昭和45年4月18日 月次祭
春のご大祭も明日、そして明後日に控えましての今日はお月次祭でございました。明日は前夜祭が執り行われます。いわば三日間お祭りが続くわけでございます。本当に私はありがたいと思いますのはいかに三日間大祭が続きましてもそれが一週間続きましても、生き生きとしてありがたいご大祭であり、前夜祭でありお月次祭であるそういうおかげが受けられることが私は非常に有り難いと思うのです。もう明日は例えば今日なんかは午前中に座っておる時にですね、お神酒のお供えが五、六本あったです。昨日までぐらい。今朝になったらもう来る来る、しかも思いもかけないところからしかも二本、三本とまとまってくる。それでとうとうあの、今日お供えしておるようなお供えができておるのです。
まあ思いがけないところから果物があっちこっち集まってくる。ね。これは明日の前夜祭なっと取っとこうかち。いうごたる、けれどもやはり今日のお月次祭の一つごひれいでございますから、ね。まあこのようにおかげを頂きました。ところがその神様はそういうお気持ちでおかげを下さっておるのですけれども、人間のほうはどういうことになっておうるだろうか。はあもう、ここ何日間か御用が続いておりますから、ね。朝から御用を頂いておられた方たちもございます。明日は前夜祭も御用ならんけん。もう今夜はお父さんあんただけにしておきなさい、お母さんは参るだけにしておけと。といったような感じがお広前に感じられます。いわゆる神様の願いと氏子の思いというか、いうものが、バランスが崩れてくる。ね。私はこれではいけんと思うですね。どうでも一つおかげを頂かせて頂くためにね、いや神様のいよいよご信用を篤うしていくためにね、一週間ご大祭が続きましても、私は相変わらずの生き生きとしたおかげの頂けれる信心を頂きたいと思う。よく、色々な稽古事などにでもそうですけれども、マンネリという事が言われますよね。マンネリする。信心がマンネリになる。慣れっこになってしまう。はあ、またお月次祭かと。また、明日もお祭りかと。いったようにお祭りになれてしまう。私はそれが一番これは何事によらず大事なことだと思うのですけれども、私がおかげを頂いておりますのはね、もう毎日毎日がです、これが新という心を頂かせてもらうということが有り難い。
ね。私が朝の御祈念にいわば、この控えに出仕してまいりましてから、ここの御祈念の座につかせて頂いておる時の一つ、模様をご覧になると分かるです。もうそれこそ私のあの時の張り詰めた思いというものはね、あちらのふすまが開いてからあそこから入っていく時の気持ちというのはもう、本当に針が落ちた音でももう、応えるといったような感じです。これはね、やはり、日に日に新なおかげを頂いておかなければできることではないと思うです。ね。ところがですね、それは私の場合でもそのそういうマンネリといったような事が全然無いかというと無いことは無いですけれどもね、私共が日に日にね、信心を求めてまたそういう信心を有り難いと心得て信心をさせて頂いておるという事。そこにね、私はお祭りが何日続いても続けば続くほど有り難いということになってくる。
はあ有り難いなあ、お参りもお供えも自分でしよるとじゃないなあ、神様からさせて頂きよるとじゃなあというそこに体験が生まれますものね。してみると、それが一週間、よりも十日続いたほうがよかごとなってきますもん。いわゆる、御大祭ならご大祭の感激といったようなものが10日間続けばなおさら有り難いことなのです。そしてですよ、なるほど自分が参りよるとじゃないなあ、自分がお供えをしよるとじゃないなと、というそこに体験をはっきり頂かせて頂いて、体験を踏まえての信心が私はマンネリにならんですむおかげが受けらると思うです。信心がだれてくる。始めの間は有り難いけれども、段々ありがたさがかけてくる。それは始めの間は誰でもそうですけれども、段々ある域に達しましたらです、そこんところをねいよいよ願い、そこんところを楽しみに信心ができるようなおかげの頂けれるところまで、お互い信心を進めたいと。
太閤秀吉のまたの名を「橋場筑前」ともいった。または「木下トウキチロウ」とも言った。または幼少の時は「日吉丸」と申しましたですね。中々、きかんきの人だったらしいですからやはり出世コースというのが素晴らしかったですけれども、そこにはそれだけのですね、やはり人とは違ったものがあった。着眼が違っておった。精進ぶりが違っておったという事になるわけです。そして、(?)太閤とこう太閤と敬われるほどしのところまで進みました。やっぱり初めは日吉丸であり、または、木下とうきちろう時代にはやはり草履とりの時代からはじめておるのでございます。だからね、いっぺんにね、私が今日申しますようななら、生神金光大神の境地とか、又は、日に日に新というような信心を目指しておるけれども、日に日に新どころか古くなったようなね信心、なんとはなしに倦怠を感じるような信心、なんとはなしにだれてくるといったようなものがあるなかにです、そういうところを私はしっせいをする人たちは工夫すると思うです。ね。そういうところを私は本気で修行に取り組んで行くと思うのです。そこが違うだけです。草履とりをした人はどれだけあるか分かりませんけれども、草履とりで一生を終わってしまう人ですらあるのですから。ね。やはり初めはお互い草履とり。ね。そこからです私は一段一段信心を進めていくおかげを頂かせてもろうてです、ね、こんな有り難いおかげを頂いてもよかろうかと、自分で幸福を身ひとつに感じられるおかげを頂きたい。ね。ところが悲しいかな、太閤秀吉の場合はあれが一生で終わった。ね。もう自分がいよいよ幾ばくか生命がないという時に自分の取り巻きである重臣達を枕元において、ね、頼んだだけでは気がすまん。心もとない。まだ、秀頼は若い。頼むぞ頼むぞといったけれどもそれに皆が承知しましたというけれども、まあそれでも、その、寂しかった。心もとなかった。そこでその一人一人にね証文をとりました。書物。必ずね、あなたの後は心配が要りません。ところがどうだったでしょう。なるほど証文もで書いて、血判まで皆が押しましたけれども、それはもう秀吉がなくなりましたら、それはもうあっという間にそれは矛になってしまった。ね。 やっぱり自分が一番可愛かった。そしてその、自分が寵愛した家康に後を取られたと言った結果になりましたがね。しかしね、それがね普通一般の私は出世コースだと思いますよね。信心のない人たちの上に私はあの、出世の姿だと私は思います。ね。そこのところにですね、物の哀れを分かる程しの人ならば本気でそこをひとつ考えて見なければいけないと思うです。栄枯盛衰は世の習いだと言うてしまえばそれまでなのだ。ところが、教祖金光大神は日勝り月勝り年勝り代勝りのおかげが受けられる道と言うておられる。ね。ですからそういう道を私ともが行じて行かなければならない。そういう道を私ともが自分の物にしていかなければならない。そこに私は精進の眼目が置かれなければと思うのです。 ね。いかに自分のね、知恵才覚をもってね、太閤様と言われるおかげを頂きましてももうそれが子供にも孫にも伝わらなかったという、ね、これは極端な例ですけれども、世の中の全てがそうなんです。そしてそれを栄枯盛衰は世の習いだと思うております。ね。今日も若先生が今日は(?)の大祭でした。行って帰りましてから茶の間でお茶を頂きよります時です。今日は豊美達が夫婦で今日、おかげを頂きました。あちらでお茶でもやりよりますときにあそこに誕生日に頂いております、お茶の道具もうあれが入り切らんごとなっておる。この頃は(?)キチッとしてもらったけれどもまた沢山たまった。それで若先生が言っておるのです。「親先生がなくなんなさったっちゃこれば、売り食いしたっちゃ大分かかる・・(笑)」ね、世の中というものはそのようなことになっておるのです。ね。親が言うならば、このつめに火をともすようにしてがまだした。ね。子供が楽をした、そして孫が乞食をしたという例にもれないわけなのです。ね。ですから、木下戸宇吉郎のいわゆる日吉丸からずっと太閤秀吉のところまで素晴らしい調子のよい出世コースをたどらせて頂いてです、ね、太閤といわれるほどしのところにまでなっていよいよもう、自分が難しいという時になった時にです、ね、沢山の重臣の中からよりによって、この家来なら大丈夫というのに、頼んで頼んで頼みぬいたけれども、それでは、心もとなかった。それでは死んではいけなかった。そこで皆から証文までとったけれども、なくなった時と証文をほこにしたのは一緒だった。世の中というものはそういうものなのですよ。ね。ですからね、実際はそういうことにね、浮き身をやつにして私は働く人たちがです、どうして、本当なことがわからないだろうかと分からないのだと私は思うのです。ね。どうして、私は、いやゆる物の哀れが分かるほどしの人ならばです、はあ、お父さんの時にはあのようにして盛大であったけれども、孫さんの時代になったらもう見る影もなくなっておると。世の中じゃなあ。世の中もなるほど、栄枯盛衰世の習いだなと言うてです、言うことが分かるならばです、自分自身のこととして本気で一遍考えて見らなければいけないということなのです。ね。私ともが信心しておかげを頂くということはです、お願いをしておかげを頂くという事は、ね、それはそこになるほど奇跡も生まれます。ね、先日の、からの、あれは福岡の川上さんのお母さんなんかは死んどる者が生きあがったのですからね。とういような奇跡です。お医者さんが来て大奇跡が起こりましたなっと言わしゃた。というようなね、今日もね、昨日電話がかかってまいりました。私、裏に呼びにきましたから、聞きましたところが、福岡の月に日曜たんびに参ってきよる、みえる方があるんです。ご夫婦で必ず参って参ります。その方が、今度万博にいかれましてね、ところがその見物中に倒れられなさった。それは大変な状態でもう、(?)どうか分からんといったような模様だったらしいからすぐお願いをして下さいという電話がかかってきた。それからお取次ぎをさせて頂いた。それから今朝からは娘さん娘婿さん、それからお孫さん達が四人ずれでお願いに出てこられました。ね。お婆ちゃんから電話がかかってきてからすぐ「合楽にお願いに行ってくれ。私共はお願いもしたことないけれども、おじいちゃんとおばあちゃんがお参りさせて頂いておるその合楽というところに今日初めてお引きよせを頂いた。孫が言うんです。「どうぞおじいちゃんが助かりますように」と。ね。私そのことをお願いさせて頂きましたらね、こういう山ですかね、あの、山かねなんかというでしょう、例えば。(?)その山をこう頂くんです。ははあー、今日が峠だなあと私は思うたです。そうしましたらね、そこから御包みを用意してきてあったんです。これは元気同断に御包みをして、今日あそこに、国菊か、なんか、三本お供えがあったでしょう。お神酒が。あの御神酒をここへ持ってきてから、もう自分ところにお供えできないから、まあそこでよかですよちいうて、と言うた途端でした。こういうようなですね、今日が山だなあと私が言うたら、この山の下にプラスと頂いたんです。プラスということは+と言うことですよね。今日が山だと。もう今日が生か死かの境だと。向こうのお医者さんもそう言われるらしいです。万博の中にその病院が出来ておる。しかもとてもそれはとてもいいお医者さんが集まっておられるそうですね。中に。そのお医者さん達が口をそろえてまあ、今日が山場だと向こうでもそう言われたとこういう。それですぐ合楽にお願いに行ってくれというて、例えばなら、お供えお初穂を用意して初めてのお参りだけれども、孫まで連れてどうぞおじいちゃんを助けてくれというてお参りに来た。私はこの辺おかげを頂くこつ合いというものをね、今日は感じましたね。お供えやらといったようなものがねやはり思い切ってお供えさせてもらわないかんですばい。いよいよの時は。私は今日はこう頂いた。山ということじゃからね、これじゃあ。これじゃあもう山という時ですね、お供えを出されるのと一緒にですね下にプラスという字を頂いたです。だから、安心ですばいおかげ頂きなさるですばいと私は申しました。こうしたら傘になりましょう。山にこうプラスしたら。ね。傘は安心というお知らせですから。ね。降ってきたっちゃ傘さしとりゃ心配ないちいうわけなんだ。「そうでしょうか」ち、「拝んでもらわんでよかじゃろうか」ちいうて言う風にしておられましたけれども、あー私はそうやってお取次ぎさせて頂いた。ね。ですからね、そういうおかげからね、一歩も出ないとするならね、金光様の信心ももう、(?)同じことです。そこまでなら。ね。それからが違うのです。教祖生神金光大神はね、家繁盛子孫繁盛の道、親の代より子の代、子の代より親の代、日勝り月勝り代勝りのおかげが受けられるという道なのです。そういうおかげを頂いてこそ初めて教祖様の仰ってくださっておることを実証してくださることを実証することになるのです。それを実証しようとする私共が実証人にならなければならんということです。教祖金光大神は嘘を仰っていないのだと。
ね。そこで例えばこのようにおかげを頂いたけれどもそれが例えばなら、先ほど申しますマンネリになったら信心もお終いだと。何の稽古でも。そこを三代金光様は「日に日に新」と仰るがです、日に日に新な信心をさせて頂くということ。私が朝三時半にこのご神前に額ずかせて頂いた、頂く時のあの気持ちというのがです、ね、それはもうそれこそ命がそこに誕生したような思いである。日に日にが。今日私はある御書物を読ませて頂いていて、ビックリするほど私は共感したことがある。それはね、アメリカの有名な評論家が世界中の哲学者、宗教者を一同に集めてですね、公演を開かれた。その項第がね、「現代人の時代遅れ」という講だいであった。「現代人の時代遅れ」私は内容はまだ読んでおりません。そこんところを読ませて頂いた時にもう弾かれるようにその事を私は本当に現代人の時代遅れであると言う事をね私は痛感いたしました。
その方がその講だいのすぐ横にかいてあります中にもです、ね、「世はまさに宇宙時代である」と。私が言うような事を言うてある。人間が月の世界にも行けるようになったと。私は今日始めてその事を知ったのですけれども、百五十億年、人間がこの地球上に住むようになって、百五十万年です。という年限が経っておると言う事ですよね。私は一万年か二万年と思いよった。だから百五十万年も昔からです、人間がこの世に生を受けてです様々な革命があった。変化があった。それはねその、変化のあったその事実をね一番始めは人間が火を発見した時だと言うております。火を発見して火を利用すると言う事を覚えた。次にはね水を利用する事を覚えた。次には馬力、馬の力、馬力を利用する事を覚えた。その度にですね時代が変化して行っている。ね。最近にいたってはいわゆる蒸気がね、蒸気機関車なんか、蒸気で物を動かすという時代にまた変化があった。電気の時代がきた。世はまさに電気時代という時代になった。ね。ところがです、ね、私共がね、の例えば時代というのはいわゆる、宇宙時代であり、または、コンピューター時代であり、ね、又は断絶の時代とさえ言われるような時代が百五十年ぶりにそういう時代が来たのです。
大変なことですよね。その間お月様がやっぱりまんまんしゃまち言いよった。(笑)そのまんまんしゃまに人間が行けれるようになってきた。ね。いわゆるアポロ計画なんです。ね。そういう時代になった事をですね、ここに革命が起こらないはずがない。それを私は精神革命が私は必ず起こると私が言うのはそれなんです。また、起こさなければならない。そういう例えば(?)とか月の世界にいけれるような時代に、そういう時代になったと言う事はね、ここに大きな変化がもたらされれるのだと。なら、どういう変化がもたらされるかというとです、いわゆる和賀心時代が到来しなければならないというのである。人間の知恵やら力やら分別やらでもうギリギリのところまでおかげを頂いた。けれどもね、そこには人間の幸福というものはありえなかった。そしてそこに気が付いたのは心だと気が付いた。ね。なら私はその心だけではいけない。その心ね心の内容が和の心であり賀の心であり、和らぎ賀ぶという時代が出来なければならない。できる出来んは別としてそれでなからなければ人間の幸福はもうありえないんだとです、もう純粋に素朴に私はそこを確信すること、そこを信じることだと私は思うです。信心は理屈なしに。私が言う事はそれは言葉が足りません。また、説明をしろと言われてもできません。けれどもね、本当にそこをですね素直にそうだと私は合点する事だと思うのです。おかげは和賀心にありと仰るその和賀心、和の心にはいわばね、天地との調和があり人間関係の上にも和があり、ね、和の心には問題がなくなり、賀の心にはおかげが伴うと言う時代がです、来る、しかもそういう事であるとわからせてもらう時代。ね。ですからね、そういう和賀心時代に突入したんだ和賀心になるための、和賀心学というものがもしあるならばです、その和賀心学を義務教育を持ってしなければならんという時代に突入しておるんだと。この70年という年柄は。それこそ百五十万年ぶりにそういう時代になったんだという事なんだ。
そこで私はその講だいにですね私がビックリしたといのはです、現代人のね、時代遅れと言う事はです、現代人がねあらゆる機械文明様々な文明の時期というものを使用する事ができてもそれで幸せにならないならばその幸せの基がどこにあるかと、追求して行くときに金光教祖が言うておられる、和賀心、これはキリスト教でもいかん、仏教でん、あらゆる宗旨宗派では駄目なんだ。ね。その例えばキリスト教で愛を言い、仏教で慈悲をいうなら、その慈悲やら愛の根底になるところにです、和賀心がなからなければならないというわけなんだ。これが私が今年も繰り返し繰り返し言っている。今日おかげの泉の二集が出ております。私はそれを昨日いっぺんくらい読ませて頂いてから、素晴らしい素晴らしいと思うて読ました。ね。これを皆が本当に繰り返し繰り返し読ませて頂くうちにです、成る程和賀心時代に突入したんだ、和賀心学を身に付けていかなければならない、和賀心学というものを本気で目指させて頂かなければならない、でなかったならば私共は時代遅れになるんだと言うですね、私は気持ちにならなければいけん。現代人の私はその内容を読むと、他の事かもしれませんけれども私はそう直感した。
ね。人間の幸福というものがです、ね、和賀心を目指しての信心。ならその和賀心にならせて頂く為には道がある。それは教祖金光大神は素朴に教えられた。それが教典である。ところがその教典があまりにも素朴である。例えば、一遍通り読めばもう何時間かで読んでしまうごと素朴な表現である。ね。そこでそれにです、私は今日その和賀心学をつけなければならん。私が二十年間ここで説きに説かせて頂いた事はその、私は和賀心学にあたるのではないかと思います。ね。私が二十年間言って来たことを皆さんが本気で行じられるところから、はあ、和とはこういうもの賀とはこういうものだと言う事をおかげ頂けれる体験がそこに生まれて来るほどしの道がそこに解いてあります。ね。皆さんの今日手元に皆がそれをお買い求めになるのでございましょうがです、それが大体54円かかっておった。そうばってん、4円な、犠牲的精神を持って、50円でおわけしようという事でさっき言いよりました。本当いうたらただでもいい。本当に分かって下さるならば。ところがただでも(?)やっぱ金だしとかんと。本当に。ね。それで皆さんが一冊二冊ではない、十冊でも十五冊でも一つ買わせて頂いてそれをお導き用にも使わせて頂き、合楽ではかくこういう信心を日々稽古しておるのだと一つ宣伝してもらうということはね、そういうですね、時代遅れにならないように、皆さんが神心を持って人に伝えていかなければならんという事なんだ。私はこの和賀心というものを知らんで生活しておる人を現代人の時代おくれという風に私は今日は感じました。お互い時代遅れになってはいけません。先程も申しますように、こう太閤と言われる太閤秀吉でも始めの間はやっぱり草履取りからだったと言う事。ね。それでもやっぱり世の中には一生草履とりで終わる人もあるという事。そこに着眼が違うておった。精進ぶりが違うておった。そしてそういう例えば(?)出世をしたと言うてもそれはもうつかの間の夢のようなものであった。うたかたのような物であった。ね。だからそこの事実をお互いが自分の周囲から眺めてみて自分の周囲にそれを感じるならばです、そういう出世ではいけないのだ、人間の知恵力で立派になったのでは駄目なんだということをです分からせて頂いて、いうならば本気で和賀心を求めていくという信心、その和賀心にはね天地との調和があり人間との和があり同時にです、おかげとの繋がりもある。しかもそれは無尽蔵限りないおかげである。私共が和賀心を追求していくということはいよいよ神様のご信心を篤うしていくということでございますから、一生かからなければ分からない事が分かります。
ね。そういう私ともがおかげを頂いた時にです、始めて教祖様は嘘をおっしゃらないのだという事実がそこに証明されるのであります。その精進をせずしておいて、教祖様を子の代より親の代というておられるから、子の代より親の代ちゃ反対ですね、親の代より子の代ですね。親の代よりも子の代と繁盛のおかげが頂かれないと言う事は教祖様が嘘を仰っておられるのではなくて、私共がその道を行じなかったからだ。行じないからだ。そこで私共が本気で一つ私が言う、和賀心学を本気で収めて、その稽古をさせて頂くところから生き生きとした心が生まれてくる。有り難いと言う心が生まれてくる。いわゆる体験が伴うてくるから。そこにはね、マンネリになろうとしてもマンネリになれないものが心のなかに動いてくる。それを三代金光様は日に日に新と仰っておたれたのだなあと言う風に思うのです。いよいよ明日は前夜祭。明後日はいよいよご大祭。いや3日も大祭が続くけん、交代で参ろうなんてんけちなことをいわずにですよ、もういっちょ三日間ばかりもう、三日間ならどうでんこうでんもう、一家中店を休ませてもらうという元気な心でですね、おかげを頂かせてもろうて、そしてね、本当におかげの受けられる道ということをね一つ体験してもらわなければいかん。ね。私ともがおかげを頂いて、今日申しますようにです、ね、例えば死人が蘇るような奇跡も、おかげもうけなければならん時もある。ね。いよいよまさかの時にはそれこそ、自分の大事なものでもお供えしてからでもどうぞと言わねばならん時もある。そこにはねそういうおかげの受けられるね一つの原理とでも申しましょうかね、そういう一つの定まりがあるんです。法則なんですそれは。人間がそういう状態になった時です、ね、孫もお父さんも嫁ごもどうぞおじいちゃんを助けて下さいというてもう、医者が今日はいよいよ最後と言うふうにいうておってもです、その一生懸命の願いがこの傘の絵になるのです。プラスになるのです。そして安心だというおかげに繋がっていくおかげを頂きながら、一つ和賀心学を収め、和賀心学をいよいよ追求して、おかげを頂いていくということがです、ね、時代遅れにならなくてすむことだと思います。
これは私は今合楽でこういうておる事がです、ね、私は本当に全教の上に全日本の上に(?)ような人がですね、時代遅れになってはいけない。本当にわれをそれこそ我先に和賀心の勉強をするような時代が出来なければならない。そのね先駆けを私共はさせて頂いておるのです。合楽は。ね。教団でもまだそんな風に言うておりません。まえ、朝晩天地書付を奉唱しておりますけれども、そんなに和賀心というものが大変なものだ、その和賀心を本当に自分のものにしていかないとです、時代遅れになるとまでは考えていないです。
ね。だからそれを言うておるのは私一人なんです。本当は。ね。ですから合楽にご縁を頂いておる人達がそこんところに本気で着眼して、私は物哀れの分かる人ならばと申しましたが、なるほど、自分の周囲を眺めてみまして、なるほど、あのように信心のなかったっちゃ儲けなさるなあ、金満家になれることが出来るなあと言うてもです、それをずっと見ていきよるとです、あのように哀れなことになっていくのだということです。信心ぬきなものは。天地の信用、神様の御神徳というものが伴うていないものはそれなんだから、これは自分達の知恵力、我力で成功しようなんて事はこれは間違いだと言うことを分からせてもろうて、まずその根底になる和賀心というものをね、本気で見極めさせて頂こう。そして私は、成功である。金儲けであってよし、勉強であってよろしいのであります。ね。そこんところをです、私共が気付かせて頂くか頂かないかによってです、時代遅れになり、または、時代に沿うていわば宇宙時代の何ともうしましょうかね、花とでも申しましょうかね、人間が月の世界にまでいけるようになったそういう時代にですね、私共がそういう知恵力の根底になるものそれが和賀心であるということをひとつ、しっかり確信させてもらい、そこんところをひとつ取り外さんようにしておかげを頂いてね、そこに和賀心に尽きぬおかげが頂けれるその和賀心は、しかも限りのないものですから、私共の心がマンネリになるという心配はないという事。だからそこまで1つ信心を進めて行きたい。どうぞ明日、それから明後日に控えております御大祭をいよいよねこういう和賀心時代に突入させて頂いて私共が合楽の信奉者の全部がね、和賀心学を持って和賀心の勉強をさせて頂いております。そしてです、世界35億といわれております。人間の人口が。その35億の人達がです、ね、それは、万年または一億年も後になるかそれは分かりませんけれども、必ずそういう時代がくるて。世界中の人類にです、和賀心にならなければ人間の幸福はありえないのだ。だから和賀心を義務教育にでもしなければいけないという時代が必ずくる。それは人間の幸福を願って願って止まないものであるならばです、だからそれを実証していくのは私達だと言うこと。ね。だからその実証者にならせて頂くということがまた、教祖金光大神様が喜んでくださること。天地の親神様が喜んでくださること。それがまた、神様のご信用を篤うすることになるのですから、ね、そういう1つおかげを頂いてそういう信心に取り組ませて頂いておるということ、そういう事をね今年は分からせて頂いた年として初めての春の御大祭を一つ奉仕させて頂きたいと思うのであります。
どうぞ