昭和46年9月12日 朝の御理解



昭和46年9月12日 朝の御理解

 御理解 第7節 「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」

 とあります、この御理解七節を頂きまして、いつも感じるところでございますけれども、お道の信心をさせて頂くならば、ここが一番大切だというように思います。今日はその、私が感じますところ、私が信心には此処が一番大切だと、ここが大ことだと、私は信じておること、思うておることなどを聞いて頂きたいと思います。一番最後のところに、「信心はせんでもおかげはやってある」とあります。

 私どもは、誰でも頂いておるおかげだけでは、承知がいかんのでございます、信心を頂いておるから信心をいや頂かなければ、頂けないというおかげを受けるから、信心をさせて頂くのでございます。信心はせぬでも、みんなおかげを頂いておる。また、やってある、と仰せられる。また、事実そうである。天地の親神様のおかげを受けずして、立ちゆく事はできません。これは、人間氏子だけの事ではありません。

 教祖様も、信心をさせて頂く者の事を、ただ氏子とは仰有っておられない、信者氏子と、特別にお呼びになっておられます。ですから私どもはその信者氏子としての、おかげを頂きたい、信心がなくとも頂いておるという、おかげではならんのであり、またそれではつまらんのであり、つまらんと云うといけませんけどね。本当に信心は無くてもおかげは頂いておった、下さってあるという事をわからせてもらうて、そこから、神恩奉謝の生活が出来る訳でございますけれども。

 その神恩奉謝の生活がだんだんできるようになって来る所から、これは信者氏子にだけしか与えられないという、おかげが現れてくる。いわゆるおかげの展開であります。皆さんもやはりそうでありましょう、信心するからには、信心さして頂いておるから、頂かなければならないというおかげ、そこでね、私は思わせて頂くのですけれども、まず第一にね、どういう信心をさして貰うたら、おかげが頂けるじゃろうかと言う様な思いを捨てて、どういう信心をさして頂いたら。

 真の信心がわかるであろうかと、まずここのところに思いをおかなければならない事が大事だと思います。どうでしょうか。どうでもおかげを受けなければならない、そのためには、火の行、水の行も厭いませんと云う方はあります。けれども、これは、おかげを頂かなければならぬから、火の行をするのであり、水の行をするのでは、もう根本的に間違う。いわゆる、真の信心をわからせて頂く、これは、はじめから、そのような高尚な事を申しましても、皆が付いても来ません。

 始めにご神縁を頂いたのは、もう医者に見放されたとか、金銭のお繰り合わせを頂きたいとか、または人間関係で難儀を致しておりますと、言う様な様々な難儀が、神様を拝もう、または、お参りをしようという気になるのでございます。けれども金光様のご信心は、祈念祈祷で、助かるのではない、話を聞いて助かると仰有るように、話を聞かせて頂いておるうちにです、そこんところがわかってくる。

 ところが何十年たっても分からない。是は私がまあ一番良い見本である。母の胎内から頂いておると云えば頂いておる私ですけれども、どうも何十年間という間、是は子どもの時からですけれども、私は大体頭が悪い体が強くない。ですから私はどうでも、神様のおかげを頂かなければ立ちいかんと云った思いが非常に深かった、人並みに頭がない人並みに健康が優れてない、それで神様のおかげを頂かなければ立ちいかん。

 私は小さい時生れて60日目には、火の中にあった。生れて60日目に母が「蚊帳」の仲で、提灯をつけてお乳を与えておるうちに、眠ってしまった。その提灯が倒れて、蚊帳に付いた。それで目が醒めた時には、蚊帳が燃えあがっとりますから、そばに寝ておる私の事は、もう気も転倒しておる訳ですね。それでこうやって蚊帳をしておる中にです、隣に休んでおりましたばばが、「総一郎はどうしたか」と云われて初めて、はっと気が付いた時には、もう黒こげになっておった。私にここに(顔)こんな傷がありますのは、その時の傷でございます。

 5歳の時にはえきりでもう医者が見放したと言うところを、三井教会の先代のお取次を頂いて助けて頂いた。草野の池尻病院というところに入院しておりました。それがおかげを頂かねばなりませんから、善導寺から草野まで、約小1里ございますでしょう。そこを母と私の叔母にあたります人と、もう交替でですね、もうずうっとお百度を踏むようにして、参って帰って来た。お届けをしてまた母が参る、叔母が参ると言う様にして、一生懸命お願いをした。

 何回目かのお参りの時に、先代が「大坪さんもしも万一の事があって、信心が緩むような事があってはならんぞ」と「今度は大変な事だからどう言う事があっても、信心を緩める様な事があっちゃならんぞ」と。まあ暗にもう難しい事を親先生が仰有られた。それでもやはり縋がらなければ居られんのが親心、一生懸命にお縋がりさせて頂いて、又何回目かのお参りの時にお届けをして、神様にご祈念をして下さったらご結界につかれた先生が、大坪さん是は一生懸命のご祈念をすれば、助かるばいといわっしゃった。

 今ご神前でね、お願いさして頂いとったら、初めにお届け来た時に、一杯にしこっておった蘇鉄がね、全部葉が枯れてしまうたところを頂いた。だからこれは難しいと思うけれども追い願い、追い願いそれでもどうぞという信心で、親の一心叔母の一心で、神様がその一心を受けて下さって、その枯れた蘇鉄から芽が出だした、これは信心一つじゃ愈々おかげになるよというので、力を得ました。それからまた一生懸命お縋がりさせて頂いた。もう医者は、病気が病気ですから、食べ物は全然与えられません。

 まあがむしゃらといえば、がむしゃらですけれども隣の叔母が、ご神飯を一粒お粥さんに入れてから食べさせた、翌る日は二粒食べさせた翌る日は三つ、叔母の顔を見ると私はこう拝みよった。おかげ頂いてから…………そんな訳でございますからもう私の婆が私を連れて遊びに参りますと「もうこの人は、金光様のおかげ頂いて、金光様のご恩どん忘れよるなら、この人は罰かぶります」というのがいつも婆が云う事でした。

 ですから、私はもう、金光様なしには生きられんのだ、金光様のおかげを頂かなければ、私は、いうならば、成功も出来なければ、つまらん。先ほどから申しすように、頭が悪い、体が人並みに強くない。だから、神様にお縋がりしなければという気持ちは、非常に誰よりも強かったと思うのです。ですから、子どもの時から、やはり拝む事が好きでした。婆が一生懸命ご祈念している横に座りまして拝む。婆が拝んでおるのがよく聞こえます。昔の方は、よく言葉にだしてから拝みます。

 その中に、私たち兄弟三人の事を一生懸命、繰り返し繰り返しお願いをする。「どうぞ、大坪総一郎が、あなたのお役に立てますような氏子にお取り立てて下さい」と云うて、繰り返し繰り返し願う。それを横で小さい私が聞いておる。ですからね、やっぱりね、お役に立つ私にならなければ、婆に対してでも済まんといったようなものが、暗に心の底からあったのではなかろうかと思います。

 これは私が小学校の何年生位だったか、よく記憶はありません。当時は今のマル少ですよね。子供会というとりました。ある日曜日にお参りさせて頂きましてから、丁度善導寺の親先生が学院から帰られて間もない頃であったと想像されます。お玄関のすぐ横に昔はお手洗いがございました。今は一寸離れた所にあります。現親先生とそれから、今総代をしとられます、岸新太郎という先生この先生は、私より7つ年上であります。子供ながら私が憧れを持っておった方でした信心の。当時先生が色々話をされた。

 だから私が十の時で先生が十七、十一の時なら先生が十八の時だったと思います。その岸先生がねあの入口のお玄関の所に段がある所に腰掛けて、親先生と二人で何か一所懸命何か信心のお話をなさっておられました。表で遊んでおりました私は何気なしにあの手洗いの所まで参りましたら、私の耳に入って来る事なんです「親先生その頃は親先生じゃないですね、若先生岸先生が云われます「若先生もう何人もの事は要りません。本当の信者を一人作って下さい」と云うて話しておられるのが私の耳に入ってきた。

 私はこれはその時直感しました、その本当の信者に私はならして貰おうと思うた。そしたらね、もうそれこそどこから湧いて来るか知らんけれども、涙がこぼれて涙がこぼれてしようがなかった。可笑しいからすぐ横が蜜柑畑でしたから、蜜柑畑の中に入って泣いた事を覚えております。皆さんに聞いて頂こうと思うのはそれなんです。大事な事と云うのはです、「どういう信心させて貰たら、おかげを頂くじゃろうか」の信心から、私が、その本当の信者を目指さして頂こうという事。

 本当の信心を分からせて頂こうという事。その云わば十か十一の私が思わして頂いた事が、天地に通うたと私は思う。あの時の涙あの時の感激は、私の感激でもなければ、私の涙でもなかった。天地の親神様が感動された。天地の親神様が喜びの涙を流されたと、今にして私は思うのでございます。私が、五十年前にそう思うた。けれどもさあ思うたけれども、実際は真の信心が、現在でも同じですけれども、できておるとは思われませんし、その本当の信者とも、また思いません。

 けれども目指すところは生涯かけて、やはりここであります。おかげを頂かなければならんから、火の行でも、水の行でも厭わないと云うのではなくて、真の信心をさして頂きたい、分かりたいその一念が、表行になったり様々な教えを頂いたり、行じたりと云う事になるのでございます、ですから、根本が違う。生活のために信心があるのではなくて、信心のために生活の全てがあるという事になる。

 もうここんところが根底になってからの信心でなければ、これは、一生信心を続けても、おかげは受けましても、あの世にも持って行けるというものにも、この世にも残して置けるというものにもならない、と、私は思うとります。だから、一番大事な事は、本当の信心を頂きたいと、そのためになら、火の行も厭いません、水の行も厭いませんというところに、姿勢が変わらなければならない。どうでしょうかね。

 ところがね、金光様のご信心は、御理解三十三節「お供え物と、おかげは付きものではないぞ」とおしえられる。ところが、事実は、お供え物と、おかげが付いてますよね、皆さんも体験があるでしょう。一生懸命御用すれば助かる。一生懸命、お供えすれば、確かにおかげを受ける。商売人であるなら、参れば参るだけ、売上げが違う。これはまさしく、いわゆる、お供え物と、おかげは付きものではないと、おっしゃられますけども、矢張付きもののように思います。

 〇〇教などは、もうお供えすれば、絶対助かると、それだけが看板のようにして説いておられる宗教もあります。病気でも何でも、これは幾らお供えすると助かる、と。たすかる。助かるからこそ、その宗教は、矢張繁盛しておる。これは、家を売ってからでもお供えしなさい、田圃を売ってからでもお供えしなさい、と。その弾む心がね、矢張りおかげを呼ぶ。お道の信心においてもしかり。

 けれども例えば、そういうおかげを頂いたからというて、今申しますように、あの世にも持って行け、この世にも残こるということにはならんと、私は思う成程御用すれば助かるとか、御用すれば、おかげを受けるという事は、だから、事実である。けれども御用すれば、徳を受けられるという事ではない。私どもが知っておる限りの事を申しましても、それはずいぶん先代の時には、総代をしたり、幹部をなさったりして。

 それこそ教会の誰か、誰の教会か、というほどしに、おかげを受けた方達を沢山知っておりますけれども、そう言う方達が後も、ほろけもない事を知っております。ですから、成程一生懸命の御用も出来た、一生懸命のお参りが出来た、教会の御用は、自分の事の様にして、御用も頂いたけれども、成程おかげは受けたけれども、お徳を受けてなかったということになるのじゃないでしょうか。

 ですから、御用すりゃ助かる、御用すりゃおかげを受けるというから、私は間違ってくるのじゃないでしょうか。生活の中に信心がある訳であります。だから、生活の中にある信心では駄目だ、信心の中に生活があり、全てがあるのだ。そこで、大事な事は、御理解七節から頂きますと、天地金の神は昔からある神ぞ、などというところは、皆さんがようご承知の通りであります。天地は、流行る事は無かろう、流行る事も無ければ、また、終わる事も無かろう、ということも思われます。

 ただ、大事なところはですね、天地日月の心になること肝要なりと云うところであります。肝要だと、今日、私が云う大切なところというのは、そこなんです。信心させて頂いて一番大事と思われるところ、例えば、私が、少年の時にです、思わせて頂いた、その一人でもよい、という本当の信者に私がなろうと思わせて頂いて、云うなら、健気なその思いに対して天地が感動ましましたであろうと思われるように、忘れられない今でも、一生忘れられない、その時の感動を。

 ですから、皆さんが、本気で今日から、真の信者にならせて頂こう、真の信心を分からせて頂こう、ためならば、日参いとわない、御用もいとわない、これだったら、絶対おかげになるだけではない、お徳にもなるでしょう。金光様のご信心はねそういうお徳と、利とが一緒に頂けて行ける道だと思います。それには先ず、根底のところが考え方が、右を向いておるのが、完全に左を向いてしまわなければ駄目なんです。

 生活の中に信心があるのではなくて、信心の中に、信心の中に、生活の全てがあるのだと。だから、生活の全ての中に、人間関係でよかろう、経済問題でよかろう、病気の難儀でもよかろう、その難儀という、私どもがです、その難儀を感じる、その全てが私の信心を育ててくれることの為の、それだという事になるのです。だから困った事じゃない事になる。結論すると、それは其の侭が、神愛だという事になる、ね。ですからその神愛を神愛としての信心が出来る。

 私は天地日月の心になる事というのは、その様な事ではなかろうかと思う、天の真地の心「天真地心」と頂いた事があります。お互いが真、真と申しますけれども天の働きそのものが真である真の信心の真である。与えに与えて止まない心それを合楽では「限りなく美しうなろうじゃないか」と是はもう合言葉の様に申しております。限りなく美しうなる。それは無条件にそれこそ露が落ちる様に、又雨が降る様にもう限りなく私共の上に、恵んで恵んで恵み止まれないのが、天の働きだと私は思います。

 だから、それが真なんだ。無条件無条件に与える、それは言葉を変えますと、限りなく美しうなろうじゃないかという事になります。問題が起ります。「限りなく美しくなろうじゃないですか」というたら、問題はその場で解決するんですから。限りなく美しくならせて貰うならばその内容はどう言う事かというとです、例えば垢だらけそれば綺麗になろうというて化粧したっちゃどど黒うしかなりはしません、だから綺麗になる為には、先ず、垢を落さねばならない。

 それを教祖は、信心は日々の改まりが第一じゃとおしえておられます。信心は日々の改まりが第一なのであります。今までこれでよいと思うておった、信心させて貰うて、お話を頂けば頂く程、これではいけない事が分かって来た、それでこれではいけないところを改まっていくという。だから、改まる事が第一なのである。次には、本心の玉を磨くものぞやと、そこから研きをかけていかねばいけません。そこから化粧していかねばいけません。でなかったら美しうならん。

 だから限りなく美しうなろうというその内容は、改まるという事磨くという事が、中に内容としてある限りなく美しうなろうということであります。それには先ず、私どもが、天の心を心として、無条件に限りなく美しくならして頂くことに、精進させてもらわなければならんということになる。天真地心、地の心、地の心、大地の心、これは、天とはまた反対。受けて受けて、受け抜いていく心。

 天地日月になる事肝要だと、肝要だと仰せられるのですから、その肝要なところを日常生活の上に頂いていかなければいけないと思う。そこで一つ、限りなく美しくなろうという事によってです、もう無条件、条件は無い。これはもう二十何年になりましょうか。親教会の40年の記念祭を迎えさせて頂く奉迎委員会なるものができました。岸先生の企画で、ちょうど一年前に、1年後に控えた40年祭をいかに仕えるかという事の話合いが、教会でございました。

 私は引き揚げてきて、まだ幹部でもなければ、一青年会の一員でございました。所謂、末席をけがしておった。その時分ですね、嘘のようですけれど本当ですよ、1万円計上されておった、記念祭に。矢張り大金だったんですよね、そうでしょうね、当時の、ご本部参拝が、五百円位じゃなかったでしょうか、その位じゃったでしょうか、ね、20年前、もっと少なかったかも知れん。

 私共引き揚げて帰ってくる時に持って帰った金が千円ですからね一人ですからね。もつと安かったかも知れませんよね。それで色々話し合いをさせて頂いて参りましたけれども一向に話が、私が感じた事ですよ。それで私はその時に申しました「皆さんどうでしょうか。私どもが着物を一枚ずつここに集まっとるものだけで着物を一枚ずつ、古着でもよいからはずさせて頂く気になったら、その位の事が出来はせんだろうか」と。

 私共もなけなしの、少しばかり持って帰ってきておる、引き揚げて帰って来たのですから、それを一枚でも二枚でもはずそうという腹である。けれども中々その話が燃えなかった。そこで親先生のお取次を頂いて、今日只今から私が他には知らん、商売よりほかには知りませんからと云うて、資本がある訳じゃないですから、当時の闇商売であります。当時は、草野地方には、水石鹸が沢山出来ました、蝋燭が出来た。ですからその商品見本を持って、九州各地に出張販売をやる、をしたいと思います。

 もうギリギリの最小限度の生活をさせて頂いて、残りましたお金の全てを、記念祭にかけます。どうぞ、宜しくお取次を願いますという、お願いをその日にさせて頂いた。ところが、やはり、おかげを受けましたですね。もう汽車に乗るでも、その時分は、時計も持たなかったですから、私は、昔からはめないのですが、それはもう、佐賀なら佐賀で下車して、商売して来ると、次には、もう佐世保行きの汽車が来ておる。

 と言った様にですね、もう神様の働きちゃこんなにも素晴らしい、こちらが本気で神様ために御用さしてもらおう、働かして頂こうと思うたら、神様がこの様にも働いて下さると云うような、云うなら一分一厘、神様の間違いの無い働きを、実感しだしたのはその頃からでした。よく売れました。所がよく引っ掛かりました。水石鹸の事ですから、送りますそしたら、こんなにやせ細って帰って来るとじゃん。ソロバンの上では幾ら幾ら儲からなきゃならん筈のが儲からんのです。

 とうとう大した事も出来ぬなりに、もう11月に入りました。12月の3日がご大祭です。どんなに考えても分からん。私はこがしこ真心で一生懸命、神様の事を思い、記念祭の事を思うて一生懸命なっとるとに、神様の心が分からん。神様の心が知りたいと、私は思うた。それからリュックサックを担いで、少しばかりの米をもって、塩と梅干をいれて、一つ、私は、山の中に篭ろうと思うた。

 そして直に天地の親神様にぶっつかろうと、私は、こげん真心一杯で御用させて貰うておるのに。どういう訳にこう言う事になるのですかと、云う事が知りたかった。11月だと云いますのにね、親先生も何かちょっと様子が違うからご心配になりました。家族の者も、私は、山越えで星野あたりで商売に行くごたる風に云うとるけど、矢張り、一寸様子が違うものですから、心配してました。

 そして(みずとき?)という所がある、山の中腹のちょっと下の所までまいりましたら、それこそ一転俄かにかき曇りましてね。雷鳴です。11月だというのに、それは、山の中の雷さんちゃ、そりゃもう、ほんとにえずかごたっです。真っ暗になる。そこでです、私はあの近所に、お篭り堂のある事を知っておりましたから、そのお篭り堂に駆け込まして頂いた。ここまで、いわゆる、有名なお滝場のある所です。真言密教の方達が、いわば行場であります。

 そこで夕立を避けさせて頂いとるうちに、これはここで一つ、神様にお願いして見ようと思いましてね。それからお滝の水を頂きながら、他の方達は、何か他の事を云いよさんなさいますけど、私は、一生懸命、大祓いを奏上させて貰うて、大祓いを奏上させて頂いては、一生懸命、だからそう言う様な、私の修行の場だと云うので、ここで、青年会の若い方達はね、必ず寒中、皆であそこへ、滝場へ篭ります一週間位。それが良いの悪いのじゃないですけども、その勢いは、有り難いと思うですね。

 一晩泊めて貰いました、それから、二晩目、こちらの方の、小さい方のお篭り堂には、一寸先客がありましたから、こちらの小さい方のお堂の所で、寝まして貰った。朝方です、お夢を頂いた、それがね、丁度畳一枚を横にしたような真四角い井戸なのです。こんなに厚い石で井桁になった井戸なんです、その井戸をふと見ますとね、それは、本当に澄みきった、底までも見える様な綺麗な水の中に、その井戸一杯になって泳いでおる、それは、美事な真鯉がです、悠々と、遊泳しておるわけです。

 私はそれを上から覗かせて頂いて、あぁこれだと。今度のご大祭のお供えはもうこれだと、こう思うた。心の中で夢の中でね。そう思いながらそう言いながらです、その井戸の縁に立って私が小便をしておるところを頂いた。そし、それこそ私がこれ程の一生懸命の思い、これ程の真心をもってしかも1年間の働きの全てを、神様に捧げようとまで云うておるのに、神様がどうして云う事を聞いて下さらなんだかと云う事をです。

 思いに思うて、その事を分からせて頂きたい。どういう訳なら、こう言う事になるのかという事を、神様にぶっつからせて頂いての、これは、答えであると思うた。確かに、その井戸の水も美事、その鯉も美事。けれどもその上に立って私が小便まっとる。あぁこれだと私は思うたですねお互いが御用さして貰う。1年間私はあなたの為に、それこそ自分を空しうして、あなたの為に働きますから、記念祭が終わったならば、私の為に働いて下さいよ、というものがあったんです。

 その後に、おかげを受けよう、下さらなければ、こっちが文句でも云うような心があった訳なんです、それが不淨であったなと、ね、ここに立って、小便しよるのは、その事だったと思うた。本当に、事実、私の心に、1年間は、一生懸命あなたの為に働きますから、記念祭が終わったら、記念祭を境に、それから先は、私の為に働いてくださいよと、云ったようなものが、不浄であった。

 これでは、神様が受けて下さる筈は無かった、そういう不浄を受けなさるはずは無いということが、分からせて頂いて、そこから改まった。もう無条件になった。それからもう小走りするようにして帰らして頂いて、親教会にその事をお届けさして頂いて、これから心を入れかえて、後もう1月残っておる、それに打ち込まして頂いたら、10ケ月で出来なかったものが、1ケ月間で出来ました。

 ですからね、御用すれば助かるという、その御用のいわば内容なのであります。信心が、だんだん分からせて頂く。御用させて貰わねば居られない心が、おのずと湧いて来る。その心でなければならない、御用するから助かる、御用すれば、成る程、おかげは頂く。これは事実。けれどもね、それは、おかげを頂くだけであって、あの世に持って行けるものでもなければ、此の世に残しておけるものにはならないて。それは、皆さんの周囲を見れば分かるでしょう。

 いわゆる天の心です。無条件に御用させて貰う、無条件にお供えさせて貰う、無条件に働くという事。天の心限りなく美しうなろうという願いを立て、目指さなければ、出来る事ではない。それから地の心大地の心、天地日月の心になることが肝要だと仰有るのですから、ここに焦点を置かなければならないという事を、まあ申しておる訳ですね。これがなかなか難しい。この事は受けられるけれども、この事はご免こうむるとか。私も随分いろいろな修行させてもろうた。

 小倉の桂先生は、あげな修行をなさったげな、久留米の石橋先生はこげんげなと、福岡の初代は、こういう修行もなさったげなと、真似方ではあるけれども、もう聞き伝えて、信心させて貰いました、修行させて貰いました。その頃大坪さん、あなたも学院行きじゃろうと云われると、身がぞっとしよった。金光様の先生てんなんてん、もう親先生の修行を見とりますからね、とてもあげな事は出来んと思うとりますから。

 けれどもね、教師とか、信者とかの区別はなか、教師だから、修行し、信者だから、修行はいらんという事じゃない。しかも、おかげ頂きたいの念に燃えとりますからね。人がしたというなら、たとえ桂先生がなさった修行でも、矢張り、人間桂松平がなさったんだから、出来ん事はないと思うて、さして頂いた。ところがね、始めに申しますように、本気で信心させて貰うて、おかげ頂ける信心と云いよるけれども、おかげ頂かんならんからの修行であった訳であります。

 もう本当に、こげな修行があるだろうかと云うような、修行もさして頂いた。けれども、おかげにはならなかった。そこでね、私はある時、親先生にお取次ぎを願った、始めのうちは、それこそ置いた物を取るような、美事なおかげを頂きました。ところが、後半になって参りましたら、右と願えば、左、左と願えば右という事になって来た。そこでいわば、感じん訳には行かなかった事はです、これは親先生、私のようなものにでも、天地の親神様の願い、金光大神のお取次のお働きというものがです。

 天地の親神様の願いがです、大坪総一郎に、かけられておる事があると思います。そこでもう私の願いのお取次はしては頂かん様にしました。あんたばかりはもう、私はあんたの事をこげんお願いしよるところに、ちゅうて先生が云われました。けども私のやはりそういう切実な願いでございましたから、まあ親先生はそのようにお取次して下さった、もうその頃から、もう愈々いけなくなりましたですね。神様の願いが私の上になるという事です、神様の願いが云うならば、神の願いが地上になるという事です。

 神様の願いが、大坪総一郎私の上に、成就するという事になって来るのです、ですから、これが神様の願いが成就する事であるならばと、云う事になりましたから、私はその時に、こういう修行を思い立たして頂いた。私の上に起きて来る様々な問題、難儀、それは、どういう難儀でありましても、神様が私に下さるものとして、有り難く頂きますという修行に入っていった。私は、この修行させて頂くようになって、他の修行はもう殆ど無くなりました。朝の水行も止めました。断食修行も止めました。

 そしてただ神ながらに私の上に起きて来る事態、問題というそのものに本気で、信心で取り組んだ。そして神様こういうものを下さっては困りますと云うのでなくて、それを愈々、合掌して受けていくという信心が、ちょうど、丸四年半続きました。当時の椛目で、後半年で5年の記念祭を迎えるという、半年前まで続きました。そして分からなかった。そして、私が分からせて頂いた事はです。「私の前に起きて来る事柄というものは、問題というものは、神様が私に下さるものだ」という事です。

 いうならば、神様が、私にお供え物をして下さるものなんです。ですからそれをお供えをして下さるんですから、私は合掌してそれを受けたという訳なんです。もうそれはね、ちょうど4年半めでしたけれども、神様にお知らせを頂いた。ホーレン草というお野菜があります。ほうれん草の、引っこ抜いたばかりの、まだ毛もついとりゃ、土もついとる赤い葉もついとる、これをねもう云うならばです。

 もう根も葉も、それこそこう言う所は切って捨てなければならない所まで頂いてきた、と。4年半これからはね、このホーレン草で云うならば、ホーレン草というのは、漫画にありましょうが、ポパイがほうれん草食べると元気が出ると。だからそういう力になるもの、成る程お前が頂いて来たものは確かに力になった、けれども害とする所もある。土がついたり、ひげがついたり、是からは綺麗に水洗いもする、赤い葉は取ってしまう、ひげの所はむしる食べられん所は切って捨てて。

 いわば美味しく頂ける所だけを頂くと云う事を頂いて、以来当時の椛目では、その当時までは、もう棒にも箸にも掛らん病人が、もう常住10人位居りました。もうそれこそ、親も兄弟も見捨ててしもうておる病人でした。

 その当時随分あっちこっちから問題がありましたね。近所からもそうでした。横を流れている小川を皆使う。青瓢箪のごとあるとが、ずらっと朝起きて来てから、顔洗うたり何かするでしょう。その当時検事局にも呼ばれました。衛生課ですか北野のからも参りました、警察にも呼ばれました。まあ様々な事がございました。けれどももう合掌して受けていくという一心なのですから、もう実に、楽に通る事が出来ました。「金を貸してくれ」と云われる人には貸そう、「呉れ」という人にはやろう。

 もうお賽銭箱をひっくり返してやりました。ある時などは、ちょっと見かけの良か、青年をある人が導いて参りましてね。これを預かって呉れと云う訳なんです。ところがその青年は、なかなかどうして、東千代之助の様な顔しとったです。器量が良かった。ところがちょっとこの人は、女さえ見れば色情するという人じゃった。もう年寄りでも何でも所謂、色気違いというわけなんです。それを家内が勝手の方で、聞いとったものですからもう、一切合財を受けるというね。

 腹になっとりますから家族中の者がね、今の光昭から幹三郎3番目位から下は、皆そういう肺病とかそういう病人が抱いたり、うだいたりして育てております。けれどもそれをほんとに怖いとも、どうとも思うた事もございませんでした。家族中がそうでしたけれどもこの時ばかりは、家内が出てまいりまして申しました。「先生今聞きよりましたら、これだけご婦人の方達がお参りがあるとに、もし万一の事があったらどうしますか」と云うて、「まあ心配するな」と云いながらやっぱりちいとは心配でした。

 けどもそういう所謂受け方なんです。朝参りましたが夕方になったら、姿が見えなくなりました。そしたらそれきり来ませんでしたね。矢張り最後のお試しであったでしようかね。それっきりその人は姿も見せませんでした。そういう様な頂き方であります。私は今日は天の真与えて与えて止まない心。無条件是が真だと申しました。地の心それはね、それこそ大地が黙って一切を受けて受けて受け抜いて、しかもそれを沃土にもしていく。そこに野菜があるならば、植木があるならば。

 それに送ってやるような働きがまでもするのが大地の働き。受けて受けて受け抜かせて頂いた、それが4年半。それから4年半目からですね、病人さんを預かって呉れという人も無かった。お金を貸して呉れという人も無かった。だから4年半矢張り、神様のご都合であったなあと思います。もちろんそれから、本気で信心が判りたいという修行生は、次から次ぎとできてまいりました。

 その様に当時の椛目では、いわばお広前が一変するほどのおかげになって参りました。皆さんが、神様が尊いとか、神様を大事にしなければならないとか、それこそ、麗麗しくお祭りをさせて頂いて、神様の前に一心に拝んでおられるという事なのですけども、此の神様はお社の中だけに治まってござる神様だはない。いわゆる神様の御働きというものが、私ども一人一人の氏子の上に、その働きが始まる。

 これはもう千差万別である。だから決して修行の姿も信心の姿も、どれの様なものでなければならないという事ではない。その人の持ち技、その人の特色というものが、愈々研かれて、この人でなからなければならんという、おかげを頂かせて頂けば良いと、私は思うんです。そこで私が言おうとしておる天の心、そしてまた地の心というものは、只今申しましたような、それは神様を尊ぶという、神様を有り難いというならば、神様の働きそのものも尊いものであり、尊ばなければならないと言う事であります。

 これを私は4年半そのような修行をさせて頂いて、始めて判った事がそれでした。そこでその4年半目位から盛んに申して参りました事が「成り行きを尊ぶ」という事でございます。自然の成り行きそのものが、その成り行きそのものを神様の働きとして頂こうという、成り行きを尊ぶという信心、それがそのまま神様を尊ぶという事に継がったと、云う事になります。

 そして最近私が思わして頂く事、例えばその事柄の一つ一つをです、問題の一つ一つをです、神様の御働きであるならば神様の御事柄として、甘木の先代は御物として全てを大事にされたという。それこそ木の葉1枚でも枯れ枝1本でも、是は神様のものじやなかなと、この枯れ葉1枚でも木の枝1本の中にでも、天地の親神様のお恵みがこもっておるのぞと教えられた様に、枯れ葉又は枯れ枝と思われるような事柄の上にも、それを本気で合掌して受ようという、生き方が生れてきたわけです。

 是を私は地の心天地日月の心。是は私がかく思うかく信ずると言う所を聞いて頂いた訳ですよ。そこで私は今天地日月の心肝要なりと仰せられる。又今日は私は信心させて頂くならば一番大切な所大事な所、ね、私はここだと思うと言う事を一番始めに、私の少年時代の事を聞いて頂いて、本気でその真の人にならして貰おう、本気で真の信心にならして貰おう、一人でよいから親先生、本当の信者を育てて下さいというておられる岸先生の言葉で、私の心の中にその一人の本当の信者に私がならして頂こうと思うた、と。

 だからその思わなければならないという事、どげな信心したならおかげ頂くじゃろうか、ではなくてどういう信心させて頂いたら、良い信心が頂けるであろうかという事に、思いを変えなければならないという事をもうしました。次にここでは肝要だと云われる天の心、地の心を心として、所謂神様の心を心としての、日常生活の上にですこれが先程も申しますように、生活の中に信心があるのであっては、損になる事であっては、もう嫌です、恥ずかしい思いをする事であったらもう困るです。

 けれども信心の中に、その生活の全てがあるのですから、この恥ずかしい事柄をもって、この嫌な問題、この損をする問題をもって、私の信心が育って行くというのですから、信心の為にその生活の全てがある、という事になりますから、それが有り難く受けられるのであります、という所まで申し上げました。そして私はここんところ、教祖も肝要だとおっしゃっておられますように、愈々、私どもは、天地日月の心になるという、そこんところに、本気で腹を決めさせて頂こう。

 その事がです、神様を尊ぶ事になり、または神様を大事にするという事になるのだ。その御事柄を大事にするという事なのだ。そこには水行も要らなくなった、火の行も要らなくなった、所謂表行は要らなくなった。ただその事だけを一生懸命に頂いて行くという事になって参りました。信心は見やすいものじゃが、氏子から難しくする、けれども難しいものだと、昨日、平田会長は話されましたね。

 確かに私もそう思います。けれども信心の姿勢というものを、ほんとにそこに整えたらです、これは楽しいもの有り難いもの、という事になるのです。信心を体得した信心を覚えた。そしてこれが限り無いおかげにつながって行く事の為のものは、これは一生が修行でありますから、ね。けれどもその修行そのものが、楽しうなって来る。それは云えば、どう言う事になって来るでしょうか。私は自動車の運転をしきりませんから、私に自動車の運転して下さいと云うたっちゃ、動かし道も判らん。

 それは、私にとっては、大変至難なもの、難しい事なのであります。けれどもどうでしょう。運転を覚えた人、もう運転免許を取った人、福岡あたりから毎朝参って参ります、自動車です皆、ちょいと自動車の運転ちゃ難かしか、難しかと思うちゃ来よらん。もうそれこそ眼中にもなか。もう、自動車と自分とが、一体になっとる様な事で、合楽にやって来よる。これは、体得したからなんです。何でもそうです。

 稽古でもそうです、稽古の間は難しい。けれども、それを所謂、運転免許を取るというところまで、おかげを頂きましたらです、その自動車運転は難しいという言葉を使う事すらが可笑しい、むしろ、自動車好きの人が云うように、楽しうて楽しうてたまらない事になるのじゃないでしょうか。信心もそうです、私は、教祖は、信心は、みやすいものと仰有るのはね、そこまで至った時に、信心はみやすいものだと思います。

 ところがもう1年間朝参りをしたら、おかげは頂くじゃろうか、2年間参ったら、おかげ頂くじゃろうか、3年参ったら、お徳を受けるじゃろうか、と云うような事ですから、おかげが、おかげとして表われてこなかったり、これが徳であろうかと言う様なものを感じきれないと、もうそこに、信心に疲れが出て参ります。ですからそこんところは、やはり信心辛抱が大事。雨が降るから、風が吹くからえらいと思うてはならぬ、その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃとおっしゃる。

 だから、その辛抱しぬかせて頂いた、その先が楽なんだ、ね。「桜の花の信心よりも梅の花の信心をせよ」と、それは様々に説かれてあります。まあ、私のような信心が、桜の花の信心だと思いますね、性格的に。合楽は、一体がそげんです、パーッとしとる。けども、パーッとしただけじゃいけんから、そこに例えば、昨日は柳の信心、梅の信心と云ったような事を申しました。

 桜の花の信心の内容として、いわば信心辛抱も出来る、本気で素直にならして頂く事にも精進するといったような内容が出来て参りました時にです、梅の香りを桜に持たせ、枝垂れ柳に咲かせたいという、これは、私の理想であります。おかげの理想の世界です。そういうおかげを頂き続けたいと思います。日月の心。これは、私は、正確無比という事だと思うですね。いわゆる、実意丁寧神信心だと思う。

 ここでは信心の節度という事を盛んに申します。節度ぴしっとやる事ですよね。だから、そこにはきちっとしたおかげが表われるのです。おかげだけはきちっとしたおかげが頂きたい、信心はしだごだであってはおかげも、矢張りしだごたになるのは当たり前。だからこうと決めたら、是をやってのけるだけの云わば勇猛心というかね。いさぎよい心桜の花の信心の中にはね、ぱっと咲いてぱっと散ると言った様な、良かとこ悪かとこありますけど、いさぎよい所が良いですね、桜の花の散り際が見事である。

 もう十四.五年も前だったでしょうか。例えば、現在、私は四時のご祈念に出て参ります。三時半に控えに出て来る。これはもう一秒だって間違ってはならないと、自分で思うとります。それこそ、一秒でも間違いの無いおかげが頂きたいからです。まあ、そうばかりではありません。たとえば、一秒でも神様に待たせたら、相済まんと思いますから、ね。日月の心というのは、そう言う事だ。

 ある朝です目を覚ましたら、当時は五時のご祈念でしたが、もう5時10分ある。家内も寝て覚えん。もうそれこそ全身から血の引く思いを致しました。家内がご神飯を炊いて恐る恐るご神前にお供えをした、丁度ご神前に障子がございます。手がガタガタガタ震えてね、障子が開けられなかったという事を聞きました。例えばご神飯をお供えするのが、何分間遅れたという事でです、私と家内の信心がですね。

 それこそ命がけである。けれども、そういう間違いが起きた時に、私はご結界に当時の椛目のご結界から下がりました。そして神様もうお取次のご用などというのは、これでご無礼致しますと。それからすぐ親教会に出ました。親先生色々問題に問題を生んで、あの人が集まるようになり、人が助かる様になりましたけれども、今日を境に私は取次がせて頂くと言った様なおこがましい事は、もうやめました。

 どうぞ親先生神様にお取次お願いしますと云うてお願いしますと申しましたら、親先生の方がビックリしてそげなこつ云わんでんよかじゃんの、と云うて頂いて親先生になだめられてから、また御用をさせて頂く事になりました。と云う位に私はそこに命をかけます。以来家内がご神飯を遅くするような事はありません。現在では修行生の方達が、それこそそういう私の生き方をして、もう二時過ぎくらいに当番の人が起きまして、ご神飯を炊かせて頂きますからね。

 日月の心というのはです、こうと決めたらこうと行じ抜く心。しかも実意丁寧神信心という事なのです。そういう私は信心が、また大切であると思います。どういう素晴らしい信心が出来ておりましても、しだごだであったり、まあいうならば、時間励行も出来ない様では、神様の方だって同じだと思います。それこそ日月の心のように、正確無比とまでは、まいりませんでも、そこに命を掛けるくらいな信心が必要。日参りをするというなら、日参りをする。

 一週間に一回と決めたら、一週間に一遍これだけはどげな事があったっちゃという信心をさして貰う。だからその人の信心の程度、程度に応じて、時々、用のある時だけ参って来るといったような人に、私は申します。それは月に1辺でもよか、だから月の何日だけには絶対と云う、おかげを頂けというふうに申します。ただ自分の気分の良い時だけ参るというごたるふうじゃだから、神様も気分が悪か時は、もうおかげを下さらん。こっちが気分のよか時だけ信心しよる。

 私が、先程から申します、いわゆる御事柄として、神様の御働きとして、それを頂いていくという信心が、私は、真の信心につながる、という事を確信いたしております。どんなにお参りが出来ましても、御用が出来ましても、また、御教えの事が判らせて頂きましても、神様を疎かにしたのでは、もう信心になりません。けれども、お祭りしとる神様だけは、大事にしとるけれども、神様のお働きそのものを疎かにするなら、もう神様を疎かにしたのも同じ事だと、私は、そのように頂いております。

 お互いが、段々信心を判らせて頂くと言う事は、今まで天地のご恩恵に浴して参りました事、所謂最後におっしゃっておられます「信心はせんでもおかげはやってある」という、おかげをまず判るという事が、おかげの実感に浸らせて頂く事なのであります。目が覚めたら、ああお生かしのおかげを頂いておったと判る様になります。痛かっても痒かっても、是は生きておる印だと、お礼が申されます。是には矢張り信心は無くてもおかげはやってあるという、おかげをおかげと実感するからであります。

 それで、お話を聞かせて頂いて、私たちがこうやって持っておるけれども、これは、自分が持っておるのじゃない、持たせて頂いておるんだという事。それを信心の無い間は、薄い間は、私が持っておるんだとこう云うた。けれども、あなたがいっちょ痛風にどもなってみりゃあ、こうこうして、これいっちょでん触れんじゃないですか、ね。神様に持たせて頂いておるんだと判る。目が覚めた、ああ今日もお生かしのおかげを頂いておった。痛い事も、やっぱり生きておる印であるとして、。

 礼の申し上げられるような信心が、一つの基盤になると言う所まで、信心をこれは話を聞いて判る事ではない。理屈の上では判るけれども、実感としてああ眠たいと言うたらいかないでしょう。実感として目覚めた事が不平不足の様な事じゃあ、まだ判っとらん証拠ですから。そうでしょうが。そこで今日私が申しました、天地日月の心と云ったような事が肝要だというところに焦点を置いて、所謂生活の為に信心があるのではなくて、信心の為に生活の全てがあるんだと云うような信心を、修養さして貰う。

 修行させて貰うて行く内にいつの間にか、そういうお生かしのおかげを頂いておる事が有難うなり、痛い事も痒い事も、また有り難いという事になって来るのですから。金光様の信心は、そこんところが、先ず基盤になって、しかもそれだけではいけん。信心がない者にでも下さってるようなおかげで、甘んじておる訳にいけん。そこで私どもは、これは信心頂いておるから、これは信心者でなければ頂けないという。

 おかげを願わなければならない。そのおかげと云うのは、只自分の都合が良くなったというおかげでなくて、自分には都合の悪い事であっても、それをおかげとして頂ける信心を頂きたい。私は先日ある書物を読ませて頂いていたら、玉水の湯川先生のお言葉というのがついとりまして、こう言う事をおっしゃっとりますね。「自分の都合の良い事は喜び、都合の悪い事は不足に云うのは、まだ本当の神様が判っていない」と。

 自分に都合の良い事は喜ぶけれども、自分に都合の悪い事は不足を言う様な事では、まあだ、あなたは神様が判っていないという事だと。して見ると私共はほんとに、分かっておるごとして、判っとらん事が判りますね。「都合の悪い事も喜ぶようになれば、一切が自由になる」とおっしゃておられます。都合の悪い事も、喜ぶようになると、一切が自由になるという事。これはねこういうおかげを本当に受けておられる湯川先生のお言葉だから、有り難いのですよ。

 これを自由にもしきらん者が云うたところで、一つも響かんですよね。だから本当だなあと思う訳なんです。「一切合財が喜べれば、一切合財が自由になり、金光教は生きながら極楽」というておられます。金光教は生きながら極楽百味の御食、必要なものが必要に応じて、しかも限り無く頂けるそういう信心なのです、金光教の信心は。それには先ず、自分の都合の良い事ばかりを有り難いと受けないで、都合の悪い事も神様の御事柄として、御働きとして頂く。

 今日私が申しますいわゆる、天地日月の心という事なのであります。折角ご神縁を頂いて、お互い金光様のご信心をこのように頂いとるのでございますから、この有り難い信心を、次から次と人にも伝えていけれる有り難いものを内容として頂きたい、先ず私が助からなければならない。私が助かるという事は、家族が助かる事、私に関係のある、かかわりのある人が全部助かって行く事につながるのです。俺さえ助かれば良いという、我の助かりでなくて、私が真実助かるという事。

 だから人ではありません。先ず自分自身が真実助からなければなりません、ね。合楽で私はおかげを頂いておるという事は、もう幹部の殆どの方達が、家族が勢を揃えて信心をしておるという事であります、主人が信心をする家内が信心をする。ついて来ねばおられんのが、金光様のご信心なんだと思います。ですから一つここん所をですね、おかげを頂いて参りまして、人がついてこなければおられない、お話をすれば成程と合点してくれる、そういうおかげを頂いて、または現していきたい。

 昨夜杷木の先生と平田会長とお話をしておられる、私はそばに座って聞いておるけど、私は耳が遠いから全部は聞こえませんでしたけど、この有り難い金光様のご信心が、今に世界を風靡する、世界の隅々まで行きわたる、その頃には何々派、何々宗といったようなものは無くなるだろう。それは千年先か万年先か判らないけれども、そうなるほどの内容を持っておるのが、私は金光教だと思います。

 世はまさに、いわゆる科学万能とか、医学万能という時代は過ぎた。そして、皆が心の時代だと言うようになって来た。人間が月の世界に行けると云うほどの時代である。70年代というのは、その様な、私は、素晴らしい転機に立った年だと思わして頂いております。ですから、去年から私は、その事を云っている。もうそう云う時期が来たのだ。人間が人間の力で月の世界に行けれる様な時代になった。

 けれどもそこに人間の幸せは、約束されない。人間が幸せになる為には、どうでも心を大事にするという事、心その為には心だけではいかん。所謂教祖が仰る和賀心にならなければ、人間の幸せはありえない。和らぐ心和らぐの心というのは、普通で云う和の心ではない。叩かれても引っ張られても崩れないという心、これが和の心。有り難いなあと云って、何分後にはもう有り難くないなら、これは本当の和の心ではない。賀の心と云うのは、教祖は、「祝い喜ぶ心」と仰せられておる。

 心がいつも生き生きとしている喜びにあふれておる心、そういう心に成らせて頂くという事が人間の幸せだと。それに完璧なれるという事は中々又至難。けれどもそれが人間の幸せの土台になるという事を、判らせて頂くというだけでも、おかげになるという事。私はこの頃6月30日の大祓い式の時に、自動車がこの駐車場一杯に集まります、自動車の型を書いたはらえつものを作りまして沢山な自動車を祓わせて頂きました。

 その後にみんなに申しました事、今年一杯この次の大祓いの式まで一つ、無事故でおかげを頂かせて頂く事の為に、お茶の心を忘れるな。だから自動車に乗る時に、お茶の心お茶の心と、云うただけでも事故に遭わんだろうと。お茶の心とは、和敬静寂である和の心、敬はうらやむ心、静は静かな心、寂はいよいよ静かな心という事でしょう。だからそういう落ち着いた心でという事は、なかなか難しいけれども。

 和賀心をこれに頂くという事は、難しいけれども、ハンドルを握った時に、お茶の心お茶の心と思わして頂いただけで、もう心は神様に向かっておるのであるから、事故に遭わん、と。ところが、それからわずかしかなりませんけれども、衝突をされたとか、追突をしたとか云うのが、いくらもある。それで「あんたがお茶の心を忘れとったろう」と。「それが、ほんな、そん時だけ忘れとった」と。普通はずうっと思うとるごたる。(笑)だから、これは本当ですよ。だから信心はみやすいものでしょうが。

 和賀心になってしまわなければおかげはやらんと、おっしゃるのじゃない。本気で和賀心にならして頂く事に極めようと、本気で真の信心を頂こうと、姿勢をそちらに向けただけでも、神様が感動してこちらの心の中に喜びを送って下さると云うのが、お道の信心。だから、その喜びの心におかげが伴って来るというのが、又お道の信心だからとてもそこまでも行かにやんなら、信心はとても難しかという事はないという事。

 是はもう始めて自動車のお祓いを受けた人がです「ほほう金光様も言う事はいらん。先生がお茶の心ちゅうたけん」お茶の心お茶の心と云うただけで、私が事故に遭わんて云うのですから。だから信心はそのようにみやすいもの。しかもそれがです体得させて頂いたら、愈々楽しうて有難うて、というものになって行くのが信心なのであります。信心を一つ本気で楽しいものに、有り難いものにしていきたいと思います。

 最後に玉水の湯川先生のこのお言葉をね、もう一辺私が読ませて頂きますから、皆さん暗記して帰って下さいそして本当に、生きながらの極楽のおかげを、お互い頂こうじゃないですか。「自分の都合のよい事は喜び、都合の悪い事は、不足に言うのは、まだ本当の神様が判っていないからだ。都合が悪い事も、喜ぶようになれば、一切が自由になり、一切合財が喜べば、一切合財が自由になり、金光教は生きながら極楽」と教えて下さる。これで終わります。

   ありがとうございました。



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