昭和45年1月29日 朝の御理解



昭和45年1月29日 朝の御理解

 御理解第81節 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」

 「十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬ」と。そこんところを、ひとつ神様から御覧になって、もうあの氏子は大丈夫じゃと、もう安心じゃと、神様が安じて下さらんで済むように、私共がおかげを頂いた時、もう、あの氏子は大丈夫だと、そこ迄、私共がおかげを頂いた時が、十里の坂を登り切った時じゃなかろうかというふうに思います。

 ところが、これは人間の弱さというか、通有性というか、もうすぐそこに峠が見えますと、やれやれもうそこだと、もう見えてきたというところで、そこに腰を掛けて、そして、そこから今度は、反対の方へ降りてしまうようなことになる訳です。

 そこでね、神様《が》「安心してはならぬぞ」とおっしゃる。その私達が神様から安心してもらえるところというのは、どうゆうことだろうかと。

 もう大変な信心が出来て、お徳を頂いて、そうしなければ神様が安心して下さらんのだろうかと、そうゆうことだったら、これは大変難しいこと。

 神様の御神徳を身に受けて、おかげを受けて、神様の有り難さは、もう十二分に分からせて頂いたと、頂いておると、そこ迄いかなければ、神様が安心して下さらんとゆうのじゃないと思うのですね。

 これは、私のことを申しますなら、神様がね、もう大丈夫と、私の信心、一生の信心をずっと御覧になって思われたのは、何時だったのだろうかと。

 親の信心のおかげで、子供の時から神様を拝ませて頂くおかげを頂いて、何十年間経ちましたけども、私が北京に渡りまして、大変経済の上にも、いろんな意味でおかげを受けて、そして終戦、引き揚げと。

 私が引き揚げて帰った頃、感じたこと。これは、今迄のようなこと、今迄のような信心では駄目だと気付かせて頂いたこと。これからは本気でです、本当にです、教祖様の教えて下さる、そうゆう信心をさせて頂こうと発心した、その時からではなかったろうかと思います。

 何十年間とゆう間の信心、いわば、本当に熱心に信心もさせて頂きました。北京におりましても、やはり北京で金光教の教会はないかと探して、探し当てた時の喜び、そして、そこにお参り出来ることがです、なんとはなしに遠く故国を離れた私共にとっても、大変なそれが力であった。なる程、おかげも受けた。

 けれどもです、そうゆう信心を私が頂いておる時、神様は、ひとつも安心しておって下さったんじゃなかった。

 けれども、私が引き揚げて帰って来てからです。今迄のようなこと、今迄のような信心ではもういけないんだと。本気で、金光様の御信心をさせて頂こう、本当な信心を分からせて頂こうと発心した。その時、そのところからです、私は、神様がもうこの氏子は大丈夫じゃと、安心して下さった。いうならば、十里の坂を、その時こそ、私は登り切った時じゃったと、こう思うんです。

 ですから、どんなに熱心な信心が出来ておりましても、どんなに珍しい信心が出来ておりましても、まあだ、おかげが目の前にぶらさがっておるとゆうような信心ではです、どがしこ例えば、それの猛修業をさせて頂いても、それで安心じゃとゆうところはない。

 私は、安心のおかげとゆうのはね、神様に安心してもらえるような信心が出来た時に、こちらに照り返ってくるのが、安心の大みかげだと、私は思います。

 あれが、一生懸命あげんして、参って来よるばってんが、もうおかげ頂きたいばっかりで、一生懸命参ってきよる。これで、安心して下さるはずがない。だから、それはどんなに登り切ったごとあってもです、まあだまあだ九里半の所迄も、いわば行っとらん信心だと悟らにゃいけん。

まあ、いうなれば、一生懸命信心しておかなければです、閻魔さんが怖いから一生懸命の信心じゃ駄目ということ。それこそ、極楽行きを楽しみの信心でなからなければいけないとゆうこと。もう、そこには、閻魔さんはないわねえ。もう、極楽行きのことだけしか頭にはない。

 この世で心に極楽を頂く、それがいわゆる安心なのだ。それには、神様が、あの氏子はもう大丈夫と安心して下さる程しの信心。それは、大変徳を受けにゃならんか、大修業せにゃならんかとゆうのではなくてです、今迄の信心じゃ駄目だったと。

 なにもかにも、いわばあちらでおかげを受けたとゆうものは、全部一切、ほとんど一切をです、あちらに置き去りにしてこなければならないといったようなはめに立った時にです、初めて今迄の過去の信心は駄目だったと、あれではいけんのだと。本気でこれから教祖様の教えて下さる信心をさせて頂こうと。

 いうならば、御利益、御利益と言っておった信心が何十年間続いたが、いわばめずらしいと言われる位に熱心に信心もしたが、いうなら御用も随分させて頂いたが、御用が出来たから、一生懸命参ったからというて、神様が、もうあの氏子は大丈夫〔だ〕とは思うて下さらなっかたに違いない。

 けれども私共がです、裸同様で引き揚げて帰って来て、初めて気が付いたというか開眼したというか、今迄の信心ではいけなかった。これからは、本当の信心をさせて頂くぞと腹が決まった時です。神様が、私が、いわば十里の坂を登り切った、これならば大丈夫と神様が喜んで下さったじゃろうと、こう思います。

それから、どのようなことの場合、どのようなことがあっても、どのような中にあっても、その中から本当な信心を分からして下さるんだとゆう姿勢以外にはなかった〔の〕です。

 もう、それから間もなくです。兄弟三人の葬式を続けて致しましのは。けれども、その中からです、その中から本当の信心を分からせて頂こうとゆう、一生懸命のものがあったとゆうことなんです。

 今日、私はこの八十一節とゆうところを頂いて、右に左に、こう頂く訳ですね。だから、八十一節とゆうことが、今日の御理解の中心になっておるのです。八十一節、八とゆうことは末広がり、八の字は末広がりと言います。十とゆうことはそれに重なるとゆうこと。一とゆうこと、これは、どうゆうことかと言うと、いよいよ繁盛とゆうことが今迄の信心にプラスになる第一歩という意味だと思う。私は今日、そうゆうふうに頂いた。八十一とゆうことを。

 これならば、絶対おかげになる。もう末広になる。その第一歩がです、その第一歩が、今迄の信心では、駄目であったと気付くことなんです。今迄の信心では駄目であったと、そして、これからは本当な信心をさせて頂くぞとゆうこと。

 そんなら本当の信心はどうゆうことかというとです、閻魔様が怖いから信心するのじゃない。極楽行きを確信しての信心なんです、又それを楽しみの信心なんだ。

 閻魔様が怖いからとゆうのは、罪滅ぼしの的な信心とでも申しましょうか。自分のしておること、行うておることがです、本当に神様に嫌われるような生き方ばっかりしとるから、罪滅ぼし的な信心。閻魔さんが怖いから、閻魔さんが怖いから、閻魔さんの機嫌とりのような信心じゃ駄目と。

 同時に又、おかげおかげと言うて、おかげばかりを御利益だけを願って、どんな素晴らしい信心が何十年続いたって、それでは駄目だと。それでは、まだ十里の坂を登り切ったとは言えない。

 けれども、ひとたび自分の心の中にです、今迄の信心じゃ駄目だったと、駄目だと、気付かせてもらってね、今日を境に本気で真の信心をさせて頂こうとゆう姿勢なんだ。それはね、それは極楽行きの信心に間違いない。

 それをもう少し言うと、昨日はね、竹葉会でございましたが、大変、もう一人一人が、若先生が初めて参加してから竹葉会の人達が、一人一人こんなに素晴らしい発表されるとは知らなかった。本当に、竹葉会の人達が話される一つ一つの話《を》テ-プに取っときたかったと言うて感心するくらい、皆さんの信心の、何て言うかね、焦点と言うか、めいめいの素晴らしいことに感心しておりましたがです、私はいつも参加させて頂いて若い人達の信心の成長は美しいなあというふうに思わせて頂いた。何時も思わせて頂いておる訳です。

 中に、福岡の嘉郎さんところの奥さんの由喜子さんです。由喜子さんが、発表しております、これは発表というよりも、神様に先日、御知らせを頂いたゆうお話なんです。「どういう事でしょうか」と。それに対して、応えもしなかったですけれども、『ある熱心なお道の信心を頂いておられる夫婦がです、お風呂場に立っておられる。そこに洗濯機があってね、その洗濯機がネジがゆるんでおる為に、もう水がどんどん越しておるところであった。それを、夫婦がじっと眺めておられる御知らせを頂いた、とこう言うのである。』

 皆さん、どういうことだと思います〔か〕。

 なんとはなしに、風呂場の前に立っておるとゆうことは、極楽行きを願うてはおるですねえ。ところが、洗濯機のネジがゆるんでおる事は、洗濯機とゆうことは、いわば、洗いすすぎ清める道具ですからね、いうならば信心なんです。

 信心は、もう改まりが第一、研くことが第一、これが信心なんです。その洗濯機のネジが緩んでおる。その為に、朝参りも出来ない。ネジが緩んでおるからだ。ネジをちょっと締められりゃ、又良い信心に戻られるだろうけれどもね。そして、折角の水はもうじゃんじゃん出とるけれども、それが洗濯機から越して、どんどん流れておるとゆうお知らせであったと。おかげは、もうそれこそ、限りなくこうやって落てとるけれども、それがどんどんすたってしまっておるち。

 だから、私達がですよ、私達がおかげを頂くとゆう、今日の御理解ですよねえ。とゆうのはね、私達が本気で清まろう、本気で改まろう、とゆう気になるか、ならないかとゆうことなんです。

 例えば、本気でそう思うておってもです、そのネジが緩んでおったらです、信心は、言うなら、修行精神が欠けてきたらです、もう、その洗濯機は用がたたんち言うこと、役にはたたんと言うこと。洗う事も清める事も出来ないでしょう、ネジが緩だら。

 金光様の御信心とはそういう信心なんだ。真の信心を頂こうと思うとりますと言うだけでは、なあに〔も〕ならんです。それにネジがきっちと締め上げられておってです、いわゆる洗濯機が、神様の言うなら、ジャッ-とひとりでに回って、垢が落ちたりすすいだり絞ったりまで最近は出来るそうですがね、そういうことが出来れる働きというものがです、神様へ向ける修行の心というものが欠けておったらもうおしまい、それだけなんです。

 今日、私は八十一節を中心にして右、左とこう。だから、右ということは、八十節になる訳ですが、これには、「年寄りを大切にせよ」と、あります。そして、左には、今〔言う〕、「氏子十里の坂を登ったら、九里半登っても安心してはならん」と。

 そんなら、安心出来る信心とは、どういう信心だろうかと。安心出来るということは、私が安心するのじゃない、神様が安心して下さる信心、それが安心の出来る信心だ。

 神様が安心して下さる信心、そういう信心はどういう信心かと言うと、私は、今迄の信心では駄目だったと。今日(きょう)、こんにち、ただ今からはです、本気で教祖様の教えて下さる、いわば道を歩かせてもらおう、本気で金光教の信心を本気で身に付けようと願った、そのところからその決心を神様が見たり、聞いたりして下さって、あの氏子は、もう大丈夫だということになり、矢つぎばやに私の家に様々な修行が続けられ、その修行を受け抜かせて頂いく、私は、そこんところをです、神様はどんなにか喜んで下さったであろうかと、まあ自分で思います。

 まあ、信心がどんどん育っていくということを、子供が立派に成長していくことを、親が本当に目を細めて喜ぶようにです、信心が本当に成長をなしていく時に、神様が喜んでも下さる、安心もして下さる、その喜びが、私の喜びになり、その神様の安心が私の心に安心のおかげを頂けておったとゆうことになるのじゃないでしょうか。

 八十一節の右を、八十節、「年寄りを大切にせよ」と、こうある。昨日の竹葉会の話は、嫁さん達ばっかりの集いですから、姑、姑親に対するその頂き方を、もう真剣に取り組んでおりますですねえ。もう、それがやっぱ家の中で若い嫁さんとしては、一番ガンのようです。なる程、これじゃあ若い人達がですねえ、やはりカ-つきババ抜きと言うはずだと、私は思います。

 けれどもここに、ひとたびおかげを頂いて竹葉会に入った人達はです、そこんところを本気に取り組んでおるとゆうことです。いや、取り組まなければ馬鹿らしいとゆう姿勢なんです、皆さんが。そして私達も、やっぱり一遍は、年を取らなければならんから、とゆうところ《が》あるんです。

 私は信心は本当に有り難いと思うですね。ある若い婦人が、発表しておりますことなんかは、そこには、まあだ両親がおられます。おじいちゃん、おばあちゃんがおられます。「もうおばあちゃんには、どげん言われてもどうあってもです、もう本当に、いうなら口の中にくわえておるものでも、あげたいごと、いわば年寄りが可愛い」と、こう言われる。

 ところが、どうしたことか、別にその、品が悪いとか、器量が悪いとか、意地《が》悪いとかゆうことでもないのにね、おじいちゃんだけはどうしてもね、その可愛いとゆう心が起こってこないち。嫁として、これで良いかと、いくら言うて聞かせても言うて聞かせても、自分の心の中に、おじいちゃんに心から仕えれる心が生まれてこない。

 今日こそはと、御取次を頂かれる。「どうぞ、おじいちゃんを大事にさして下さい」と、御取次を願われるけれども、今日こそはと思うて帰るけれども、帰っておじいちゃんの顔を見る途端にですねえ、それが消えてしまう。自分でも悲しいごとある。先生、それが五年間続いた。そうゆうお願いをし続けて。

 私は、そこんところが有り難いと思うですねえ。もう、うちの年寄りはあげな風じゃから、それけんと言うて、別におじいちゃんをろくそにすると言うのじゃない。形の上に於いては、普通に出来ておる。

 けれども、自分の心が許さん。心が真(しん)から、年寄りを大事にしていないとゆうことがです。だから、普通一般、大体、形の上が出来ておって心が出来んとは、もう相手の年寄りの徳のなかと、ゆうような考え方が多いのじゃないでしょうかね。

 けれども、そこんところを信心は、もう、一歩突き進ませるものを持っている、信心とは。それでは、私が助からんと言うのです、それでは。死になさってから、霊様にどんなってから、いくらどんなに、御法事をしてあげても、お供えをしてあげても、それではおじいちゃんにも相済まんし、自分自身もそれでは助からん。もう繰り返し、本当に御取次を願ってから、そのことを願い続けられたんですよ。

 私は、願い続けるとゆうことを、こうゆうことを、泉尾の先生は、願い込みといったような言葉を使っておられますね。願い込んでいくのです。

 例えば、ひとつの願いとゆうものをです、もう、畳み込んでいくのです。もう、毎日毎日、同じでもいいからそのことを、願い続けていくことなんです。御取次を頂き続けていくことなんです。いわゆる、願い込み。私は、そのお話を聞きながら、願い込みということが、どんなに素晴らしいことかと感じました。

 ところが、たまたま先日から、おじいちゃんが半身不随の病気にかかられまして、いわゆる勿論、お便所にも行かれないといったような状態。ところがね、今度こそ、病気さっしゃたけんで、大事にしようてんなんてん、思いもなあにもしないのにですね、今度は、そのおじいちゃんがもう可相そうで可相そうで、もう可愛いらしゅうて可愛いらしゅうて、兎に角、もじょもじょしようごと、可愛ゆうなったとゆうのです。

 もう、本当にこうゆう心が何時の間に育てられておっただろうか。それこそ心ゆく迄の祈りと、願いと、介抱によってです。おかげで又、最近では、一人でどうやら便所に行かれる位おかげを受けられた。もう日に何回となしに、下の方のお掃除をしてやらなきゃならんのにです、本当に、もしこれが、いうなら一年前なら、一年前の私であったら、どうであっただろうかと。

 これは、その人の信心とゆうことですけれども、その五年間なら、五年間の願い込みがですねえ、いよいよの時に直面した時に、そのような姿で表れてきた。おじいちゃんを大事にさせて頂くとゆうことが、嬉しゅうして嬉しゅうしてこたえん。そうゆう今迄、自分の心の中にあったガンのようなものが、何時の間に、溶けて流れてしもうておっただろうかと言うことなんです。

 有り難いなあ、私は、本当に、こうゆう例えば生き方をする人達が、世の中にいっぱい出来てくるようになったら。いわゆる、和賀心時代とゆうことを、私は昨日申しましたが、機械万能というかね、科学万能というか、もう人間の、例えば知恵、力の限界とゆうところに、この1970年という年は、もうそこに突入した、そういう境の年だと。

 人間が、何千年、何万年か知らんけれどもですよ、お月様に行けれるなんて、これは夢であった。その夢がです、何千年か何億年か兎に角、地球上に人間が出来てからです、人間が生活するようになって以来のですね、ことが人間の知恵、力で出来るようになったとゆう時代なんです、ただ今は。そうゆう時代に突入したんです。

 そして、突入してから、人間がこれだけのことが出来、自然を征服することが出来るといったようなことを申しますがです、征服しえてです、そこに初めて分かったものは、これだけでは人間《は》幸せにはなれない、心が必要だと。そんなら心だけでも駄目だ。和賀心でなからなければいけないと言うのが、私の言い分なんです。その和賀心時代とゆうのがです、これから、又何千年かかるか分からんのです、実を言うたら。

 そうゆう和賀心というものを頂かなければ、人間の幸せは有り得ないと気付く迄、全人類が、それこそ、月の世界へ行くことが出来る時代からです、お月様をまんまんしゃんと言いよった時代からです、あそこへも人間が行けるんだとゆう時代が何千年か何億年か、かかったであろうようにですよ、和賀心時代とゆうものがです、何時の時代にそれが地球上の全人類に普及するというか、そうゆう時代がね、来るか分からないけれども、合楽の皆さんはです、もうそれが今日(こんにち)第一歩をです、そこにしるすことが出来れるんだ。そうゆう意味合でも、大変なことなんですよと言うて、昨日も若い嫁さん達に話したことです。

 だから全てが、和賀心が焦点でなからなきゃあいけんです。どうゆう中にあっても、和賀心を求めての信心でなからなきゃいけん、とゆう訳なんです。

 私は、「年寄りを大切にせよ」と、今日、言うところをです。ただ、形でするのじゃない。自分の心から、大切にしなければおられない心を育てるとゆうこと。又、そう出来る私にならなければ、私自身が助からんのだと、気付かせて頂いて、私は、神様がもう、この氏子は大丈夫、まあ、これから、どれだけ信心が、沢山な信心があるか分かりませんけれどもですよ、そこに気付かせて頂いたのだから、もうこの氏子は大丈夫と神様が安心して下さる。その人は、だから十里の坂をもう登り切っておると言っても、私は良いと思うんですよ。そうでしょうが。

 様々な問題がある、問題もそのような見方、頂き方を持ってするならば間違いが無いことなんです。どうでしょうか、皆さん。

 おかげば頂かんならんけん、ひとつこの寒修業に頑張ろうと。それではね、なる程頑張ったら頑張っただけのおかげは下さいましょう。下さいましょうけれども、それではね、十里の坂を登り切ったとは言えんのですよ。神様が、それでは安心して下さらんのですよ。だから今迄の信心ではいけなかった〔と〕、今迄の信心では駄目だったと、本気に気付かせて頂いてです、これからは、よし、和賀心時代に突入する。

 和賀心、全ては和賀心を焦点に信心をさせて頂く。いうならば、極楽行き、もう地獄なんか考えてもいない。閻魔さんなんか考えてもいない、この生き方で行きゃあ極楽行き間違い無いとゆう思えれる確信出来る信心なんだ。

 そうゆう信心とは、私は和賀心を求めて、しかもです、ネジが緩むことなくです、いつも洗い清めることに、いわゆる本心の玉を研くことに改まっていくこと《に》、いわば、そうゆう意味に於の前向きの姿勢にです、私共がならせて頂いたら、そこから、もうあの氏子は大丈夫と、安心じゃと言うて下さる安心は、そこに有ると思うのです。

 今日の「九里半登っても安心しちゃならん、十里の坂を登って向こうへ降りたら安心じゃ」と、おっしゃることはですね、ただ、修業が出来るといったような意味合いだけではなくてです。私共の本当な信心への開眼なんですよ、あれは。

 真の信心への開眼が出来た、そこからです、そこ迄は私は九里半であって、それが出来たところから、もう十里の頂上に着いたのだと。勿論、そこから下るところを用心てゆかなければなりますまいけれども、もうあそこ迄登ったら大丈夫と神様が安心して下さる信心をね、本気で、私は、身に付けていこうとゆう願いを持たなければなりません。

 今日は、ここでは、合楽の年寄りの日なんですよね。毎月二十九日は敬親会です。「敬親会というのは、敬老会じゃないですよ」と、私がいつも年寄りの方達に言うんですよ。敬親会と敬老会を同じ事のごと思うておる、「年寄りは大事にしてもらうが当たり前ごたる思い方をあんた達、しちゃでけんよ」て、「敬親会ということは、親を敬うという会ばい。あんた達も親があるじゃないか、年寄りだから大事にされにゃならんなんてん思い方をしちゃならん、大事にせなおけん程しの年寄りになるということなんだ」と言うて、年寄りには、年寄りの人に申しますがです。

 例えば、昨日の一婦人の発表のようにです、本当に心からですね、年寄りを大事にする心がなからなかったら、自分自身が助からんのだと。私がいつも言っている、年寄り子供を大事にする人は、神様に好かれると言うがね、神様に好かれる心が自分の心の中に無いのだもの、これでは神様が喜んで下さらない。

 だから、そうゆう心は人間じゃけん当たり前なんて思わずにです、そうゆう心をです、私は自分の心の中に、願い込みをしてゆかなきゃいかん。こうゆうことでは、私自身が助かりません。こうゆうことでは、先々が思いやられる。閻魔さんの前には出られん。

 だから、この心を取り除かせて頂く修業とでも申しましょうか。そこに焦点を置いての信心とでも言おうか、そうゆう在り方にならせて頂くとゆう、そこに気付かせて頂く。そこから、八十一があると。もう、これなら、絶対繁盛なんだ。

 その第一歩がね、今日私が申しましたことを分かって頂くとゆうことが、そのおかげの第一歩なんです。寒修業じゃけん頑張ろう。このおかげ頂かんならんけん、いっちょ一生懸命参ろうと。なる程、そのおかげは聞き届けて下さるかもしれません。一生懸命願うし、地団太踏んで願うなら。

 けれどもね、それは絶対極楽行き間違いないとか、絶対これなら子孫繁盛に迄なる、つながる程しのおかげの第一歩にはなりません。それは、繰り返し繰り返し同じこと、おかげを願うとゆうことは。

 どうでしょう、一人一人の、ひとつ自分の信心に問うてみてです。おかげ頂かんならんから、修行をさしてもらいよる。罪滅ぼしに信心しよる、閻魔さんが怖いから信心しよるといったような信心から、もう極楽行き絶対と確信出来れる信心。

 そうゆう思いが心に開けてきた時に、初めて私は十里の坂を登り切った信心が、もう、そこに出来たと言えるのじゃないだろうかと思います。それでも油断をするとです、例えばね、極楽行きを目の前にしておっても緩んだらです、もうそれは洗うことも清めることも出来ません。その修業すらを、いとうようになります。

 いわゆる、下り坂も又大事に心を緩めんようにです、心を緩めんように下り坂を降りて、向こうへ降りたらとゆうような所迄、おかげを頂いてゆかなければならんことは勿論ですね。どうぞ。



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