開拓したと言う感じです。言うならばこの教典なら教典をです。

 それこそ二十五年年間、私は説き続けてる事で感じられます。然も毎日一ぺんだって同じみ教えがない程しに、広く深くこのみ教えとはこういう深いものであったかと言う様に、説き明かして行きょるわけです。そして今までのかっての先輩とか、先覚あたりが通られなかった道ですから、峠からちょっと道を間違えて降り出した所が、私が皆さんと同じ様な峠を越えて、向こうへ降りてと言う所までは同じ意味あいで、先輩が教えられた先代が教えられたと言う様な道を歩いて来た様ですけれども。

 こちらへ道を間違えて降りて来る所へ、大坪は道を間違えたと言われた時分だと思うです。道を間違えたと言われた。それこそ人間の面をかぶっているだけで人非人だとまで言われて来た時代だと思うんです。所がそこを下りながら私は道をつけて来ておるです。今光教の信心はもっと楽に徳が受けられ、もっと楽におかげの受けられる道を、しかもこう曲がりくねった道ではなくて、真っ直ぐに下りてきておるわけです。

 しかもそこには、私が道を下り下り、御霊様のお済度が出来たり、又は私に関係のある限りの人たちのお済度が出来てきておる。そしてその頃には言うなら、前人未踏の道が開けたと言う事になってきた。これは随分降りて来た、もうやんがて発心公園の上まで位来とろうと思う所に、山小屋の様な家がある。そしてそこに色々な食料品とか雑貨の様なものを、ちょっとしたものを売っとんなさるけれども。

 そこへ一寸入った所が、椿油が沢山置いてある。だからこれは私が皆、今は本当の椿油ちゃ外の所にはないから、此処んとを全部買うて行こうと言うてから、買い占めて、その時には久富繁雄さんがおんなさいました。繁雄さんにそれを持って貰うて、又こう下って行きよる。所が発心に着いて、発心を下った所にです、正義さんがそれこそこげな大きなダムがあるじゃろうかと言う様なダムを掘っておる所を頂いた。正義さんと言うのは、久富建設の社長ですね。

 此処には水が、どんどん流れて来よったつが、水を堰止めてからどこさん水はやったじゃろうか、どうしてこげん掘られたじゃろうかと、私が言うたら水は他の所へ廻して、まず掘るとを先にしました。此処へダムの建設を致しますと言う所であった。言うならば沢山のお恵の水を堰止めたり、又は他の方へ廻してからでもです。おかげを暫く差止めてからでもです、まずダムを造る事の建設にかかっておると言う事である。そしてそのダムの所から下を見ると、合楽は目の下だと言う様な所で眼がさめた。

 信心は山登りと同じ事。山に登って極めて向こうへ降りればそれで安心じゃと。その安心のおかげを頂いて、向こうの安心の世界の状態というものをつぶさに写真に撮らして頂いて、また頂上を極めた。だからここまでは普通の金光教の信心をさせて頂いて来たと言う感じがありますね。今まで師匠達が先輩先覚達が残した信心が、ここまでであった。これから先は、私独檀上の道を私が、前人未踏の道を開いた。

 それを此処でのさまざまな信心を、言うならば成り行きを大切にするとか、全ての事柄に御事柄是が真の信心と言うて居る様な事が、私は前人未踏の道で合ったという風に思うのです。そしてまた降りて来たと言う事は、ここには信心のなかった時と同じ様な状態なんですね。発心のダムの建設。そしてそこの草野の町に降りて、もう合楽というところに降りて来ると言う事は、登って下って又登って下って来たところですから、信心のなかった時代と同じこと。

 そこん所が今日はです、痛いのが治ったのが有難いのではない、いつも壮健なのが有難いのぞと言う。普通当り前の所に、本当の有難いものが感じられる世界が、ここにあったと言う事なんです。私はこの四十六節を頂いて、今朝から頂いたお夢とどういう関りがあるだろうかと思った。此処の世界は信心臭くも何もない、平穏無事のごとある。ただそこには痛い事もない、痒い事もない、金銭に困ると言う事もない、人間関係の煩わしい問題はさらさらない。

 いわゆる合楽の世界は、すぐそこに見えておるという感じ。そこに至った時に有難いなぁと感じる、その有難さが通る所を通っての有難さです。この有難さが、完璧な和賀心と言うことになる。言うなら完璧を目指し登ったり下ったりして、しかも前人未踏の道を歩かせて頂きながら、そこに一つの象牙の塔か何かを打ち立てると言った様な事を申します。合楽の信心が打ち立てられる。助かると言う事ではない、自分が助ったと言うだけではない。自分の助かりがそのまま神様の助かりにも繋がる。

 自分だけが楽をするのじゃない、神様と共に。昨日一昨日佐田のお婆ちゃんが、お夢の中に頂いておられるのが 共栄と共に栄えると頂かれたそうです。字でお夢の中にそれこそ信心共栄である。神様と氏子が一緒に栄える人間と神様とが拝み合える世界。人間と神様が交流する世界それが合楽の世界である。そこにはいつも壮健なのが有難いという、本当の意味においての有難いと言うものが頂けて来るのですから、その有難いの前にはもう人間の言う難儀と言うものは、さらさらない事の世界がそこにある訳です。

 いつも壮健なのが有難いのぞと。当たり前ただ初めの間はです。そこん所を山を登る前の間はです、信心のない時代はです、又信心の薄かった時代はです。難儀な事を助けて貰うが神様のように思うておった。ああ医者が見放した病人が、おかげで助かったと言うて喜ぶけれどもそげな事よりか、壮健な時の方がもっと有難いのだぞと教えておられる。なるほどそうだと判るけれども、実感として我が心に通う様な有難さではないと言う事。喉元通れば熱さ忘れるで、金銭のお繰り合わせを頂いて有難い。

 おかげで金に不自由段せんごとなったと言いよるかと思うと、もうそれを贅沢な事に共使う様になって、また願わんならん様な結果が生まれて来る。有難い勿体ないの世界じゃないからなのだ。だから今日のご理解は、痛いのが治ったのが有難いのではないと言う所をです。金銭のお繰り合せを頂いたと言う事が有難いのではない。お繰り合せを願わんで済むほどしの時には、もっと有難いんだと言う事です。

 本当に死ぬほど苦しい人間関係のところを、おかげを頂いて円満であると言う事はです、そういうおかげを頂くよりも、もっと有難い事なんだけれども、それを当たり前の様に考えておると言う事である。途中の山を下りる時に、椿油を沢山私が買い占めて持って帰ったと言う事は、どう言うことかと言うと、髪油と言う事は髪は信心、髪は神に通ずる。銘々に髪を結いあげる。

 言うならば信心を本当に結ひ上げる。為にはどうでも欠かす事の出来ない髪油である。そういう髪油をその下りて来る途中に求めながら、そして直ぐそこにある合楽を目指して、お互い信心の稽古を進めておると言う事でございます。そこで皆さん私が登ったり下ったりした、どの辺の所を、皆さんが極めておられるかと言う事を思うて見て、愈々ここの完璧な信心を目指して信心が進められて行かなきゃならんと言う事になりますよね。

   どうぞ。



[Return to the List]

[Return Home]


Copyright (C)