昭和46年5月4日 朝の御理解
桂先生が大きな牛を引っぱり出すお夢
(椛目の草創の頃)
御理解第二十八節 「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、
掃除はできぬ。それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、
病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ」
身内で困ったことやら、難儀なことが起こって来ると、「めぐりが出た」と申します。めぐりのお取り払いをお願いせねばと。そこで、身のめぐり、家のめぐりと言うて、それが病気災難と申しますか、それが難儀の元になって行く。それが井戸替えをするのに退屈してやめれば、いつまでたっても水は濁っているようなもので、それを清水になるまでの辛抱が大事じゃということと言うてありますが、果たして私どもがめぐりのお取払い頂いて、頂くということが出来るだろうかと。本当に井戸は清水になるまでといったようなおかげが受けられるであろうかと。本当に難儀というものは、この世から身の上にも家の上にも根絶してしまうものであろうかと思うてみる時に、やはりいろいろ考えさせられることがあります。
永年信心の稽古をなさっておられ、それはもう何十年、親・子・孫というような信者は沢山あります。もうそれ程し、永く信心辛抱しておられるから、もうそれこそめぐりの、言わば井戸は清水のおかげを受けておられるだろうと思うけれども、やはり難儀がないことはない。難儀を受けておられんという訳はない。災難を受けておられる家庭の中にも様々難儀はやはりある。だから、本当に井戸が清水になるまでのおかげが受けられるであろうか。とまあ一通り思うてみて、そしてまあ、言うならば、私、私一家のことを思うて頂くと、また良いです。
まだ椛目の草創の頃でございましたが、元はこのバス通りに面した方から入っておりました。私の方は。それが横の、今の、あれが前のずーっとガラス戸がずーっとはまって、東側の方から入るようになりました時代に、一間の格子戸があって、そこを開けて入ってくる。東側の方から西側に向かって入るように改造した時分でございました。その一間の格子戸を二枚ながら取払って、小倉の桂先生が、それこそ象のように大きな牛を引っ張って、その一間のところからようやく引っ張り出すようにして、牛を、こう牛の穴蔵を通って、家からその象のような牛が出て行くところをお夢に頂いたと言うのであります。
大坪の夢は随分めぐりが深かった。随分大きなめぐりがあった。
牛ということは家のめぐりとお知らせ頂いとりますが、それこそ象のような大きな牛のめぐりがあったと。そのめぐりを、いわゆる金光様の御信心のおかげで、初代、先代、私共の先達であるところの先生方の御祈り添え、お取次によって、大坪の家の象のように大きなめぐりが御取払いを頂いて、私共が難儀困憊が続いて二十何年になりましょうか、その間、様々な問題もございました。当時、神愛会自体の上にも難儀がありましたし、大坪の家にも難儀はないではありませんでした。けれども、まあ振り返って見てですね、はあ、井戸清水のなるまでのおかげというものは、こういうものではなかろうかと私は思います。
皆さんも、そこんところを一つ見極めて貰わねばならんと思います。と言うのは、私共の大坪家の上にも、また神愛会の上にも、椛目教会から合楽教会へと段々進展をとげて来まして、年々歳々、言うなら繁昌の一途を辿るおかげを頂いております。人間関係の上にもおかげを頂いとります。ですから、まあ井戸は清水になる迄のおかげというものは、こういうことではなかろうかと、まあ一遍思うてみねばなりませんですね。
先ず、私が先程申しました、何十年間の修行を続けておられ、おかげを受けておられ、親・子・孫と、熱心に信心の続けられておられる人の中に、果たして災難が起こっていない、難儀が起こっていないであろうか。大体どれ程し辛抱し続けさして頂いたら、井戸は清水になるであろうか。これはそういう風に井戸が清水になるといったことは、まず出来んのではなかろうかと、まず思うてみて、同時に、もう一つ私の方の例を思うて見て、頂くことなんです。まあ井戸が清水になる迄というのは、そういうような大坪一家のようなものではなかろうかと。
そこでです、私はここで思わして頂くのですけれども、これは大きく言うてですね、問題が清水になるということ、清まって行くということ。これは人間自体が清まって行くということ、家自体が清まって行くということはです、本気で、私共がです、様々な問題を通して、その都度都度に信心が一段一段飛躍して行くこと。問題のある度に、難儀を感ずることの度に、いよいよ清まって行くこと。
しかも、それが限りなく続けられるということ、そういうことではなかろうかとこう思います。井戸は清水になる迄と、例えを以て言うておられるが、私共の心自体がです、清水になる迄と言うおかげを頂かなければならないし、信心とはそれだと私は決めてかからなければいけないと思います。
信心とは限りなく美しゅうなること、信心とは限りなく清まって行くことなんだと。なら清まって行く手段として、方法として、日々の御教えを行の上に表して行く生き方と、同時に、様々の難儀を感じ、問題を感じ、その都度都度に、私共がその問題を難儀を通して改まって行くことに、清まって行くことに、努むるということ。
そういう姿勢をしっかりつくるということ。どういうような場合であっても、その心が微塵だに動かないということ。
そこで私はそういう心が出来た時に、私が清まった時だと思う。
清まって行くことは限りがないのですけれども、一寸問題があると、あれがあーだからと言う間は、これが問題で、こうなると言うのでなくて、その問題が自分自身の上に、その問題を通して、神様が「さあ清まれ、さあ改まれ」と言うておられるのだと。それを私は思い込ませて頂いて行けれるということ。これは私の信心と言うなら、私はその一途で、今日までその信心を続けて来ておる、それは誰のせいでもなければ、彼のせいでもない。結局私自身のせいだとして、そこを清めて行くことに精進させて頂いておる。
今月は、真心ということを言われますが、真心と言うても、これ程しの真心と、たとえ思うておっても、神様はどこに不純なものがあるやらわからない。それをいよいよ本当の意味の真心として受けて下さったり、真心として受けて下さることのために、いよいよ厳密に教えて下さるようになる。
親教会四十年の記念祭を仕えます時、丁度一年前に委員会があって、その委員会の席上で様々な問題がなされましたけれども、積極的に一年後に仕えられる四十年祭を、具体的にこうという話は決まらなかった。末席を汚しておった私も、それを聞かせて頂いて、とにかくそれが歯痒うて歯痒ゆうてたまらん。その位のことならいっちょ自分一人ででもおかげ頂きたい。当時は本当に物価も安かったですね。記念祭が仕えられるのに一万円位で経済が出来るような時代ですから、一年前にそういう計画が立てられたけれども、そんなら私がおかげ頂こうと言った風な者は誰もなかった。何とはなしに舌浦で終わるという感じの会合に、私まあ一心発起した訳です。
そして、私の身の上、私の働きの上に頂けれる収入というものがあったら、もうそれは一年間記念祭までの収入の一切を神様へ捧げる奉仕の一つだと腹を決めた。まあそれから一生懸命商売させて頂いて、その商売の上にも、良かったり悪かったりで、これはああこの調子で行くなら、またたく間にというようなことが続いとるかと思うと、それが、がばっと引っ掛りが出来たりして、今度は赤字になる。そういうことでございました。もうあと一月で記念祭だというのに、一向にその成績が上がらない。少しイライラし出した訳です。
そこで私は、私のこれ程しの一生懸命の真心、考えてみるとですね、記念祭の為に私は打ち込んどる。その収入のすべてを記念祭のために打ち込んでおる。これ程しの一生懸命の私の真心を、神様はどういう訳にお受け下さらんのであろうかと思い出すようになった。だから御神意が知りたい。神様の心がわかりたい。どういう訳に私のこの真心を受けて下さらんのですかという気持ちが起こりましたから、私は丁度草野の上に山が、滝場があります。それで滝場にリュックサックを担いで、一週間位のお米と塩やら最少限度の食べ物を持って、それから家には山越えをして星野辺りの商売に行くと言うて、私は出かけました。
ところが、その山の中腹まで参りました時に、忘れもしませんが、十一月だというのにそれこそ山の中腹まで行きましたら、一天にわかにかき曇りましてね、もう真っ黒い雲が山の上に降りて、竜が昇天する時はこういう時じゃなかろうかというように、真っ黒うなってから、それから、それから雷が鳴り出した。全山鳴動と言いますか、山がくずれるごとある感じですね。山で聞く雷さんというのは。しかれども、時期が時期、十一月でしょう。十二月の三日が記念祭ですから、それで十一月に登っておるのにそれでした。もうそれで雨が降り出しましたから、丁度中腹にありますお滝場のお篭堂に逃げ込みましてね、そしてまあそこに落ち着いた。そこにはまあここの若い方達がいつも寒中になりますと水垢りを取りに行きますのがそこなのです。
言うなら私の修行場の一つであった訳ですから、皆さんもよくその寒中修行等はお滝を頂きに行く訳ですけども、そこには一人坊さんじゃないですけどもおられる方があって、お篭堂に入りましたけれども、どうも私が邪魔になるように言われますから、横の方にあります小さい観音堂がありますから、そこに行ってお滝の水を頂きながら、そこで御飯を頂きながら、お粥さん炊かせて頂いたりして、滝の水を頂いて、それこそ一生懸命大祓い、滝の水を頂きながら大祓いを奏上さして貰うといったような、幾日と過ごさせて頂きました。どうゆう訳で私がこれ程しの一心の真と自分で思っている一心の真を以て、その記念祭に奉仕しようとしている私の真心を神様がどうして受けて下さらんのであろうかと。それが知りたい一年間、約一カ年間したけれども、それが成就しない。そこで神の心がわかりたいとしてそういうことになった。
そしてそれは三日目だったでしょうかね。三日目の朝方ですね。
お夢を頂いた。そのお夢がです、それこそ一間真四角位あるような古い井戸がありました。夢の中に、そしてその井戸の中をこうやって覗きましたらね、もうそれこそ真清水というのですかね、もう鏡のように美しい井戸でした。こう覗いて見ると、一間真四角もあろうかというような中に、そこいっぱいに泳いでいる、大きな鯉が泳いでいるのです。それを見た瞬間に、ああ、今度の四十年の記念祭の御供えはこれだ。これを御供えさして頂こうと思うておるところであった。井戸の中を覗いて見て、そう思いながら、私はこの井戸の縁に立って、そこに小便をまいよる所じゃった。小便まってしもうてから、「しもうた、これじゃ御供え出来ん」と言うところで目がさめた。
そしてつらつら私が考えさせて貰うて、分からせて頂いたことなんです。さあ、一年後には四十年祭が仕えられるというのに、皆さんは一向に、皆さんはたった一万円余りの祭典費というものが、どうして捻出されるだろうかという風に感じられた。私は、やはりそれが歯痒かった。それで私が一生懸命一年間働きますから、その働きから生まれる収入というものすべてを、記念祭に打ち込みたいと感じた。そういう真心を以てやっておることが、成程神様のおかげと思わなければおられぬ程しに、置いたものを取るように、商売が順調に行ったかと思うと、今度はその反対にがばっとひっかかりが出来たりして、また赤字になるというようなことを十カ月ばかり繰り返していた。
もういよいよあと一カ月で大祭というのにです、何の御供えが出来ることも出来んというような状態で、少しイライラし出した。そしてどういう訳に、私の一心、この真心が神様受けて下さらんのか、このところを伺いたい、その心を知りたいと言うので山にこもった。毎日滝の水を頂いては、そこんところをわからして貰いたいと一生懸命に精進した。
そしてある朝、お夢を頂いたのがただ今のお夢であった。これを以て大祭の御供えにさして頂こうと思うておる。思いながらその井戸の縁に立って、小便をその中に、そこに不浄が入った。ああ、もうこれはこれを御供えしようと思いよるのにどうしてこういうことを自分でしたんじゃろうかと、夢の中に思うて目がさめた。
そして思わして頂いたことは、まあ小便ということは、小さい目先のおかげだと思うた。小さい便と書いて、大きなおかげの、小さい慾というか、大きい慾でなけりゃいけんけれど、小さい慾のために、私のその記念祭目指して修行させて頂いた、記念祭にその打ち込ませて頂く働きのすべてが、記念祭のための働きということになった。ところが、結果はそういうことであった。お夢頂いたのがそのことであった。
そこでね、わたしの心の中でです、記念祭記念祭と記念祭を仕えさせて頂いて、真心いっぱいのおかげを頂いたら、記念祭が終わったら、その後には、神様私におかげを下さいと、私は何のために一年間棒に振るような働きを致しますと。その代わりに、その先は、今度は私の願いを聞いて下さいというものであった。こうして下さればああしますという条件があったということです。それが不浄であった。それだから神様の気感にかなはなかった。
こういう信心するからこういうおかげを下さい。例えば、その条件付きの信心ではいけないということ。その条件そのものがいわゆる不浄になっておった。それに気付かせて頂いて、それこそ愕然としました。ああ真心だ一心だと思うておるその真心が、一心が、神様が受けて下さらない筈だと、いわゆる真心の追求が出来た。さあ、それから後一月で記念祭という間を、もういよいよ無条件。ただ記念祭のことだけ思わして貰うて、記念祭が過ぎたら、今度は私の商売の上に大繁昌のおかげを頂きたい。それから先ずは私のためにおかげを下さいといったような思いを捨ててからの商売にならして頂いたら、一年がかりで出来なかったのが、一カ月の間にその順調さというものは驚くばかりでした。丁度私が願いをしてただけの金額を御供えすることが出来た。
井戸は清水になるまで、その、いかに井戸は清水になるまでと。
途中で止めれば、七分八分目位で止めればです、いつまで経っても清水にはならない。途中で止めれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまでとあるが、私が例えばその十カ月余りの、これは、自分で一心と思いよるが、成程一心ではあったろう。また真と思うておった。その真でない話でもなかろう。けれども、その真には不浄が付いておる真であった。条件のある真であった。
そこで私共が、そういう、例えば条件をはずしてのそのことに打ち込ませて頂いたら、十カ月どうにも出来なかったものが、一月の間に願いが成就した。私は井戸が清水になるまでというのは、そういうことではなかろうかと思うた。自分の心の中に条件のない、いわゆる真心というものがです、自分の心を清水にしていく。確かにそこには清らかな井戸があり、水があり、中には鯉が遊泳、悠々と泳いでおる。けれども私共の小さい条件という小さいおかげの為に、目前のおかげの為に、ここに不浄をかけた。それを神様が受けては下さらなかったということになった。それがわかった。
そこから気付かして頂いて、いわゆる無条件の奉仕、無条件の記念祭ということにならして頂いたら、ならして頂いたら、その願いが成就した。私は井戸は清水になるというのは、井戸そのものが清水であっても、私共の不浄心がです、それをいつまで経っても神様が受け取って下さることの出来ない、不浄な水にしてしまってることはなかろうかということであります。
私共が信心さして頂き、果たして病気災難の根が切れるであろうか。本気にめぐりの取払いというものが出来るであろうかと。何十年信心しござるけれども、やはり災難も続いておる。難儀なことも、困ったこともあるということをみるとです、これはめぐりのお取払いなど出来ないのじゃなかろうかと思うような感じがするけれども、そのめぐりのお取払いというのは、井戸は清水になるまでというのは、私共が無条件の信心、無条件の一心の真を捧げての願い、そういう状態にならして頂く時を、私は清水になった時じゃなかろうかとこう思う。
そこには神様はまた条件なし、無条件におかげを下さることが出来ておる。そういう姿が、私共大坪家で言えば、ここ二十何年間のおかげの姿ではなかろうかとこう思う。神様は無条件におかげを下さってある。私共は無条件に神様の前に奉仕しておる。病気災難の根が切れるとか、井戸は清水になるまでというのは、そういうことではなかろうか。よしそこに病気があり、災難があったに致しましても、それはもう病気ではない、災難ではない、もう御神意として頂いておる。
昨日の御理解を頂いた後に、土居の久富さんが頂いとられますお知らせは、ここに波多野さんという方がおられますが、波多野ということを頂かれた。波多野とは波が多いと書いてある。その波多野をです、言わば人生の荒波などということを申します。どういうようなことが起こって来てもですね、それを例えば有難く受けるとか、元気な心で受けるとか、いよいよ自分の心が健全に大きくなって行こうとするというか、人生の荒波をそういう心で受けさせて頂ける心が、心の中に生まれたら、今日私が一番はじめから言っておりますそういう姿勢なのです。どういう荒波があろうが、そういう例えば難儀なことが起こる。病気災難と言うてある。病気災難が起こってもです、それをどっこいと受けさせて頂けれる心が生まれたら、もうあなたはおかげを受ける寸前にあるということです。
日田に蕎麦饅頭ちゅうのがありますよ。ということはもうおかげがそばだということです。間違いないです。自分でわかるです。はあこれは、いよいよおかげが間近になったなあということです。ところがちょいとしたことが、もうぷりっとせにゃならん。ちょっとしたことが心配になる。ちょっとしたことが腹が立つ。これではまだまだ本当のおかげ、私は井戸が清水になるということはね、どういう波多野、どういう世間の荒波とこういうか、荒波が荒波とせず、それを受けて行けれる力が出来た時にです、私は清水になったも同然だというような感じが致します。そういう状態になれた時にです、おかげは間近なんです。
本当にこれが以前の自分なら、腹が立ってこたえんやったろう。
けれどもそれを黙って受けることが出来る。黙ってどころか、有難く受けることができる。おかげはもう間近です。絶対。信心すればそれが出来る。それが出来るのが信心。それが稽古なんである。ちょっと難儀なめに遇うと、もう暗い顔をする。もうイライラする。
こういう時に、皆様であるならば、まだまだ本当のおかげを頂けんばいと思うても間違いないです。
まあこれはちょっとした例ですけれども、久富さんの弟嫁さんに当たります方がここへお届けをされます。印刷会社に勤めておられる。帰る時には手がいっぱい汚れるから事務所の若い女事務員の方に、「石鹸はどこにありますじゃろうか、石鹸を貸して下さい」と言うたところが、その女事務員さんが曰く、「私は石鹸の番はしとらんばの」と言うた。おばしゃんば、つかまえてですよ、若い娘が。本当に昔の私なら、かーっとするところでしょうけれどもです、もういっちょもかっとしませんでした。
そしたら、横におった男の事務員の方が、「おばしゃま、私が探して上げましょう」ちゅてから、出して来てやらんしゃった。「まあ本当に見捨てる神があるなら、助ける神があるとはこのことでしょう」と言うてから、お礼を言うて。「おかげを頂きましたね」と私は申しました。
そういう時に、黙ってどうもなく受けられるということは、素晴らしいことでありますと。御主人が大変酒癖が悪い。そのためにここ二三カ月毎日参って来る。ところがその酒癖のことは一つも良くならんけれども、信心を三カ月続けている間に、そういう心が段々出来て来た。これはだから一寸した例ですよ。
そしたら昨日どうですか、それから二・三日後です。昨日親子二人で御礼に出て見えましてから、丁度お休みでお母さんと子供を乗せて遊びに行って帰り途中、西鉄の電車の踏切の遮断機はないそうですけど、中に入った途端に自動車が止まってしまった。ところが電車が来る前に、ジリンジリンとベルがなるでしょう。そのジンジンが鳴り出したと。もうそれこそびっくりしましてね。その子供と母親はドアを開けて飛び出して逃げたけれども、自分は自動車があるから逃げる訳にはいかんから、そういう、その、もう無我夢中だったでしょうね。もうそれをどげん言うてから、「金光様」ととなえたかわからん。「金光様」と言うた途端、自動車が動いてから、ぱっと向こうへ出たその瞬間、その後を電車が通ったと。それこそそれを目撃しとった皆が、見とった者が青うなってですね、「どうもしなかったですか」と走って来てくれた。自分は帰って休むまで、その胸の、心臓の動悸が止まなかったと、「先生、広大なおかげ頂きました」と昨日御礼に出て来ました。
ですから、これは主人の酒癖が悪いというのが、治る治らんじゃない。そのことを通して、神様が三カ月の信心をさして頂いて、そして普通で言うなら、かっとするようなことに直面しても、それを有難くとまでは行かんけども、どうもないような気持ちで受けられるくらいにならして頂くところまで、信心が成長した。だからもう次には、そういう命拾いするようなおかげが間近にあったということがわかるでしょうが。もしこれがそういう「金光様」ととなえることも、そういう心の状態が心に育ったとしていなかったら、それこそ取り返しのつかないことにもなったであろうと言うて、御礼を申さして頂いたことでございます。
そこんところを、私はそれだけではない。いつもがですね、私共がいよいよどういう波多野であっても、どういう波多い毎日でありましても、それが乗り切って行けれるおかげ、いやその波が高いなら高い、風がきついならきつい時程、却って急速度に、船が、例えば神様委せの帆を上げておればです、却ってそこを急速な力を以て荒波を横切って行けれる程しの力を頂けた時に、例えば、普通で言うなら、かーっとする時に、心の底にニヤニヤ笑えるような心。いやむしろ御礼を申し上げるような心が生まれたらです、もうあなたはおかげを頂く寸前にあるということなんです。嬉しいでしょう。
そういう心を目指さなければ駄目だということ。そういう心の状態をこそ、私は病気災難は根が切れたのも同じだということ。病気災難がよしあっても、もうそれは有難く受けているのですから、もうそれは病気災難じゃない。もう御神意、神愛として受けておるのですから。
だから信心しておってもです、病気災難の根が切れるという程しのものはないと私は思う。あると、けれどももう私の前には、これは病気でもなければ災難でもない。腹の立つ問題でもない。それは皆御神意である、神愛であるとして、受けれる心が出来た時には、もうおかげは無条件に神様が下さるようなおかげになるということなんであります。
どうぞ。