昭和48年9月8日 朝の御理解



昭和48年9月8日 朝の御理解

 御神訓 「神は声もなし形も見えず、疑えば限りなし、お恐るべし疑いを去れよ」

先日の神愛会、教師会の時にこれは皆さんに初めて話す、話しです。けれどもと言うて、話したんですけれども、私が引き上げて帰って参りましてから、そして神様一心にお縋りさしてもらう、どうしてもおかげを受けなければならない、裸同様に家族の者が引き上げてきて、力を神様から受けるまあ言うならば、神様一途にお縋りをしておりまして、それからつぎつぎと難儀なーーー兄弟の葬式を次々さして貰わんならんような、難儀が続いてそれでも、尚一心に、信心を進めさして頂いておる、その前後からだったと思うですけれども、時々からだが、体全体が痺れるような事があった、それはもう実に神秘的なものであした。初めの間は私もう仕舞よるとじゃなかろうかと思った。初め何回かは、ところがそれはそうではない、これは何かおかげを頂いておるんだなと言う事が確信されるような、とにかく体全身が電気にかかったと言うのはあんなものだろうかと、思われる位に身動きが出来なくなってしまう。

そしてあの口から酢いものが出てくる、確かに電気に掛かるとこんな状態だろうと言う位に、そういう事がちょいちょいありよりました。それから御祈念さして頂いとりますと、もうそれこそ家が割れるような大きな音を聞いて皆に、音が聞こえるかと言うと皆は聞こえない、だから私だけに聞こえよった。と言うような事もこれは実に神秘的な、そう言う事が続きました、だから今にして思うと天地の真と申しましょうか、天地が私に直接、交渉を求めて居られたと言う感じが致します。

天地と交渉しておるとね、言うならそれから段々熱心に、一生懸命に信心するようになって、それからまあ一年位致しまして、位してでしょうかまあいろいろと、いろんな信心の上に変わった事が起こってまいりました。あの時分のこと私忘れましたけど、もう手みくじなどいろんな事をお伺いすると、指の一本一本にお知らせて下さるのです。それやら胸知らせと言うか、それは私は後で胸知らせと思ったんですけれども、心に思うと言うよりもそれを行動に移さなければ居られん事程しのものがいろいろ浮かんでくるのです。

例えばお商売をしておりましたから、この家に奇跡と言われるような感じがするのです、寄ると私が行かなければならないと言ったような、ああ今日は家に泥棒がはいっとるな、泥棒がはいっとる、泥棒がはいっとると思うんですよね、そうすると家に泥棒ががはいっとると言うようなね。ような事が続きます。

だがその時分のことは過程ですから、未だいろんな事がありましたけれども、ぼんやりして忘れたような感じです、たとえば私は福岡からこちらへ帰って来る電車の中で、私は乗り物乗って腰かけて乗ろうなんて勿体のうして、かけなかった、だからいつも久留米福岡間、吊り皮を掴まえてそれでこうたちながら、眠ってゆきよると、すると神様がですね、眠らせずに私といつも、話しをしたいと言う感じですね、それでそのその時分は私のこの右の耳が聞こえる、左の耳が聞こえなくなって、左の耳の奥でなにかぼそぼそと話しかけなさっている。たまにはもう鼓膜が破れるとじゃないじゃろか言うような、大きな声でやらを頂いとりました。あのあの時分にこれは今でも私はこうしてご理解を頂くのでも、そのおかげを頂いとるのですけれども、沢山こうやって御教えがありますと、私の目がふととまるんですよ、例えば沢山ある中に、ここだと私が言えば、眼力とでももうしましょうかね、さあ電車の中でですよ今日は一つ光りを捜そうと言うような、お言葉頂くんですよ、その時分今でもありましょうけれども、「光」と言う、たばこがありましたよね、そのたばこの殻がおちとること、落ちとること「ばさらか」です、もうレールの中に挟まってもうちょこっとしか出とらんとでも、あそこにもある。と言うように例えば私がもう椛目に帰ってお取り次ぎさせて頂くようになって、所謂門外不出で御座いましたから、だから全然外へ出ません、

それが私はこうやって窓から外を眺めるくらいです。

そう言う時に今日は一寸運動さして下さる、丁度田すきがぼつぼつ始まって、中は田がすき終わって、まあところどころ刈った後が残っておると言うような時分でした、今日は落ち穂拾いをするぞと神様がおっしゃる、それでその田圃に入るともう落ち穂が一杯落ちとる事、それがずっと拾うてさるかんならんごと落ちとる。落ちとるけど普通はね見えんだけのことです、ですから何か失せ物なんかいたしますと、私の目の止まったところを見ると、そこにあると言うような時代が非常に続きました。

今でも私はご本部参拝の時に汽車の中でお伺いなんかなさると、いろいろなご神意が、伺いにくいときには、持っておる新聞なら新聞、雑誌の中からこう皆さん御承知の通り、しかし今ここを頂いたからねと皆さんに申します。御結界でも同じことです、それも幾つものこう目で頂いたりお耳で頂いたり、心で頂いたりする、それを総合して皆さんに御神意を言う時には聞いて頂く、お答えする、そう言うような事が続きました、それを先日から私ここで話した事もなかったんですけれどもと言うて、神愛会で聞いて貰ったんですけれども、そう言う事がです初めから疑ってかかる人には、お話は出来ませんですね、なら先生方の場合なんかは、それは熊本、壱岐あたりからも今日出て来て、わたしの話しを頂こうばっかりだから、そげな話しが出来た、今日もまあお話をしよるけれども、まず皆さんは成程それは本当だろうと、合点して下さる方ばっかりだから、話しているわけですけれどもね。

だから昨晩のご理解じゃないけれども、疑って聞かぬ者はしかたないけれども、それを信じて聞いて下さるならばです、今日のご理解、疑いを去れよと言うところに繋がるのじゃないかと思うのです、だから今月の四日ですからそれ以来私はその事を先生方に聞いて貰ってですね、あの体が痺れたあの時に天地との直接の交渉があっておったんだと、言うような事を、それから今まで不審に思った事はないですけれども、あの不審に思う様になったです、だいたいどう言う理由で私位なものに、私位の人間にです、勿論教祖金光大神のお取り次ぎで、の働きによって天地と特別の交渉を持たれるようになったのは、大体どう言う訳だろうかとしきりに思うようになったです。

この四五日誰にでもその交渉があれば良いのに、私にだけどうしてあったんだろうかとこう思った。私はそれ以来ずーっと今日も私は三時半にここへ出てまいりましてから、その事を思わしてもらいよったら、次々と頂くのです、もう沢山頂くのです、その一番に頂いたのはね、お前が親孝行だからと神様がおっしゃる。私の親孝行に神様はまず目をつけなさったと言う感じ、これはもうどうにも出来なくなったから親を大事にする様になった、と言う事でなくて、これはもう子供の時からです、もう私の方の特に母はもう非常に誰彼から、もう一生懸命に働きながら、いじめられました親戚中からある意味で、それは勿論いじめられた事もありましたでしょう、けれどもこの親がこんなに難儀をしとるからこの親に喜んで貰うような、親孝行がさして貰いたいと非常に感じました。

これは皆様にお話しすように、さあ親に孝行していばっかりで、言うなら北支あたりまで行った、ところが実際は裸で引き上げてこなければならないようになった、ときに私が神様にお願いをしたことは例えばもうこの親に、喜んでもらいたい、ばっかりに一生懸命になってまいりましたのに、例えばならお粥さんすら、すすり兼ねるこんな状態にです、もう目も当てられないのです。

それで私などは、親に腹一杯食べさせられんのが、私のごたるとが腹一杯食べるようなことが、あってはならないと思ったから、私はお粥一杯一食主義を通したんです。そして私が本当に親が安心してくれて、喜んでくれて言うようなおかげが頂けたら、もう親が亡くなったら明くる日亡くなっても良いと思いました。それまでは私は死なれん、そんな感じでした、これはもう私の実感でした、今でもそうです。もう親に孝行したいの一念が神様にお縋りした。だから私があの此処に初めて参って来た、若い方たちにはね親不孝しようと思う者はめったにおらん、親ばいっちょうこなしてやろうと思うような子供は、皆が親孝行したいけれども、しないだけのこと、それを止むに止まれん程に親孝行したいという心がないからです。

私の場合はそれがそれが止むに止まれなかったわけです、だからこれは家内にも言っておった事は、私はお前が言うなら世界で一番最愛の家内であってもです、お前が親に不孝することあるなら、お前と何時でん別れると言うとります。と言う位に私にとって親は大事です。そういう例えばならそう言う切実な親孝行の心に、神様がまず目を留めなさった、外には何も出来んなら性根が良いかと言うと、性根がばさらか良い事でもない、けど只親に孝行したい一念だけは、いつも燃やしておった、それが信心させて頂くようになって、その親のもっと大きな親のあることを、これは実感です、を感ずるようになった。所謂私が親教会中心になったのも、その時分です、それからまた段々親教会よりももっと大きな親と言う風に段々最後に、天地の親神様の御心と言うものがわかりだしたら、その天地の親に報いると言う信心、親孝行の一念一心と言うものが、段々こう対象とする親が変わって来た、そしてこの親に忠実であった、親孝行であればです、言うなら例えば私が天地の親神様への孝行心と言うものがです。つのっておかげを頂けば頂くでです、なら親教会はろくそうにしてよいのか、肉親の親はどうでも良いではなくて神様は、教え親であるところの親教会へもつくさせて、言わば下さるし。

なら現在肉親の親にも別に私が撫でたり摩ったりしてやるわけではないけれども、本当に合楽のじっちゃま、ばばしゃまこそ極楽じゃろうと言われる位のおかげに、私の信心の中にそれが、頂けれる様になったと言う事です。だから親孝行ちゃそんなに素晴らしいことです。まだ他にも十幾つか沢山頂きました。

神様がなぜ私と交渉を持たれる原因と言うもの、私はね人が好かんと言う人に非常に切実にその人と通うものを昔かしから持っているのです、例えば初めて参って来てもお話を頂いていると何故か知らん、親戚の者のような気がしてくるのです。いやそれが段々参ってくると親子のごとある感じがしてくるのです。これは本当です私は、もうお年寄りなんか参って見えると、もう何か年寄りの手を握って、こう撫で摩りするごたる衝動を感ずるです私は、そう言うようなものが親神様が交渉をもちなさる一つの条件になっておる、だから皆さんにもどうでもおかげを受けて頂かねばなりませんから、私はこれから一つ一つをまたこれからも聞いて頂かねばなりません。

そう言う神様と私が結局神様が交渉を初めなさる程しの事と言うのが、成程これは何も出来んけれどもこれだけは私が抜きん出ていると言う事を、私は自分ながら気がつかなかったものをお知らせ頂いて、自分で今合点している訳ですむけども、その一番の根本になるのは、いろんな人間の性根とか出来てくる人格とか、出来てくるわけですね。その一番根本になるものは私の方の母が次々と妊娠のおかげ頂いておりますけど、二回とも流産しとります、そして三回目にどうでも取り止めねばならんと言うので、善導寺の初代にお取り次ぎを願って、言うならば三人目に私は取り留めとる。

だから神様にお願いをした、言うならば神様のお取り次ぎを頂いて、言うなら出来合いでなくて、誂えたようなもんです、これが根本だと、神様はならそこんところがはじめ、

なら皆さんでもそうですね、あの佐多さんとこの恵介くんのことを頂いて、今のこと頂くのです、様にある意味ではこの世から抹殺されようとした者が、神様のおかげでこの世にある、しかも神様にお願いをして、そしておかげを受けた、そう言うところがそこから神様がいろんな性根をですね、いうなら神様が使い様あんなさるような、性根におかげを段々下さったと言う事です。

ですからそう言わない人でもです、私のごと素直にこれはもう馬鹿んごとたる素直、言うならこれは子供の時からそうでした、右向いとけちゃ、はいみぎ向いとくような、ところがあんたんです私は、左向いとけと言えばハイと云って左向いとる。なぜかと言わなかった、そう言うようなものが例えばおかげの素になるとするならば、皆さんが素直でないならば、本気で素直にならなければならないでしょう。親孝行、親不孝しょうと思とらんでもです、言うなら私は親先生のごと切実に、止むに止まれん思いで親孝行をしたいと思う気持ちがないならば、一つ本気で形の上だけででも、親孝行をひとつさせて頂こうと言う気にならなければ、それはおかげが受けられない事がわかりますね。

今日は私は成程、神は声もなし形も見えず疑えば限りなし、お恐るべし疑いを去れ。と。私は神様を信じて来た、そして私か神様から直接頂いた。それを皆さんは私が言うことならば、皆さんならばです、先日の教師会の先生方ならばです、それを信じて聞いて下さる、疑いなさる事はなかろうと思う、それを疑わずして、なら今日の話しをきいて下さって、例えば今申しました、なら神様と直接交渉がもつ、言うなら天地の気感に適うと言う事を言うが、神の気感に適うと言うような、心と言うのは先ずは親のない子と言うものはおりません。

いや親は死んでしもうたけんと、言うたっちゃ御霊様がちゃんとござる、親のない者はありませんから、その親をです愈々大切にせにゃおられんと言う心を、愈々つくらせて頂くと言うような、ことは今日は分かって頂くと同時に、私がお話しした事をです、おそらくここにおられる皆さんが疑われる方はなかろうと思うです。

私の日常を知って居られますからそんならば例えば今日の御教えは、皆さんのためにぴったり本当に親先生から、あの話しを聞いたが神様ちゃ、疑われるもんぢゃなかな、おかげが受けられんのは、神様の御都合であり、おかげが受けられんのは、まだこっちの信心がたらんからだと、自分に思うて頂けば、今日のご理解を頂いて頂いた、言うならば価値は充分にあるのじゃないかと思います、神様は声もないとおっしゃるけれども、その神様を信じた、信じておかげを受けておる私が、声を以て話しをもって皆さんに聞いて頂いたわけですよね。どうぞ。



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