昭和47年9月1日 朝の御理解



昭和47年9月1日 朝の御理解

 御神訓 「生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ。」

 成程、天地の中という事でしょうねえ。天地の中より他に行く所はない、というのが金光大神の言わば死生観に伴うところのいろいろな考え方の一つだと思います。他にもありますからね。どこに行っておるかと、もう天地より他にない。だからその天地は、自分の住いと同じだと。ですから、成程そうであろうと思います。例えば仏教的に言う、十万億土ですか、と申しましても、その十万億土とてもやはり天地の中である。天地の親神様の言うなら、お懐の中、というのです。

 私共がいくら、理屈を言うて、バタバタしたところでです。どういう力を持っておってもです。やはりそうだと思うですね。だから結局私共の住いなのです。ですからその住いをです。いよいよ、住いよい所にしておかなければならない。小さな窮屈な家の住いよりも、大きな広々とした、明るい例えば住いであるなら、それの方がよいように、暗い闇の国のような、中に住むよりも、やはり明るい、光明世界の方が有難い。

 親鸞上人様は、地獄は一条の住みかぞかしと言ったような事を言っておられますね。自分の住いは、地獄が一番適当な場所だ、という訳でしょうねえ。そこに親鸞の限りない求道心、というものを感じます。魂の世界に入ってでも、やはり苦しい世界で、磨いていこう、と言ったような、そんな感じがします。人からは、いわゆる生仏様のように言われる親鸞上人様が地獄は一条の住家だと。そうしておれば、そこからもう他に、落ちる所はない。言うならば安心の境地と言うか、安心の住家だと。そこより以上落ちる事はない。極楽に行っとっても、油断をすると地獄さえストーッと落ちんならんという心配はない。これは信心の、所謂悟りの境地。

 私共は分かりやすくこゝのところを頂いて、成程、天と地とは、わが住居である。根の国であろうが底の国であろうが、地獄であろうが極楽であろうが、やはり、その天地の中にある。十万億土と言うてもやはり天地の外にあるのではない。天地の中にあるのだ。孫悟空が、仏さまに自分の神通力を自慢して、自分の意のままになる如意棒とか、また自分は、例えば千里でも二千里でも、アッという間に飛んで行って、帰って来る事が出来る、と言うて自慢をした時に、そんなら向こうの方へ行ってお前が何処まで行けるか、そこにお前が行ったという印を、壁に印を付けて来い。その位の事は気安い事ですという訳でしょう。

 もうそれこそ、ひとっ飛びに飛んで向こうの方へ印を入れて、帰って来た。そうすると、その仏さまが手の平を見せられたところが、孫悟空が書いておった、その印というのは、その仏さまの手の平の中であった。もうこれは、どんなに力があるとか、ないとか、というけれども、力があるから私は、と言うてももう、仏さまの手の中から、一歩でも出る事は出来ないんだと、そういう事を私は、あの西遊記は教えておると思うのです。それが私は一つの悟りだと思う。そこで私はここで、そうなのだから、その住まわせて頂く、その住居そのものを、いよいよ住いよい、不安のない、心配のない、明るい住居を、作っておかなければならない、と思うのです。

 それにはね、私共が、どうしても信心によらなければ、しかもその、信心しておりますと言うだけではなくて、日に日に生きるが信心なりと仰せられるほどしの信心がなされなければならない。中々その真の信心のきっかけと言うかねえ。昨日一昨日でした。指出の久保山さん達親子がああして毎日参って来ます。お参りさせて頂いて、もう大変な感動である。先生おかげを頂きましたと、話を聞くと本当に、びっくりするような今迄かってなかった、家の中での難儀な問題があった訳です。

 ところがね、家族の者、もう子供達に到る迄がです。その難儀を手の平の中に受けて、そして金光様、親先生、有難うございます。有難うございます、有難うございますと言うて、御祈念しておる姿を見せて頂いて、まあ信心とは、何と有難い事だろうかと、一家中で感動致しましたと。いよいよ私共が、親先生がおっしゃる真の信心を身につけさせて頂かねばならん、事をいよいよ痛感致しましたと言うて、お届けがありました。

 勿論その事は本当に、神ながらおかげになって、明くる日は、お礼を申し上げれる事になった訳です。信心とは、そのひと事ひと事を、です。そのひとすくいひとすくいを、です。言わば自分の手の平の上に受けて有難うございます有難うございますと、私は言えれる事だと思うのです。信心しよってどうしてと、いうのではなくて、しかも子供達までが、親先生有難うございます、金光様有難うございますと、そん時に言えれるほどしにお育てを頂いておる、という事。これからもこの信心を、いよいよ本当なものにしてゆかなければならない、と。そのお礼お届けをしておられましたら、親子の者が感極まって、感動された。そういう祈りとか、願いというものが、いかに神様に感動が通うのか。

 昨日から、私、今度の記念祭に出版される御本の原稿を読ませて頂いております。私の幼年時代の事なんか、例えば私の爺が、総一ちゃんや、喧嘩どもするこつじゃないぞ、一つだんくらせられたっちゃ、叩かれたっちゃ、腹を立てちゃならん、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと言よると、痛かつも腹の立つのもようなる、と言よった。それを私が十一、二才の時であろう、と思われる時に、そういう実際をね、感じた事が今にも生々しく残っておる事を話しておる。いやという程、しもやけのしておる上を、足を踏まれてです。もう本当に、あのナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと言うた、その事を覚えてる。

 そしたらその後に湧いてきておるのが、痛いからとか、歯痒いからではなくて、涙がぼろぼろ流れたという。これはそのままがナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと言うところに、仏様の喜びがあったであろう。いや今で言うならば、天地金乃神様の、感動がそのようにして伝わってきた、のだろうと言うておる。私が十一、二の時であったろうか、親先生と岸先生の信心問答を横で聞かせて頂きよって、たくさん事はいりません若先生一人でもよいけん、真の信者を作って下さい。本当の信者を作って下さい、と岸先生が若先生に、話しておられるのを横で聞いておって、その真の信者というのに、私がなろうとこう思うたら、もうその場におられない位感動して、ミカン畑に入って泣いた事を書いておる。

 久保山さんのそれじゃないですけれども、本当にこういうような事を、こういう時に、こういう風に、しかも家族の者が、その難儀な問題を、自分の手の平の上に一人一人が受けて、親先生有難うございます。金光様有難うございます、と言えれる事になっておった事がです。まあ不思議な位に有難かったとこう言うのである。普通で言うならもう、あんたがこういう事するけん、こういう事になるたい、と言わねばならないような事だったんです。

 それを家族中の者が、親子でそれを、手の平に受けて有難いと、お礼を申させて頂いた。その光景を神様が御覧になって、神様のお喜びもさる事ながら、明くる日までもその感動が続いて、そういう信心をいよいよ育てさせて頂く。ただ神様にお願いをして、どうしてこういう事が起ってくるだろうかと、言うのではなくて、その起きてきた時点を、手の平に受けて有難い、と言えれる信心を頂きたい。それを神様はお喜び下さらんはずはないですね。そういう願いは、その願いに光がある。その光が照り返って来ないはずはないですね。

 まだ母の背中にあって、母の里が麦生ですから、麦生から田主丸のひと下り下がった所に、常行寺という大きなお寺さんがあった。千二百軒からの門徒があるという大きなお寺さんです。そこにおんぶされて行きながら、夜の御法話を聞きに、爺が近所の人を連れのうて、母も丁度里歩きをしとったのでしょう。私を背負うて雨風の中を聞きに行っておるその情景を、私は母の背中の上でそれを感じとっとるです。有難い所に行っておるんだ有難い事だという事を。そしてどういう話を聞いたやら、その雰囲気は全然覚えんけれども、道中の事を覚えておる。それが今にも感動になっておる。

 そこん所を藪が両方にずーっとありまして、そこにシュロの木がずーっと植っとる。雨と風と、そしてシュロの葉が、奏でるひとつのリズムをね。私は母の背中でそれを聞いて、雨風にシュロの葉がカタカタカタカタとこう音がする。その音をです。何とも言えん音に聞いてる訳です。そして私が母の背中の上で、感動した事をね、生々しく覚えているんです。私はこれは何か夢かうつつかのようなもんじゃなかろうか。けれども確かに、そんな事があったと思ってね。もう五、六年前、繁雄さんと田主丸に時計を買いに行きました。それで繁雄さん、一遍ちよっと入ったあそこが常行寺じゃけんで一遍行ってみろうか、と言うて、五十年ぶりに、いわゆる私が、その寺を訪ねた。

 もう道はきれいにアスファルトになって、もう藪なんかひとつもない。やっぱあれは本当に私の心の中に何か、あれじやったじやろうかと、こう思うておった。それでも私は、お寺さんのたたずまいが好きですから、兎に角お参りして来よう、と言うて参ったら、大変な見事な、納骨堂が出来ておった。その納骨堂の前にです。もう五十年も過っとこげんも大きくなるだろうという、こんなに高いシュロの木が、移植したばっかりのようなのがずーっと植っとった。もう私はそん時も感動した。

 ははああの藪の中に、あったつを、ここえ移植して植えられたんだなと、いう風に思いましてね、繁雄さんやっぱりここにありましたよ、と言うて、新たな感動でした。その感動というものはね。私はもう本当にです。そういう、言うなら喜びの世界とは、感動の世界だと思うです。そういう世界に住みたい。おかげ頂いて有難かったというような有難いのではね。それは必ず消えるのです。けれども子供心に、まあだ私が四つか五つじやったでしょうが、まだ背中におわれとるのじゃから。

 それから十一、二の間に、私が本当に宗教的情操の中に育てられて、そういう宗教的感動です。もう一つの宗教的絵画にしてもです。その心の中に残っておる情景というものはです。絵にしてもよかろうと思う位です。そういうものがね、残っておるという事が素晴らしいです。それはおかげを受けたけん、こうという事じゃない。言うならこういう難儀な事を手の平の上に、乗せて有難い、とお礼を申し上げる。

 足が痛いほど踏まれたけれども、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、爺が言うておった事を実行したら、それに反対に、悲し涙でも腹の立つ涙でもない。何か分からないけれども、感動の涙が流れたという。そういう私は、信心の世界とはそういう世界だと思う。そういう世界をです。私共は、この世にもあの世にも、創っておかなければ。いや、この世に創っておくという事が、そのままあの世に、持って行ける事だと私は確信致します。

 昨日善導寺の原さん所の謝恩祭に併せて、店舗改装のお礼のお祭がございました。本当に有難い、お祭りでした。何故有難いかと言うと、自分達がさせてもらうというような、お祭りではなくて、神様が先に立ってして下さっておるというお祭。そんならあの改装でも、自分達が思い立って、近所がどこでん美しゅうなるけん、うちもいっちょどうかせにゃ、おかしかばいというような事で始めたのではなくて、もうそれこそ神様が急き込むようにしてです。さあ始めろ、さあせろと。いや神様そうおっしゃっても、まあ神様というのは高橋さんですけれどもね。だから昨日は、本当の恩人ですから、高橋さんにはどうでん昨日、のお祭りには来てもらわんならん。だから神様が、高橋さんを通して、急き込まれた。

 行かれるたんびに、こげなこつでいくもんか、私が設計をしてやるから、早うしなさい。さあもうしなさい、と言うて、言われるから、初めてお取次を頂いた。まあだそげな段じゃない、お金もない。とてもそげなこつ出来るはずはない。だから出来るはずないと思うとりますから、お取次を頂いても、まだまだと親先生が言いなさるかと思うたら、すぐ始めろじやった。

 けれども先生お金がない。さあそこは、お繰り合わせを願うて行きなさい、という事であった。もうそれは本当に、不思議な不思議なおかげの中に、しかもその、大工さんの仕事の上とか、いろんな材料を買わして頂く、もう全ての上に、もう本当に作る店ではなくて、出来る店だなと。そういうおかげの中に、それはささやかな小さい、間口二間か三間の小さいお店ですから、小さいささやかな店ですけれども。それが例えば、出来たという事がです、有難い。出来てきよる。だからこれからとても、ひとつ出来ていく事の為に、いよいよ。

 私があちらに色紙に書いてやってあるのに、私は豊かな心の世界に住んでおる。だから豊かなものの世界にもおるという意味の事を書いておりました。豊かな心の世界に住むという事。叩かれたから、どうしたら叩くか、と言うて返すようなもんじゃなくてです。叩かれて有難いなあとか、叩かれて金光様、と言よったら、有難いものが頂けたというような、言うなら世界なんです。豊かな心とは。お金を沢山持っておるから、その人が豊かな生活をしておるかと言うたら、決してそうじゃない、です。成程、それは立派なお家に住んで、立派なものを着たり食べたりしとりますけれども、心は実に貧しいです。それは豊かな生活とは言えないでしょう。形の上に豊かなごたるだけであって、心が豊かでなくて、どうして豊かな生活でしょうか。

 だから信心はまず、豊かな心の国に住まわなければならん。その精進が第一である。そこには、豊かなものの世界に住む事が出来る。そん時に初めて、有難い勿体ないというおかげの世界がある訳です。その事を聞いて頂いた訳ですけれど。いよいよ出来てくるおかげ。合楽の組織は作ったのではなくて、出来たのだという風に私が言っておりますように。ですからもう出来た組織というものは、もう組織に縛られるという事がない。縛られにゃんごとなる時はもう組織の方が大きゅうなっとる。というようにですね、整然とした、言うならそういう生き方がです。この世に出来てくるおかげを頂かして頂けたら、整然とした豊かなものの世界、おかげの世界に住む事も出来る。

 それはそのままあの世にも持って行く事が出来るというおかげ。ただ物があるから、金を持っておるから、それをあの世に持って行くという事は出来ません。けれども心に伴うてきたもの、豊かな国に住んでおるから、豊かなおかげを頂いておくという。これならばあの世にも持ってゆけるものだと私は信じなければ、信心は、言うならばないと思う。それを信ずるところにです。限りない精進もまた惜しまんですむ、おかげが受けられるのです。益々豊かなものの世界に住む事も出来る訳です。生きても死んでも天と地はわが住家と思えよ、と、まあこういう風に教えておられます。それは掴み所のない位素晴らしい大きな、御教ですから分かりません。

 けれども成程、孫悟空の物語の中から、聞いて頂いても、自分の力で極楽に行こうとか、もう言うなら天地の外に住もうなんてんと思うてもですよ。これは出来まいと、まず思う。例えば地獄も極楽も、言うなら十万億土も、やはり天地の中にあるのだという事。ですから現在、私共が天地の中に、天地の御恩恵の中に、生かされておるその御恩恵を、御恩恵として、悟らせてもらう。お恵みをお恵みと分からせて頂いて、お恵みに対するところの神恩報謝の生活をいよいよ本当なものにしていく。

 そこにそのまま、いわゆる死しても天と地とはわが住家と仰せられる。そういう素晴らしい、言うなら光明世界とでも申しましょうか、に住む事が出来る。もうあれは椛目の泰子の五十日祭を仕える何日か前でした。段々五十日祭が近づくに従って、おかしい事だなあ、所謂ちょっとお届け帳に、そのお届けをさせてもらうのに、故池尻泰子とお届けせんならんのに、ただ池尻泰子、と思いよって書くのです。だから後から故という字を小さく書かにゃいけん。これはおかしい事だなあ、それこそ涙一滴、例えば悲し涙というものは出らなかった。神様にお礼を言い続けてきとったが、これはおかしいなと思う位じゃった。

 『そしたら御神眼に、無という字を、丁度屋形船のような感じで頂いた。屋形船の所に赤い提灯が四つついておる。その赤い提灯がです、水に映って、また四つついておる。それが無という字の一番下の点々に見える。素晴らしい事。お徳の船に乗らせて頂いて、しかもそれなりのものではあっても、光を持って行っておるという事。無という事は空しいという事。無くなっておるという事。けれどもこういうおかげの世界に住んでおるぞと、言わんばかりに、そんなお知らせ下さった。しかもそれがカラーですからね。その明かりが赤なんです。下の点々の四つの提灯が水に映っておるのも、赤く水に映っておるといったような、情景を頂いた。

 確かに疑う訳にはいかない。こういう世界があるのだ。光を持って行かなけばいけない。あの世には、言うなら泰子は泰子なりに、自分の住う有難い言うならば、あの世に住う世界というものが、あの人の上にあったという事を思います。』ですから私共が、こうしておかげを頂いて、この世におかげを頂いておるうちにです。我情我欲ばかり言わずに、本気で久保山さんじゃないけれどもです。どのような例えば、このような汚い事、このような困った事をです。手の平に受けて有難い、とお礼の言えれるところの、信心をいよいよ身に付けていきたいと思います。そしていよいよ真の信心をさせて下さいという願いに立っての信心にならせて頂きたいと思う。どうぞ。                           



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