昭和47年7月16日 筑水地区青年信徒研修会に於ける親先生の御講和
講題 「和賀心時代を創る」
私共が助かっていくということ、これは勿論おかげを頂かねばなりませんけれど、おかげを頂くという事の内容が、和賀心にならせて頂くと申しますか、天地書附に生神金光大神、天地金乃神に一心に願って、おかげは和賀心にありとおっしゃる。
その和賀心にあるところのおかげをもって、私は金光教の信心のおかげだというのだと思うです。
様々な信心がございます。同じお道の中にありましても、やはり同じ金光大神の教えを頂きながらも、ひとつの流儀とでも申しましょうか。例えば、いうなら、久留米流があったり、甘木流があったり、又は合楽流があったり、それはあってもいいと思いますし、又なからなければなりません。
なかなか、皆んなが百人百様というわけにはまいりませんのですから。金光大神の教えられる道は大きい。ですから、こうでなからなければならんとか、ああでなけれはならんといったような事がない私は思う。
先日親教会の大祭で、西原教会の教会長先生がお話になっとりました。その中にある教会の話が出てましたが、沢山の人がやっぱり助かっておる。
それにどういうような事で助かっておるかと言うと、殆どが病人が多いと、どういうふうな助かり方をしておるかと言うと、そこの親先生という方が、病人が参ってまいりますと、どこが悪いと聞かれて、それから、私の傍にお出でといわれて、傍に行って着物の帯をほどかれた。
そしてその手を、指圧のような事じゃないでしょうか、まあ、おさすりと言うてもいいかもしれません。
ところが不思議に人が助かる。ですから大祭ともなると、それは千台くらい自動車が集まる。先日から聞かせて頂いた。ここは又、霊様専門、先祖の何代前の霊が助かっていない。それに霊様のお祭りをすると助かるんだと。
まあ言われておる通りにすれば、なかなか商売も繁盛してくるし、病気が治ったりもすると。かというと、大変な御祈念力をもっておられる親先生ですから信者一同も一生懸命にいわゆる拝む。御祈念力によって助かる。
まあ、様々な助かり方があるわけです。だから金光教の教祖が教えられた信心の中には、そういうものはないという事ではない。
やはり、どういうようなものでもある、まあいうなら、おいなりさん的な事で助かっておるというのもある。
只、お伺い所といったようなところもある。けれども、折角助からせて頂くならばいわゆる和賀心をもって助かる。和賀心によって助かる。はっきりと教祖がおっしゃっておられます。
今月今日只今を、和賀心にならして頂く事を願え、その和賀心におかげがあるのだと。なかなか、和賀心にはなれない。けれども、その和の心、賀の心を目指さして頂いて、お互いが信心の稽古をさせて頂く。
そこにそういう姿勢をさせて頂くところから、もう既に助かるというか、こうなってしまわなければ助からんという事ではない。
私は、これはまあ、合楽でございますけれども、ここに和賀心時代を創ると。これは今年の合楽の信心の焦点とも言うべきもの。
いやこれは今年だけに限った事ではない。これからのいうなら、合楽だけではない金光教の全体の人達が焦点にしなければならないところだと。そういうふうに私は確信させて頂く。それにはやはり、まず私共が和賀心というものが、どういうような働きをするものなのかという体験、和賀心になるという事がこのようなおかげになるという、しめさなければ如何に、そういう時代を創ろうと言うても、誰もついてはきません。
まず私の心の中に、まず私の一家から、私の周辺にその和賀心時代を創るという、ささやかな例えば運動が起こされるとするならば、めいめ各々がそのひとつのその、運動員にさせて頂いて、おかげを頂いてゆかなければならない。
それも説明だけではありません。私はかくおかげを頂いているという事実をひっさげてのものでなければいけないという事。
私共の長い間、お道の信心をしててまいりました。随分教えも頂いてまいりました けれども、教えに本気で取り組んだという事がなかった。それはここで人が助かるようになって二十一年になりましょうけれども、それ以前の信心、いうならば、私共の少年時代、青年時代という時代、ところが不思議にお願いをしておかげを頂いてきた。
私は大体が商売人ですから、商売人でいろいろおかげを頂いてまいりました。例えば、商売をするなら、例えば、売り場、買い場というて・・・・とこう、売り場、買い場を大事にする事を教えられた。
又、人が十銭で売るものは八銭で売るというような事とも教えられる。それの方が数が沢山売れるから、それの方が得だと教えておられるのにもかかわらず、これは私はの信心ですけれども、十銭のものは十一銭で売る事がおかげのように思うて、それはおかげ頂いたとこう。それでもやっぱり何十年間おかげを頂いてきたという事実がある。本当に沢山の御教えを頂きながら、教えを行するという事をしなかった。
一生懸命拝むという事はした。又、御用を頂くというような事もした。けれども本気でその教えに取り組んで、その教えを血、肉にして行こうとする信心を一つもしなかった。そして、岐路というか境になったのが終戦であった。 裸同然で引き上げて帰ってまいってから、そこから今までの信心ではいけなかったとはじめて眼が開けだした。
それから続けさまに兄弟三人の葬式をしなければならないといったような事が起きてまいりますに従って、私はの信心の眼(まなこ)が開いてきたという事になったように思えます。
そして本気で、例えば教えを頂こう、また、そしてそれを行の上に現わさして頂こうという事になってきだしたら、私が助かるという事ではなくて、人までが助かるようになってきた。
皆さんの場合はどうでしょうか。本気で信心をなさっておられるのかという事は、本気で教えに取り組むという事だと私は思うのです。
しかし私は、あの沢山の御教えがありますけれども、その教えのすべてが私共が和賀心にならせて頂くためのそれだ、教えだというふうに頂いてもよいと思うくらいです。和賀心を頂かせて頂くための教えと言うてもよい。
先程、青年会長の秋永さんが言っておりましたように、皆んなが、ぼちぼち心の時代を気づかせて頂きだした。
ところが、心、心というけれども、成程、心だけでは助からん。いやおかげが受けられん。例えば仏教的にいうならば、お釈迦様の教えを頂いておる人達がです、助かっておるというのは、非常に苦労が要るようですねぇ。例えば、れは何とか法師でしたねぇ、「善し悪しを、捨てて起き上がりこぼし哉」
様々な難行苦行をさせて頂いて、善し悪しを捨てさせて頂くところまでは、仏教でおかげ頂けるようです。いわゆる、あきらめ。
それはただし、自分が善し悪しを捨てるという事によって、助かるわけです。
例えば求めるものをなくする精進をすれば、もう与えられなくても、そこに苦しみはない。難儀はない。そこで、求めるものをなくする修行をする、といったように、お釈迦様の思索の中から生まれた、いわば宗教である。
金光様の例えば御信心は成程、心です。けれどもそれが、和の心が段々出来てき、賀の心が常じゅう頂けるようになってくると、その心におかげが伴うと。
自分だけが助かるのじゃなくて、おかげが頂けるようになる。これは願い、頼みはしなくても、おかげの方がついてくるというおかげ。
私共が長年信心をさせて頂いて、只、お取次を願って、助かってきた。お取次を頂くという事をしてない、只、お取次を願うだけであった。
今朝からのここの御理解ですけれども、今までは片便の願い捨てであったと。それでもやはり一心を立つればわが心に神がござるから、おかげになるのじゃという御理解がございます。
一心を立てるからおかげになる。此方が祈るところは、天地金乃神と一心と最後におっしゃっおられますが、その一心というのと、一心に願うというのは、字は同じであるけれども違う。此方が祈るところは、天地金乃神と一心という一心と、只、がむしゃらに願うという事の一心とは、一心の内容が違う。
只、私共の場合は金光様の御信心を頂いておったけれども、只、一心に願っていうなら、お取次を願っておかげを頂いてきたというだけであった。
お取次を頂くという事がなかった。お取次をさせて頂いて、私はそれを実感するのですけれども、皆さんが様々な難儀な問題を願われる。お取次をさしてもらう、そこには、神様のお応えがある。それが教えである。
それを皆さんは頂いて帰らねばならぬ。願うだけではいかん。お取次を願い、お取次を頂いて帰るというところに、金光様の御信心がある。そこから信心がいよいよ、成長してくる。
私共が、天地金乃神と一心と教祖がおっしゃる。この一心という事は教祖様だけの専売特許ではなくて、お道の信奉者の一人一人が、天地金乃神と祈るところが一心というところになってこなければいけないと思うのです。
それで、私は今日一心という事をこのように説明させて頂いた。例えば私共の信心というものは、それこそ、ひと雫の水のようなものである。それが谷川に入り、川にそして大海に流れ出る。
ひと雫の水ではあるけれども、谷川に落ちれば、もう谷川の水であるという事。
川に落ちればもう川の水である。大海に入れば、もうひと雫の水ではあるけれども大海の水であります。天地と一心とはそういうような事です。
それをもう少し、具体的に言うと、どういう事かというと、任せるという事なんです。一切を神様にお任せするという事。任せるという事が天地と一つになれれる唯一の道であり、天地に交流する唯一のル-トである。
しかも任せただけじゃなくて、任せてすがってゆくというところに信心がある。
これは私が二十数年前に信心の上であるわからない問題にぶつかって、毎月御本部参拝させてもらいますから、その当時の、三代金光様にお伺いをさせて頂いた。
そしたら御教えを頂いた。「氏子が神様任せなら、神様が氏子まかせになると仰せられますから」という長いお言葉であった。
氏子が神様任せなら、神様が氏子任せになると仰せられますからと。そこで私は腹が決まった。いわゆる神様任せ。神様任せになるという事は、神様も間かその氏子任せになって下さるという程しの事ですから、ひとつになる。
ところがなかなかこの任せるという事が難しい。今朝からも、一、二の例をもって話させて頂いたんですけれども、佐田さんという久留米から、熱心にお参りしてくる信者がある。此方はもう、十四、五年前に、御神縁を頂いた方なんです。
結婚されて、六年間子供が出来ない。それで子供が頂きたいというてお願いに参ったのがはじめ。そしておかげで早速懐妊のおかげを頂いた。
それから一年をおいて又、げを頂いた。それから又一年おいて又おかげを頂いた。 おかげで三人おかげを頂いた。ところが上から娘さんばっかりでありますから、今までは孫が欲しかったんですけれど、娘ばかりでもありますし、だからもう三人目にはもう処置せろとこう言う。
それで嫁さんがここにお願いにみえましたから、今度いっぺんだけは頂きなさい。 もう、親が何と言うても今度いっぺんだけは頂けと。それでもう、その後からの話ですけれどもね、おばあちゃんが嫁さんの大きなお腹を眺めるじゃなくて、もうにらみつけてからね、もう本当にどうした人じゃうかというて、言うとった。
ところがいよいよ出産間際になりましてね、それから少し産気ずつたごたるからと言うて、お願いに御主人がみえられました。
そしたら私がお名前を頂いた。娘ばっかりでしたけれども、恵介と頂いた。ははあ今度は息子ばいなあと思いよった。それで頂いた名前を差し上げました。
おかげで三人目はいわゆる息子が生まれた。佐田家の後とりがいわば手出来たわけです。その時はじめておばあちゃんがお礼に出てみえたのが、おばあちゃんの御神縁の始まり。そしていわゆる懺悔をされたわけです。本当に神様にお願いして、続けて娘ばっかりでしたから、又も娘であったらと思うて、それこそ嫁の腹を睨み続けてから十ケ月。ところがおかげで息子が出来たというてまあ大変な喜びでした。
それからおばあちゃんも御信心されるようになり、御主人も御信心されるようになり、もうそれから熱心に信心をするようになり、毎日、親子孫達まで入れて五人で毎朝参ってくる。そして又昼の御祈念にも参ってるというように熱心になって参りました。いっぺんなどはこんな事があった。
皆さんも御承知でしょうけれど、久留米に佐田与という、それこそ天下の佐田与と当時言われた大きな乾物の問屋がございました。
そこの分家に当たるのです。いわば十何代も続いたというお家ですから、いわゆる久留米の老舗であります。
ところがこういう時代になってまいりましてから、倒産を致しました。その倒産をする、しないの騒がしい時に丁度ここの月参りでしたから、私と一緒に御主人が参った。こんなわけでから、参れんと言うて来た。
けれども私は、その事はそれこそ神様にお任せして、お参りをしなさいというのである。そのお参りをしとる間におかげを頂いた。
というのはね、その佐田さんの家、屋敷というのが全部そこのための抵当になっておった。それからその証書が書いてあるのに、判の押しどころが違うとったそうです そこで佐田さんの判がなからなければ出来ませんので御本部の方へ電話をかけられた。もう金光町の旅館という旅館に全部かけた。
けれどもどこにも佐田さんが居ないから仕方がない。私はその時にかぎって、山口の教会に用事があって、自動車で行っとりましたから、山口の方へ一晩泊まりで行っとった。その間にこちらは倒産してしまっておった。おかげで佐田さんの方は倒産をまぬがれた。というようなおかげを頂いて参りましてね、もういよいよ信心が熱心になっておいでられたわけです。
昨日でした。朝の御祈念に参って来て、お届けをされます。そこの二番目の娘の富美恵さんというのが、もうそれこそ、せき殺すのじゃなかろうかというくらいに、お神酒さんを頂かせようと言うてもね、そのお神酒さんを頂かせようがないくらいに腹がせく。大変心配をしました。
ところが奥さんの方がしっかり信心が出来ておりますから、その時に感じました事なんです。日頃、近頃親先生がおっしゃる神様の前に、それこそしみじみ御祈念、しっとりとした御祈念をさせて頂こうと思うた。
それから御神前にぬかずかせて頂いて、御神燈を明々とともさせて頂いて、それから御祈念にかかられた。そしたらね、御神燈のおロ-ソクにおいさみがパチパチつかれた。長い々御祈念だったらしい。その御祈念を終わられたた時には、さしものせき殺すようにせきよった子供が、ケロッとおかげ頂いておったというて、昨日お礼のお届けがあった。
ところがです、又昼お参りをしてみえました。その後に今度は熱が出だした。四十度からある。その時はさずがに御主人もおはあちゃんも皆んな心配しておられた。
けれども親先生にお願いしてある事だからと、いうなら、任せ切ってです神様へのおすがりが・・・・・。
今朝はそこまでお話しておったのですけれどども、今日の朝の御祈念にその子供も連れてからお礼参拝して来ておった。
やっぱ熱も下がっておかげ頂いた。今日は○少の方へ参加しとるというようにおかげ頂いた。任せるという事がどんなに素晴らしい事がわかりますけれども、これはお互いがそこまでの信心を頂かずして、任せよると、任せそこなうわけです。
ですからこれは佐田さんのものであって、各々のところでこれは段々おかげが本当にどのような場合であっても、任せきれるという信心をひとつ目指しとして、おかげを頂いてゆかねばならんというようなおかげ頂いておるのでございます。
任せきるとい事は素晴らしい事です。成程、神様がその氏子任せになって下さる。 それが天地と一心という事につで繋がってくる。金光様の御信心はどこまでも私は金光大神を取次き下さって、天地金乃神様との交流だと思う。
先日もある教会の先生がお参りをして来て、もう布教に出られて三十何年、ところがまあ、ぼちぼちやっておられるというところです。
先生、合楽では人が沢山助かっておられるようですが、どうい信心させて頂いたら人が助かるだろうか。それは、ああた真の信心をすりゃ、真のおかげが受けられますよと。その真のおかげが三十年間、真の信心、信心と目指さして頂きましたけれどもその真の信心がわかりませんというわけです。
やはり真の信心、信心と言うておるだけではね、やはり真の信心にはなれない。
私はその事をお取次させてもらいよったらね、こんな大きな木にこうやって抱きついておられるところを頂いた。これではやはり交流しません。
それは真の信心という事を言うだけでも有難いのですけれども、やはり真の信心、信心と結局手元のところから、足元のところから、今日の御教えを本気で行ずる気にならなければ、只、真の信心、信心ばっかり言うとっても、真の信心がわかるはずもなければ、真の信心が身につけはずもない。
同時に真のおかげに展開してこないはずはないという事になるのであります。
まあそれから下がっていろいろ、話したんですけれども、私は本当に思うですけれどもね、教祖様は天地日月の心になること肝要なりとおっしゃるのですから、やっぱり、天地日月の心にならして頂く精進を本気でしなければいけんのじゃないかという事。
これはまあ、私なりの解釈なんですけれども、天の心はいうのは、もう限りない美しい心、限りなく与えて与えてやまない心、これが天の心だと私は思う。
地の心というのは、黙って受けるという、どのような汚いものを持ってきても、それを黙って受けて行くという、これが地の心。しかも日月の心。
日月の心ほど、いうなら実意丁寧なものはない。実意丁寧という事は、日月のごとく実意丁寧でなけれはならぬ。いうなら、正確無比である。
天地日月の心の心になる事、肝要だと教えられるのですから、ここんところに、ひとつ取り組んだだけでも、私はお徳が受けられるなと思うて話した事です。
そしてその内容中身を、天地日月の心ともわからず、只、取り組んできた事が、そのまま、ははあこれが天地日月の心であったんだなと、わからせて頂いてきた、いうなら、二十年の信心を聞いて頂いた。
引き上げて帰って参りましてから、商売をさせて頂いた。もうそれこそ置いたものを取るように、もう私の場合本当に置いたものを取るように、親先生の御取次を頂いておかげを頂いた。
けれどもそれは束の間であった。後は今度はそれと反対に右と願えば左、左と願えば右という事になってきた。しかし、その頃はすこし信心の有難さがわかってきておった。そこで親先生に、お取次を頂いて、親先生、どうぞ右になりますように、左になりますようというお願いはもう止めました。
親先生どうか、私はのような者でも、天地の親神様の願いというものがかけられておるに違いない。これは一人一人の人間氏子の上にかけられた神の願いである。そういものがあるというふうに気ずかせて頂いた。
そこで、どうぞ右になりますよう、左になりますようにではなくて、私の上に、勿論、私なりに一心の信心をさせて頂いて、起きてくる事、最近私が言っておる事の中に、合掌の生活、拝み合って行く生活というのは、教祖の御教えに、信心する者はこれから先、どのうような事が起きても驚いてはならんぞとおっしゃる。
信心さして頂いて、変わった事が起きてきたら、それを有難いと心得させて頂く信心。同時に、どのような事が起きても、驚かんですむという信心、そういう信心、そういう頂き方が私はその事を合掌した姿だと、最近みんなに聞いて頂いとります。
只、自分の都合のよかもんだけを拝むということじゃいかん。神様だけは拝みよりますというのじゃいかん。起きてくる事柄がです、それはもうびっくりするような事が起きてまいりましても、それは驚いてはならんとおっしゃるから、驚かんですむ信心を、いわゆる日頃鍛えさせて頂く。
信心して変わった事が起きてきたら、おかげと心得て、だから、どういう事が起きても、それをおかげと頂かせて頂けれる、いわゆる心と心とが合った時に、これが本当に合掌して受けた姿である。
この合掌の姿、ここからよいものが生まれてこないはずがないというふうに言っておるわけです。
今からして思うとです、私はそういうおかげの頂かれる私にならして下さいとお取次を願って事になるのです。
私、大坪総一郎、いうなら、屑の子私に、こういう男にでもです、神様の願いというものがあろう。私にかけられる願いが。
その願いが成就する事の為ならはです、私の上にどのうような事が起きても、それを合掌して受けますという、お取次を頂いた。
起きてくる事に不足は言いません。どうい事になってきてもというわけです。今から考えてみるとです、いうならば、どういう事が起こってきても、おかげと心得ますどういう事が起こってきても驚かんでそれを頂きますとこう決めた。
それから私の信心が一変してきたようであります。様々な事が起きてまいりました もう、当時椛目で私の話を聞きたいと言うて、集まってくる方達が段々多くなってまいりました。しかも聞いて下さる人達がどんどん助かって行く。
一番おかげを頂いたのはもう金銭のお繰り合わせでしたですねぇ。もうこれは驚くばかりでした。ですから今でもそういう傾向があります。まあ、合楽流とさっき申しましたがね。合楽は田園教会の田んぼの真ん中にあるのですけれども、ほとんどがやはり商人であり、何か事業をしておるという。
お百姓さんでも他に何か植木をやってるといったような人がほとんどです。純百姓というのは何人かしかおりません。こういう田舎の教会ですけれども、ほとんどが商売人です。
それにもう手形でん何ですですねぇ、もう時間ぎりぎりでお願いにくる事がある。もう見事におかげを頂く。
これはやっばり私はがそういう事で一生懸命修行させて頂いておるからでと思いますねえ。というようにですね、段々、椛目でも人が助かるようになってきて、それはもう本当にまあ、例えて申しますとですね、はじめて参ってきて、お金を貸してくれというたり、お金を下さいという人があっても、もう私はそん時に、お賽銭箱をひっくりかえしてあげました。又貸しました。
けれども返ってきたためしはいっぺんもございませんでした。それは金銭だけの事ではありません。もうその時分に何十人、もう棒にもはしにもかからんといったような病人が、又は妙ないろんなのが、当時の椛目に預かってくれとか、お願いしますというて、もう北野から参りました人なんかは、十二の小児結核で、もう赤ちゃんのごと、こもうなって、もうこうしてかかえるごとなっとる。十二になるけど。
それを親が連れてきました。そして、二、三日毎日来よったけれども、それから来んごとなって、椛目にほったらかしてしもうた。そういうようなのが、これはいけんこれは困りますというて断らなかった。
盲目のおばあちゃんを連れて来た。家内はなんかもう、そのおばあさんにかかりきっとかにゃんという感じでした。
今から考えてみますとですねぇ、はまっておるという事は素晴らしい事です。あれが、しろしい、しろしい、どうしてこげな人ば面倒みらにゃんだろうかというような気持だったら、とても出来なかったですけれども、もうとにかく、神様が私に下さるものならば、よしにつけ、悪しきにつけ、もうそれこそ、夏もお小袖で頂こうという気になっとりますから、もう本当にそれはまあ、いうなら見事に受けていった事になります。それも私は、どういうような事になるのかわからんなりに、そうやって受けていった。
そういう事が四年半続きました、きっちり。丁度、四年半目に、私がお知らせを頂きましてね、神様から、ほうれん草をね、あのポパイが頂くやつです。あれを食べると力が出来るというやつです。
確かにやっぱそうです、そういう意味の事も含まれておったんだと思うです。ほうれん草を畑からひきぬいてきたばっかしのを、まあだ泥もっちったついとれば、ひげもついとる。赤い葉もまあだついとるというような。
そして神様が私にお知らせ下さるのにね、今までここ四年半はね、このほうれん草のひげも、いうなら、泥がついとって、ジャキジャキするようなのでも、又は赤い葉でも、みんな頂いてきたようなものであったという事。
しかし、それはあんまりの事であるから、これからはです、ひげもむしれ、泥も落とせ、しかも赤い葉はとってしまえと。そして、滋養になるところだけを頂けというようなお知らせを頂いたのが、四年半目でした。
ところがもうそれっきりでしたですねぇ。当時の椛目にお金を借りに来る人もいなければもらいに来るひともいない。
勿論病人さんを預かっといてくれといったようなのも、全然ありません。只、入ってくるのは本当に信心修行がしたいと言うて、来る人ばっかりでございました。
考えてみますと四年半という時代はお試しの時代であったなとも思うのです。その頃から当時の椛目では成り行きを尊ばせて頂くという事を言いだしました。
私の上に起こってくる成り行きそのものを大事にせよと言うておりました。しかしそれがまあだ真の信心とは気がついてなかった。
段々おかげを頂いてまいりましてです、おかげを頂き、まあ、様々な問題も沢山ございましたけれども、その問題の全てがおかげでございました。
そしてね、最近わからせて頂いた事なんです。私共は神様を拝むと言うて、いわゆる棚の上やら、八足の上にお祀りしておる神様だけは、かしこみ、かしこんで頂きもすりゃ拝みもするのですけれども、神様の働きそのものを、大事にしていないとするならば、もう神様をおろそかにしておるという事になるのじゃないでしょうか。
如何に神様を有難さそうに拝んでも、神様の働きそのものを、粗末にしたならば、もう神様をお粗末にしておるという事になのじゃないでしょうか。
さっきから申しますように、これは大坪総一郎だけではない。人間氏子の一人一人の上に、神の願いというものがかけられてあるはずなのだ。それを気づくか、気づかないかという事が信心。
気づかせて頂くところから、その神の願いに応えようという信心が生まれてくる。 又、いよいよ神の心の奥がわかりたいという求道心も生まれてくる。私の上に起きてくる一切のこと、だから私の前には、問題がない。問題の性質をよく見てといった事を言われますけれども、私にはね、もう見るも見ないもないのである。
その問題を通して、問題のおかげで私の信心、いうなら信心の糧なのだから、ひとつも問題じゃない。いうならば、有難いばかりである。その問題のおかげでこんな事がわかる。その問題のおかげで一段信心が飛躍する。
いうならば、問題のない社会、問題のない生活が出来るようになる。そこでです、お互い一人一人の上にも、起きてくる様々な問題そのひとつひとつが神様があなたに願われる修行であるいう頂き方。それが成り行きを大事にするという事でございました。最近では、その事がいよいよ確かに、そうだな、真の信心、真の信心というけれども、真の信心とは、神様をいよいよ尊ばせて頂くという事。大事にさせて頂くという事。それは、只、お祀りを申しておる神様だけを大事にするのではなくて、神様の御働きそのものを、大事にするという事が、真の信心だというふうに、これは私は確信をもってそれを言えれるように、最近は感ずるのです。
教祖様が天地日月の心になる事肝要なり、とおっしゃた事に段々近づいてきたわけです。もちろんこのように信心が段々わかってまいりますからね、勿論、限りなく美しゅうならせて頂くという事、段々我情もなくなり、我欲もなくなってくる。
そして、最近又ここで新たな言葉をもって言っておる事は、いうなら、御事柄という事であります。全ての事の中に御の字をつけよとゆうのです。
損になる問題であっても、それを御事柄として頂く、神様が私に下さるものとして頂くという事。これは素晴らしい事になってきております。
先程、話しました佐田さんの子供の病気なんかでも、これほど神様にお願いをしてお縋りをし、お任せしきって起きてくる事であるから、神様の御事柄として、これを受けさせて頂こうじゃないですかお父さん、よし、これが生きるとか死ぬとかもうあなたにお任せしてあるのですというのです。
なるほど、天地と一心になるはずだと思う。そこまで任せ切った時、命までも任せた時に、はじめて天地金乃神と一心なりという事になるのです。
同時にその事がです、天地日月の心になる事だと私は思います。私の言うところの真の信心ですよ。私はかく信じておるという事、はじめの間はわけはわからんなりに只、私の上に起きてくる一切の事柄をです、例えば修行として受けますと、私の上にかけられた願いが成就していく事のためならば、それを黙って受けまとすいう、只、修行というつもりで受けておった事がです、これは大変な事だったと気づかせて頂いておる。
そして振り返ってみてです、ははあ、あれが天地日月の心になってきた、肝要だとおっしゃるところを私はまあ、曲がりなりにも頂いてきたという事になる。
そしてその事がです、もう神様の御働きとして受けられるから、例えば事柄等ではすまされない、御の字をつけなければおられないというところまで、高められてきたように思うのです。
甘木の初代なんかが御物とおっしゃったそうですねぇ。それこそ枯れ葉、枯れ枝、一枚、一本でもおろそかになさらなかった。それとても神様の御物ばいと教えられたように、それは、枯れ葉枯れ枝にも等しいような事柄であっても、もうそれは、いらないと思うような事柄であっても、私はの上に起きてくる事ならば、私に向けられたものと気がついたなら、それをおし頂いて、頂くという事が私は真の信心だというふうに思うのでございます。
神様の願い、立教神伝にもう、あの一言、一言が大事ですけれども、中でも神も助かり、氏子も立ち行くという事、これが大体に神様の願いではなかろうかと思うです 神様と氏子が、いわゆるあいようかけよで助かり合うてゆけるという事。
立ち行くという事、それが神様の願いであり御神願いだと私は思う。だから、金光様の御信心を頂く者は全部その御神願に応え奉るという姿勢がまず出来なければならん。それを私は、和賀心時代を創るという、これは私が創るというのではないですね この創るという字は、これは天地金乃神の願いである。神様が創ろうとなさっておるひとつの働きである。
そんなら、金光教の信心させて頂く者の一人一人はです、本気でひとつ和賀心を目指さなければならないじゃないかと。
どのような問題があっても、どのよらな難儀があっても、その中からこれをいかにして和賀心で受けていくか、和賀心にならして頂くかという事に焦点を置いたらよい わからんなら、そのわかる事のために本気でひとつ修行したらいいのである。
昨日、朝の御理解に皆さんに聞いてもらった「神に会いたいと思えば庭の口を出てみよ、空が神、下が神」という御教えがありますねぇ。
まあ、これは金光教のいうなら、神観なんです。金光教ではどうゆう神様を拝んでおるか、庭の口を外へ出てみなさい。空が神様です、下が神様です。金光大神が拝まれた神様はそういう神様だと。
説明やらわかってといわゆる神観では私はすまされないと思う。教祖の神様がたとえ畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、神の中を分けて通りおるようなものじゃという教祖の神様を感じられる実感なんです。
朝露がいっぱいうっておる中を、私共がその【】なり【】なりを押し分けて、さわ々と音が聞こえてくる、その朝露が足元をぬらす、そういう実感。
神様の中をわけて通りおるようなものじゃと。教祖の神様の前には、もう空を仰がれ、天地を拝まれた時、いうなら森羅万象全てが、天地の親神様の姿に見えられた。 又は神の声に聞こえてみえた。神様との交流、天地との交流がそのようにしてあっておったんだと。
だから、天地が神様だとわかっただけではなくて、天地をそのようなふうに感じれれるところまで、信心を進めていかなけれはいけない。
天地が奏でて下さるところのリズムに乗った生活を私は信心生活だと思う。だからよしにつけ、悪しきにつけ、そのリズムに乗っての生き方ですから実に楽しい、有難い、もう信心が楽しゅうてたまらんという人はそういうところの体得が出来ていきよる人だと私は思う。
昨日の御理解の中にも話させて頂いたんてですけれども、朝方私、お夢を頂いた。 そのお夢というのが、ここの御信者さんでお国替えをなさった方達が沢山集まってる、丁度ここの御広前のようなところで輪をかいてる。あらあの人は亡くなっなっとったがという人達ばっかり、霊さんばっかりなのです。
そして、その霊さん達がね、一生懸命に信心共励会をやっているんです。お夢の中でですよ。その中に私もやっぱり入ってるわけです。
中に高山さんというおじいさんがおりました。もうざっくばらんてな大変おもしろい人でしたが、そのおじいさんがね、今日お夢の中で親先生本当にね、あちらにおる時にあれほど大変な御教えを沢山頂きながら、その教えを行じてなかった。
お参りを一生懸命にさせてもろうた、修行もたいがいさせてもろうた。教えを頂いて、頂くたんびに有難い有難いと思いよったけれども、私の信心には、先生、的がなかったとこう言う。
私共過去何十年の信心を思うと、やっぱりそれもあった。お取次を願って、おかげだけは頂いたけれども、お取次を頂いては帰ってなかった。しかもね、信心の目当てというものがなされなければ、どういう素晴らしい修行が出来、御用が出来ておっても、その霊様じゃないけれども、それではいけなかったと気がついたんでは後で気がついたんでは遅い。
早うひとつ、当てというものを造らなければいけん。それを私は金光教では何と言うても和賀心という事に焦点を置くことだと。
どんな事でも、どんな事柄でもです、和賀心で頂こうと、頂けませんけれども、頂こうという姿勢だけは作らなければいけない。
いうなら、和賀心という大きな的をそこにはっきり焦点を置いて、そこへもって、百矢の稽古をするならば、そこに目当てを置いて、弓矢の稽古をしなければならんという事なんです。
どうでしょうか、皆さん達の場合、何かそうした信心の目当てというものがあるでしょうか。いや、目当てがあってもです、それに向かって精進なさっておられるだろうか。精進をいたしますならば、もう、それこそ一歩づつでも、それに近づいていく事で出来る。それを私はね、ここ二十数年の信心で感じます。
それ前の何十年間という信心は信心は、只、おかげは頂いてきたけれど、漫然として教えの一つも身についてなかったという事。
そしてはじめてね、裸で引き上げてたなければならないてような時にです、今までの信心では駄目だったと気づかせてもらって、ようやくその事に取り組ませて頂く事が出来るようになった。
私はもっと々、それは朝晩、天地書きつけをみんなが奉唱させて頂いとりますよねだから奉唱だけではなくて、生活の中にです、私共信心のひとつの穂の目当てとしてです、そこへ向かって、例えば、こういう苦しい問題をです、それをいかに有難く頂かせて頂くかというところの信心に、いよいよ焦点を置いて、そこにしぼらなければいけない。
丁度、昨年の夏期修行の時だったでしょうか、佐藤という修行生がこちらへまいりました。なかなか熱心な人でした。
それがこちらへ参りまして三日目だったでしょうか。先生今日はこういう不思議な事があったと言うのです。
たの神様と霊様のところへかけてね、大きく平和奈心と書いてあった。何べん見ても書いちゃる。ははあ、これがいつも聞かしてもらう御心眼というものだろうかと思うた。しかもタイトルつきである意味が書いてある。その平和の和という字がね、一八、十(プラス)という事になる。「平」。そして、それを平というのだと。
それから、和という字はどういうふうに書いてあるかというと、もうそれこそ鉄筋コンクリ-トで作ったのであろうかというような頑丈な和という字であった。
それこそどうどげな金槌で叩いても壊れまいというような和という字であった。
奈という字は、大きく示すとタイトルにもある。心という字は八の字ばかりでできておるというような字であった。「心」。
「平和な心」これが合楽で修行させて頂く信心の焦点、いや、これかから取次者として、又はお道の信奉者として、これを目当て、これを焦点にして信心のあなたのかけ守りのようにという御理解であった。
さき程から私かお夢に頂いたという、霊様達の信心共励会の中でね、生前自分の信心は永年させて頂いた、教えを随分頂いた、日参もこせてもろうた、修行もさせてもろうた。御用も頂いたけれども、何とはなしに、只、漠然とそうしただけであった。 私の信心には先生目当てがなかってと言うておる。弓矢の稽古をするのに、的なしにもうあっち向いたり、こっち向いたりしてから打っておるようなもんですから、ひとつも上達してないという事である。
やはり信心がね、限りない上達をとげていかねばいけん。それこそ死ぬるまでが修行です。学者が年をとっても、眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞい、とおおせられますように、学徳が確かに身について行く事が楽しいのですよね。学者は。 読まにゃおられん、勉強しなければおられんのである。信心も同じ事。もう幾つまで朝参りするばってん、幾つから隠居しょうなんてんような考えはおこるはずがない 私共も思う、体が弱ってず-っと、一日中お水を頂いとかにゃならん。ですからまあ、いつどうなるかわからんけれどもです、その、どげなこつがあるまでは、私はお結界の奉仕をさせて頂くお許しを頂かにゃならんと思うとる。
もう七十になったら、いっちょ若先生にゆずって隠居しょうなんて思いはさらさらない。ます々楽しゅうなってくる。いや、ます々有難とうなっくるというのが本音です。それはなしかというと、日々さらに稽古させて頂いとる。稽古させて頂いたとこだけはもう新たなもの。一歩でも上に登ったらもう視野がそれだけ広がっておる。
成程、一生が修行と。只、同じ修行を同じ苦労も、貧乏なら貧乏を一生し続けるという事ではない。修行の内容は変わらなければならないと私は思うです。
佐藤先生が頂いたという平和奈心、その霊様が霊になってはじめて気がついた、これはどうぞ合楽の信奉者の皆さんに気づいて下さいと言わんばかりの感じ。
只、漠然と朝参りが出来とるだけじゃいかんですばい。何かそこに絶対のもの、間違いのないもの、必ずおかげの伴ってくるもの。必ず力が着いてくる焦点というものを、ひとつはっきり極めさせてもろうて、それに向かって稽古をしなければならん。 はじめの間は百発百中なんて事のあろうはずがないけれども、段々おかげを頂いていくうちに、百発百中的をはずさんですむようなおかげが頂かれるところに信心の願いがかけられる。
いうならば、どんな事があってもです、あれもおかげであった、これもおかげであったと了解するようになれば真実の信任じゃとおっしゃるように、真実の信者になっていく事の有難さがたまらん。
これは私がもう五十八才ですがねえ、五十八年間という間が、もう振り返ってみると、もう本当に皆んながそれが素晴らしい事になっているのです。
私は生まれて六十日目に火の海の中にあった。火傷を私は子供の時に二度もした。 あんまり大事がられたから、それこそ、ものがめ殺しのごたるこつ。けれども、私は思うですたいねえ、私がちょっとこう傷どんがなかならねぇ、ちょいと、長谷川一夫に似とるでしょうが。それこそ、山田五十鈴のごたるとをもうろてよかったろうばってんが、おかげでそれがくずれたわけです。
それが今の家内を頂く事になった。私と家内と見合いした時にですねぇ、私は出来るだけ傷のわからんごとして座った。そりけん話が出来た時に、ははあ、こっちの傷は見とらんじゃったばいのうと思いよった。
それからですもん、もう十年位たってからでしょうもん、私はお父さんああたのその顔に傷に魅力を感じたと。
本当に私は思うのにですねぇ、私は今の家内でなからな、今日合楽はなかったろうと思います。第一、私のあの修行の時代についてよう来きらじゃったと思うです。
何も出来る女ごじゃありません。けれども黙ってもうそれこそ、黙々としてついてきました。まあそれは一例ですけれども。
そういう例えば、火傷をして顔が見苦しゅうなったという事ですらがです、これがまちっと自分が綺麗であったならばというような事はさらさらなくて、それのおかげでという事にこの五十八年間の全ての問題がです、例えばその時は難儀と思うておったその事柄もです、その時は歯がゆいと思うた、腹が立ったと思うた事柄もです、皆んな今日をなさせて頂く為のそれであったとわからせて頂く時に、過去の一切が生きてきた。信心とはだから、もう一切、いうならば、廃物利用なんだが出来るおかげなんだ。
私共の過去にね、あれはいらないとか、あれは困ったというような問題のあるはずがない。それを生かしえなかった人は、本当に何十年前、あげな事がなかったならというて、何十年前の事を言うてくやまんならん、又、腹を立てなければならん。
信心とは過去の一切が生きてくるおかげを頂かしてもらう事だと私は思う。だからこれからとても、やはりそういう働きだけしかないのですから、あれもおかげであった、これもおかげであったというその時点で、既に、それをおかげとして受けられるいうならば、それを神愛として受けられるという事である。
叩かれて痛くてもです、それで神様なればこそと、例えば頂けた時に、もう叩かれたその時点がもう有難いとう事になっておる。
けれどもはじめからそんなに出来るはずはなりませんけれども、そう有難く受ける事が本当だと信心させて頂いて、いわゆる肉眼を置いて、心眼を開けとおっしゃるが段々おかげを頂いて、心の眼が開かれてくるようになりますと、事の実相、実態というのがわかってくる。
肉眼で見ている間は、それは病気という形に見えたり、情けない問題として見えてくるのですけれども、心の眼をもってするならば、それは神様にお礼を申し上げること以外にはないという事になってくる。
それがいっぺんに開けるとは思われませんけれども、やはり稽古をそこに焦点を置かしてもらう。いうなら、和賀心を目当てとするというか、和賀心を焦点にしていくとです、必ず心の眼が開けてくると私は思うです。
私の心の中に和賀心をそして家庭に、そして自分の周辺にその運動を展開していくそして世界の隅々にまで、和賀心にならせて頂くという事が、このようなおかげが受けられるんだと言う実証をお互いがしてゆかなければならん。
はじめに申しましたように、もう私は最近思う事は、もう本当にお釈迦様でもキリスト様でも、一応金光大神のお取次を頂かれなければ本当の助かりにはならないと思うです。
成程、仏教の一生懸命の信心をしてです、それこそ「善し悪しを捨てて起き上がりこぼしかな」、善し悪しを捨てれるところまでは、難行苦行をさせて頂いたならですもう、それこそ何にもいらんという心の状態が生まれてくるでしょう。
龍安寺にあるお手洗いの石じゃないですけれどもね、吾、足るを知るという心が生まれてくるでしょう。
けれどもそういう心にならせて頂いたからと言うて、只自分が助かるだけでしょう 和賀心というのは、私が助かるだけではなくて、人間の幸福の条件の全てがね、これには伴うてるという事です。
和賀心というのはそいうおかげ、御利益というものを軽視する、軽蔑するならば、軽蔑してよいけれども、果して人間の一人.一人にその真意を尋ねたときに、病人が治りたいと願わない者があろうか。貧乏しておる人が財のおかげを頂きたいと願わん者があろうか。
人間関係でいわばもつれておるならば、本当にここに平和な生活が出来るならばと願わん者があろうか。そういうおかげを自分で作るのではなくて、私共は只、和賀心にならして頂くことに焦点を置いていけはです、その人間の幸せの条件の全てが頂けていけれるというのが和賀心。
もうこのように素晴らしい世界のどういう国々の人にでもです、これを徹底してわからせるなら、だから私はこの和賀心学たるものが出来なければならないと思う。
そして学問の上でも、いうなら、義務教育の中ででも、和賀心学をひとつ学ばなければいけない。それは、成る成らんは別として、人間の幸せというのは、金でもなければ物でもない。頭が良いから、器量が良いからではない。
それは最近のハイクラスの学者達がです、確かに人間の知恵やら力やらをもって、月の世界まで行ける程しの事になってきた。
ところがそれで人間が幸せになるのではない。これは心だ、心だと言いだした。そんなら、心だ心だで幸せになるのじゃない。その心におかげが伴う程しの心でなければならない。それは和賀心である。
教祖只お一人がそれを体得された。そして私共に話にして残しておって下さった。 教えの全てがその和賀心にならせて頂く事の為にあると言うても過言ではないと私は思う。私はもっともっと、和賀心というものをですねぇ、追求しなければいけない そして自分の物にしてゆかなけれはならない。しかも和賀心といのは、普通でいう平和の和じゃない。
佐藤君が頂いたように、それこそ鉄筋コンクリ-で作ったのじゃなかろうかというような和でなければいかん。
和というのは不壊のもの、壊れないもの、和賀心の和とは、金槌でくらせたっちゃどういう問題が起こってきてもです、この和の心が微動だにもしないという心を、教祖が教えられた。和というのはそういう和である。
勿論、賀のこころとは祝い賀ぶ心と教祖はおっしゃっおられる。赤飯を炊いて祝うときのような心、生き生きとほがらかに明るい。それこそおめでとうございますと言いたい程しの心なのである。
信心の稽古をさせて頂いて、しかもその和賀心を目ざさして頂くとです、不思議にそれが出来る
成程、教祖の神様がね、此方だけが生神ではない。皆なんもこのようなおかげが受けられる。此方がおかげの受けはじめじゃとおっしゃるように、総世界の人類の者がです、生神を目指すという事。和賀心時代を創っていこという事。
私は昨日の御理解の中に、例えば母の日に赤いカ-ネ-ションをつけたりして、母の日を祝う。それが世界中にそういう流行をみていっておるよに、そういう運動が展開されていって和賀心にならなければ本当の幸せにはなれないのだ。
人間の幸福というものは、和賀心にならなければ人間の幸福という事は言えないのだ。只、自分の心だけで悟りすまして、何にもいらんと言うておるのではつまらん。 そういう心におかげが伴うてくるような心、それを和賀心になる事だという事をです、三百六十五日の一日でもよいから、今日だけは和賀心の人というような、いわゆる和賀心デ-というものをですね、世界の隅々にまでね、せめてそのくらいの事ぐらい事はなかろう。それは五百年、千年かかるかもしれん。
けれどもね、金光様の御信心させて頂く者はそういう素晴らしい高度の願いをですね、願いとしていくところの精神が必要ではなかろうかと私は思う。
まず、だから信奉者から、まず教団人からそれを私は、押し進めていく運動、それがそのまま天地金乃神の願いである。
神の願い、いわゆる神願である。他にあるだろうか、神の願いは、お導き、お導きというけれども、現在の程度のおかげを取次いだくらいの事でよかろうか。
まず、五十人でもええ、百人でもええ、その一人々がです、本気で和賀心にならして頂く信心を目ざしを立てて、日々信心の稽古をさせて頂くならば、教会に一人その熱に燃えていく人があるなら、必ずその信心が私は他の信心をリ-ドしていく事が出来る思う。
御用すればおかげを頂くというのではなくて、御用する事によって和賀心が頂ける事の為の御用でなからなければならない。
皆さんそれは体験がおありになるでしょう。私共朝参りをする、みんなが参りをする前に一生懸命廊下なんかを拭かせて頂いておるとね、もうどんなに冷たい寒い日でも、もうそれこそ熱いような有難涙がぼとぼと落ちよった。
御用すりゃ助かる。御用して助かろうじゃなかった。もう、只、御用させて頂く事によって湧いてくるところの信心の喜び。いわゆる歓喜です、いわゆる和賀心です。 それが頂けるのが楽しみで私共は御用させて頂いた。お結界の奉仕をさせて頂くでも同じ事。それこそ背中を伝う熱いような汗を背中に感じながら、前からは有難涙がこぼれてくる。有難くてならせて頂く事の為に私共は信心の修行の全てがかけられなければならん。
そしてそれをです、私共が本当に世界の隅々にまで広げて行く。いやそういうおかげがです、私は神様の手になり、足にならせて頂く事であると思うのです。
神の願いに応えるという事は、そういう事じゃないだろうか。神の願いにこたえるという事を、手前の方でいろいろまあ言われております。
今頃も新聞に神願何とかという運動があったけれども、内容読ませて頂いたら、何かしら私はピンとくるようなものがひとつもなかった。
神願成就の神願成就の為に、私共の一人々がその神の手になり、足にならせて頂ける、御用に使うて頂きたいという願いに燃えなければいけない。
為には私共がね、手になり足になれれるだけの信心を頂かなけれもばならぬ。それには本気でひとつ任せ切れる心、神様の前にどのような場合であっても、神様に任せすがれる心、そういう心がです本気で和賀心を目ざさせてもらうという信心からではないと生まれてこないと思うです。
和賀心時代を創るというのは、大坪総一郎が創るというのではなくて、私は神の願いである思うのです。神願なのです。
それに応えさせて頂こうというのが私は信心だと思います。金光様の信心の一番有難いところは、いわゆる神も助かり氏子も立ちゆくという事なのです。
それには私共がまずおかげを頂かなければならない。幸せにならなければとならない。どのような場合であっても黙って受けられる心なのである。
幸せという字は幸せ、下から読んでも幸せと書いてあるでしょう。人間が私は幸せだというのはね、どんな場合であっても有難いてという心が出来る。それが幸せなんです。自分の都合のようなる事だけが幸せではありません。
どんな場合であっても有難いと感じれれる心が幸せ。それは幸せという字を上から読んでも下から読んでも幸せという信心に読むでしょう。
そういう例えば心をです、私はは今日は和賀心とそのそんなら和賀心を頂かせて頂く為には、真の信心にならなければならない。
その真の信心とは神様を尊び敬う事だと、しかもそれをかしこみ、かしこんで頂いていく事だと。
神様だけが尊いのではない。お祀りしてある神様だけが有難いのではない神の御働きそのものを合掌して受けていくという事だというふうい聞いて頂いた。
だから真のおかげが受けられるのだと。真の信心をさせてもらうから真のおかげが受けられるんだと。私は真の信心をしておるというて、真のおかげがもし伴わないなら、それは私はもう反省すべきだと思う。それは真の信心の見当違いのところになっとるのじゃないかという事。
和賀心時代を創るという事を今日の講題にかかげてのお話でしたが、これは私がかく信ずるところを話させて頂いたが、どこまで皆さんがわかって頂いたかわかりませんけれども、私が現にこうしておかげを受けておる事実は、只今申しましたような信心から生まれてきておるのだと思うのです。
ですからもしおわかりにくいところがあったら、また午後の質疑応答の時間にお答申し上げたいと思います。
お聞き苦しい事でした。有難とうございました。