昭和44年6月26日 朝の御理解



昭和44年6月26日 朝の御理解

 御理解 第81節 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」

 これは信心のおかげを受けるということの、そのうおかげを受けるという事のに、心しておかなければならない所を教えておられるとこう思うのですね。もうここ迄来たかという安心、それはやはり気を緩める言になる。後の半道後の一部のところでおかげが崩れるという場合もあるのですから、けれども私はまぁそこまでおかげをまぁ育てて来るというか、もう本当にそこに見えてという時には、却ってこう楽しみが出来て、こう安心そのう緩める様な事はないと思うのですけれどね。

 けれどもそのうもういよいよ後半道だと言う様な時ではない、そのちょっと前のところ、まぁ八里か九里かと言う様なところ、いうなら一番苦しいところね、もうすぐそこに頂上が見えておるというのは私はここんところでは、まぁ楽しみと言う様なものが出来てくると思うのですよね。もう元気が抜けておっても元気が出て来ると思うんですよね。けれどもそこんところをやはり勿論、もうこれで大丈夫と言う様に気を緩めるといける事もあろうけれども。

 私はそれよりちょっと前のところ、そこが私はあのう大事じゃなかろうかと思うのですね。まぁだ登れども登れども頂上という頂上というそのう見えるとこは、そのうまぁだあるとはねはやしゅう登らんならん。それにこれだけきついんだからとても自分じゃ難しかろうと、もう自分達の信心じゃとてもつなぎきらんと、それが私は恐いと思うのです。まぁ言うなら十里の坂をね七里か八里と言う様な所まで来て居りながら、そこでいわば気を緩めるというよりも、気を落とすということになるでしょう。

 本当にこのおかげが堂々回りをしておる。信心もそこのにきでまた振り出しに戻ってしまっておるように思うのですよ。そこでやはり私はゆとりのある信心せにゃいけんね。ゆとりのある信心。例えばあのう庭師の方達があのう石を扱いますね。これはその何と言うか感じで分かるんですね。そのう深く入っておる土の中に入って居る石と、浅い石とはですね、大体分からないはずなんですけれどもねぇ土の中ですから。ところがそのうしっかりその根が入っておる石なんかというものは、とにかくやはり違う。

 ところがやっぱり素人の庭師は、石を出来るだけ大きく見せようとしてるのです、少ししかいけん訳ですね。ところが本当に分かる人というか、玄人のまぁ庭師の人達はもう惜しげあしげなしにいけてしまう。ほんなもうちょぼっとしか出てない。惜しいごたるですけれどもねぇ、沢山な大きな石をいけてしまうのですからね。それでもやはり成る程それを見て心が落ち着くような、どこまで深さがあるやら分からんような、何んとはなしにそういうものを感じる事が出来るように、人間の信心も同じ言。

 もうあれだけの人もうあれだけの信心と、こう見透かされるような信心はですね、そういう信心はいよいよの時に必ず失敗しとりますね。それこそ十里の道を九里半登るどころか、もう八里か七里くらいの所でですね、また振り出しに戻ってるです。ゆとりのそこんところにひとつ信心のゆとりというものを持ちたい。成る程それはもう十里の道をですかね、まぁ七里の八里という様な時がやはり一番きつい時なんですね。もう九里半登ってそこにもうそのう例えば到着点というか、頂上というか。

 それが見えて来た時にゃもう今迄、足はもう上がらんごとあったちゃこう却ってあのう元気が、足が上がるんですよね。福岡から例えば合楽まで歩いて来る、来ておかげを頂いた人達があるが、やっぱり甘木の当りが一番きつかて、もう田主丸に来ると却ってもうそこだというので、元気が出て来る様なもの。もう甘木迄来ておりながら後戻りをする。まぁ二日市迄くらいは元気でやって来る。二日市から甘木迄がなかなかですよね。もう足が上がらんごとなる。

 それでもそこをやはり押し切る力というか、そこんところをひとつ大事にしなければいけない。そういうですね、これはもう自分じゃ難しいんじゃなかろうかと思うような、その心が出ようとする時に、何か大きな力でですね励ましてもらう、応援してもらうとそこからまた元気が出るですよね。そこんところをならお繰り合わせをやっぱ願わないかんと思う。ここの大堰の堰がね出来ました時、いわゆる筑後川堰止めるというのですから大変な大工事だったでしょうね。当時としましては。

 ここの三井郡の元三井郡の五庄屋の人達が計らって、そしてその総責任者を草野の草野又六という人が総責任者であったんですよ。稲員の高山さんなんかそのう5人の庄屋の中の一人ですね。それでそういう大変な工事を思いたったところが、あのうやはり急な筑後川のあの事ですから、どれだけそのう堰を持って行っても流されるね。総責任者であるこの草野又六さんは、いよいよもう切腹もんだと言う事になって来た。またそれを反対しておった側の人達からはもうそれこそ。

 とにかくこういう出来もせん言をやるのですから、又六を殺さなければ何時迄続けるやらわからん。いわゆる草野又六暗殺のそのう事までがあると言った様な状態であった。ここの蜷川から草野に養子に来た方なんですよね。非常に思慮の深い人だったらしい。頭も緻密であったらしい。けれどももういよいよそのう何回やっても何回やっても駄目なもんですから、もうそれこそ意気消沈もういよいよ駄目だというて、そのう家に引き籠ってその言を考えあぐねている時に、そのうお母さんが姑親のかたがですね。

 そのう「お前は何をそのう考えておるかと、この山が目につかんか。」と言うてすぐその側にある耳納山を指してから元気ずけらしゃったっち。この耳納山を持ってゆけと言わしゃった。それこそはじかれたように元気が出て、それからあの難工事であった筑後川をせき止めてね、いわゆるあの北野地区にあぁいう美田が出来るような元を作ったという話を私共が毎年小学校の時に、その又六さんのお話しを聞きよりました。小学校の講堂にその又六さんの肖像画が大きく出ております。

 そういうまぁ草野から偉い人が出たという訳なんですね。まぁ話を毎年聞かせて頂いたんです。本当にそこで意気消沈したり、そこでいわば迷うたりしたら出来る事でも出来ない。信心もねそこんところが非常にあのう大事だ。そこんところをやり抜ききらんで、いわばまた振り出しに戻って、本当堂々回りをして七里か八里のおかげは頂いているけれども、九里十里というもうここまで登り切って向こうへ降りたら安心だと言った様な、本当の安心のおかげが、頂けておらんじゃなかろうかとこう思うのです。

 それには私共、やはりひとつのゆとりというものを持たなきゃならんということ、私申しておりますがね、まぁ例えて言うならばここの御造営でもそうですね。これが出来たからやれやれ安心、もうこれだけのものが出来たからと、言うておったら借金払いは出来ませんよね。出来上がったけれども例えばその事は、まぁだ中半だったんですからねぇ。現在だって同じ事もちろん初めから五ケ年計画で始められた事ですから、とても気ども抜かれるこつじゃない。

 合楽もあの御広前が出来た。もうあれが頂点だとあれが頂上だと、まぁ後はもうだんだん御比礼は落ちて来ると言う様な、皆んな見方をしておられるらしいですね。家が出来たっちゃと言った様なそのう見方をする人達がやっぱあるんですよね。中身が出来にゃ。本当いうたら私は、神様はそのう五ケ年間もかからんでも、神様の働きをもってするなら出来ると思うです。必要な物を必要に応じてそこんとこ頂けるのが、合楽の生き方なんですから、けれどもそれをわざわざ五カ年間の計画の元に。

 こういうことが出来ておるということは、私はここに私を始め皆んなの信心がです。やはり出来たばっかりにやれやれ安心したという信者がもう殆どですよ。実際の言は半分も出来とらんような状態の中に、やれやれと言うてからもう安心して、御造営の事なんかもう、御造営の御の字も言わない人が沢山あるんですから。けれどもそれは私の心の中には、いわゆるゆとりがある。私はあのうここの出来上がる迄は、もうそれこそここの今の今の昼の一時の御祈念が、昨年二回仕えられましたですね。

 特別の夏季とか寒中の修行には、私はもう皆んなが集まるたんびに、一回修行に参加せろ参加せろということを、とにかく一ケ月でも良いじゃないか、二十日でも良いじゃないかと、もうそれでもいよいよそれでも参加出来ない時にゃ、三日間でも良いから一辺この修行に参加せろと言うて、私が言うて参りましたよね。けれども今年は私はそれを全然言わない。言わないでしょうが。しがないちゅてからいっちょ。御本部参拝でもそうでしょうが。今度二百名なら二百名というしなけども。

 はぁあんた今度の御本部参拝あんたげにゃどげな風ち、一辺でも私は言わないでしょうが。あんたげは一家中参らんのとも、今迄は言うたでしょけれども。言わんでしょうが。これは自分の心の中に私じゃはゆとりが出来てきたからだと私は思うんです。そんなら御造営でも形の上においては出来たけれども、実際問題としては、もうそれこそもうびっくりするような、沢山な金利を金利だけでも、まぁ沢山な金利を払っておると言う様な事でも、まぁだ私が皆さんに一回でも話さんでしょうが。

 さぁ頑張りなさい頑張りなさいと言わんでしょうが。問題は私の心にそれがゆとりが出来てきたからなんですよ。ただ心にゆとりが出来てきたということだけじゃない、そんならその間にですね、とてもそげなこつだけは一時ばかり見送っとこう、とにかく借金払いの方が出来てからたいと、と言う様な事にでもそこに企画なら企画の一つで話が進められたなら、私はそれをOKしておるです。よし神様にお願いしょうという気になる。毎月毎月何十万という他の金を使っているんです。

 それを例えばこんな高い金利を払っておるのじゃから、借金払いの方に返した方が実を言うたらどの位そのまぁ安心かも知れんのですよね。だからそれがそのう見栄とか駆け引きとか言った様なもんじゃなくてです、例えば戦時中に関門トンネルをやったですねぇ、あれなんかは駆け引きだったらしいですね、まぁだ日本にゃこれだけゆとりがあるんだぞということを、実際はゆとりがないけれどもやっておったわけですね。ゆとりを見せる為のいわゆる策略だった訳なんです。

 けれども私合楽の場合はそうじゃない。それは私の私の心のいくらかのゆとりが出来てきたから、実際の事が出来てきた。そういうこともここの御造営だけではない、他の事にも少しづつ手が出せれる位なおかげを頂いてきた。例えばそんなかの造園なんかはそうです。まぁだ庭なんかどうでんよかじゃなかの、十年先でん二十年先でんよかばい。まず借金払いからと普通でならそうでしょうねぇ。あれだけついなら破ろうごとしとった訳でもなからねば、あれを手入れいきょらまぁ見れん事はなかったんですから。

 けれどもやはりそりゃゆとりです。そういう企画がもう出来たなら、それにすぐ着工しておる。それがやっぱりひとつひとつこう、それと同時に完了していっておる。出来たからというてひとっつもそのう安心して、あのうこころがですねぇ気を緩めるということがない。同時におかげでなら参拝の方もだんだん少しずつではあるけれども、やはりうなぎ昇りである。そういうひとつの私しゃゆとりというものが出来んとですね、それはなら皆さんだって私だって言う事は同じ事です。

 やっぱりもうへとへとというところがあるんです。いろんな意味で。だからそこんところをもう駄目だと言うたらやはり駄目になる。そこんところを私はひとつおかげの道を付けていく、元気な心が必要である。九里半登ってそこで安心してはならん、気を緩めてはならんと言われるが、それ前にもうひとつ難関がある。そこんところの難関の所で、合楽の人達はいつの場合でも、また堂々回りところの元振り出しのところに、返って来ておるように私は思うのです。

 気を緩めると直ぐに後へ戻るぞとこう、気を緩めるということはどういうことか、いや気を緩めるというその前にその難関を突破しきらない。もうここ迄漕ぎ着けたからもう後は僅かどう言う様なところ迄、まぁだ行かずにおるということなんです。それにはです私はひとつゆとりを持った信心、却ってもう人がへとへとと言う様な時に、本当に実力を持った人がこう走っておると、マラソンなんか見ると一番良く分るですね。もう皆んながいよいよへとへとだという頃から後ろからだぁっと。

 一気に抜いて行く人があるでしょうが、力を出しきってない訳ですよね。いよいよ問題という時に、その問題をそれこそ日頃の信心にもの言わせて、ものの見事にそこを頂きぬいていっておるです。だから心が揺るぐとか又は揺るぐ前の難関とかと言った様な事を申しましたが。結局そう言う時そこんところにですね迷いを起こすような信心じゃ、どうしようかと思う様な信心が起こったら駄目です。そこに本気でそのう頂き抜かしてもらう信心と言う様な事は、頂き抜かしてもらう修行。

 昨日ある方が、苦しい時にゃいつもあの話しを思い出しますと言うて、私のある信者時代の時のお話しをここで。そりゃあんたよう覚えとったのちゅうてから、昨日話した事でしたけれども。もういよいよ修行もたけなわ、もうとにかく福岡に居りましたけれども、福岡でもういうなら食べていれんような状態、だから家内子供は椛目の方へ帰らして、私一人でなら福岡の方で修行させて頂いておる時代。ちょうど御大祭でございますから、もう何日前に必ず帰るんですよいろいろ御用が有りますから。

 その時にゃちゃんとそのまぁお供え、祭典費それぞれやっぱりおかげ頂いとりましたけれども、その前の月次祭の時に帰った時に、祭典費だけはおかげ頂いてお供えさせて頂いておった。けれどもお供えの見当が全然つかなかった。その時分に配給の黒いこうメリケン粉の配給のあっておる時分ですもんね。家内から葉書が来てるんですよ。本当に遅配欠配で大変な中に椛目にこうやって、親子何人かで来てからそれをね頂くのはもう本当に忍びないと言う訳なんです。

 だからそちらで配給が取れるなら、取って帰って来てくれと言うてある。葉書が来ておりました。ちょうど無理してメリケン粉を一俵、配給を取らせて頂きました。それを椛目の方へ持って帰らせて頂いてもらい、そして善導寺の御大祭の御用に帰らせて頂いて、ちょうど西鉄の切符売り場で、今はないですけど昔はずぅっと仮の様な所で、行列で並んでましたもんね、それで改札を待たせて頂いておる時に私はふと思うたんです。こうやって大祭に帰らせて頂いておるが。

 本当に年に一回の御大祭、例えば春の大祭が一回、夏の御大祭が一回、そういう意味合いでの一回ですね。一回の御大祭に帰らして貰いよるが、今度という今度はいよいよお供えも出来んなぁと私が思うたんです。その頃はもう神様からいろいろとお知らせを頂いておる時でございましたから、そう思うたらねこう私の足元にそのう置いてある、そのメリケン粉を神様がここに有るじゃないかと言うて、言うて下さるんですね。いいえこれはもう家族子供がそれこそ首を繋がなければならない。

 命を繋がなければならない食料ですから、これはそんな訳にはいきませんと言う。もうこれなんかはこれはもうそんな事そんな神様が無理を仰るとは全然思ってもいなかった。またお供えのと言う様な事なんかこれが全然感じてもいなかった。そんなふうな家内から葉書が来ておりますから、無理をして今椛目へ持って帰っておる途中ですからね。ところが神様はそこに有るじゃないかとこう言うて下さる。時に私の腹が決まったです。神様がお生かし下さると日頃頂いておる。神様のおかげ頂かなきゃ出来る事じゃないと。

 年に一回のそのう御大祭に、自分達の食べる食べないと言った様な事では、様な事では神様に対して相済まん。ほんにそうだったお供えはここにあったと腹が決まった。そしたら私の心眼にずうっと私の目の前がですね、そのう湖ですねそこで水鳥が、このう子供の小さい水鳥がこのう餌を求めてこう、あぁ御無礼しました。その前にですね私の心眼に、そのう鶏ですね、雌鳥が首をこんなところに突っ込んで、いわゆる思案投げ首と言う様な感じで、もうクーッとしとるところを頂くのです。

 その親鳥の横に二、三羽のひよこが居るのがパタッパタッと、ソノこう倒れて行くところを頂くのです。雌鳥が首を突っ込んでおるようにしとるのは家内の姿であろう、そこにおるひよこは子供達の事であろう。そう思うたら神様からお前はならお供えするというて腹は決めたごたるが、けれども子供達がこういうことになって良いかと、こう言うて下さる。そん時に私の心の中にそのう神様に申し上げる事です、神様がお生かし下さってあるのですからね、命の方は神様にもうお願いしましたお任せしました。

 倒れるとか倒れないとかもうあなた任せ。私は年に一回の御大祭に帰らせて頂いて、はぁ今度の御大祭にはお供えも出来んと思いよったら、今こそ神様からこうしてお気ずけ頂いて、ここにお供えはあったと自分で腹が決まりましたから、私はこれをお供えさせて頂きますと言うて、心の中でそう申しましたら、私の目の前がもう真っ青な湖の心眼になった、小さい水鳥が餌を求めておるようだったですけれども、餌がないもんですからサーッとこう四散していくところを頂いた。こう散っていくところを頂いた。

 そしたらもうその後からもうそれの、とにかく何十倍あるだろうかと言う様な大きな水鳥がですんね、口にこう大きな魚の餌をくわえて散って行った子供達の後を、すぃっと矢を射るような勢いでその後を追って行くとこを頂いた事があります。もう今日の御理解でいうなら、もういわばへとへとのところなんです。もうそこに頂上が見えたけんもう安心というた心が緩ぐのじゃなくてから、まぁだ七分か八分どころなんです。御大祭なら御大祭を頂くということに対してでもね。

 そこんところで元気を出させて頂いて、お供えをさせて頂いて、御大祭を頂き終わって帰らせて頂いた。もちろん帰りましたら家内が、どうして持って来て下さらんじゃったかと言うてから言いましたけれども、お前達の事は神様にお願いしてあると言うのである。御大祭を終わらせて頂いて帰らせて頂いて、自分の家の前に立って鍵をこうこう開けようと思いよったら、あのうある人がやって参りましてね、この人は中国の人ですけど、後ろにメリケン粉を1俵乗せちゃる。

 それで何回も私がおらんうちに来たらしいんです。今頃からあげん御迷惑をかけとったことがあれがそのう商売が出来たから、お礼に持って来てくれてる。もうそれがアメリカの方達はもうそれこそ、あのうアメリカのメリケン粉ですから、もうそれこそ真白なメリケン粉1俵ですね持って来た。まぁたそれを持ってすぐ椛目に帰らせて頂いた事でございましたけれどもです。もうそれこそその後は矢を射るような勢いで、神様が働いて下さったね。そこ迄いって初めて安心でしょうがね。

 神様がこういう難儀なということは知ってござると、言うたらもうそれまでなんです。私はねいつでもいつの場合でもそういうところを大事にして来た。又はそういう時に神様からそれこそ草野又八さんじゃないけれども、耳納山があるじゃないかと言わんばっかりの、いわばお気ずけお知らせを頂いて、そこを元気を出してきた。その気でおりゃ神様が必ずですね、きつい事は分かっておられるのであるから、また元気が出るような働きを下さるんですけれどもそこで迷う。

 もう私どんじゃ駄目だというから、お気付けを頂いとってもお知らせを頂いとっても、御理解を頂いとっても、そこに踏ん切りが出来んのです。私は今日八十一節からですね、十里の道を九里半登ってもです、安心してはならんぞと気を緩めてはならんぞと仰るが、気を緩めると言う所、もうすぐそこと言う様なその前にです、そのもうちょっと前にです、もう堪らんもうきついという時が必ずあって、ひとつのおかげがいわば成就して、いよいよ向こうへ降りたら安心じゃと言う所のおかげを頂くまでには。

 さぁそこんところを、私はおかげを頂かせてもらっておかんとです、いわゆるゆとりが出来ん。一にも神様二にも神様三にも神様という、そういう生き方でです、力をためておかなければ、神様からそこに御供えはあるじゃないか、足元に置いておるじゃないかと言われてもです、これは神様あぁた家内子供が命を繋がねばなりませんと、恐らく言うたでしょう。けれどもそこに信心の底力というかね、その蓄えがあったおかげで「はっ」と気づいた途端に、本当にここに有ったということに気になっておるです。

 とてもこのゆとりがある余裕があるとということは、本当に有り難い事ですね。どこまで底力があるやら、あの人はどこ迄底があるやら分からんと。石でも大きく見せる為にね上に出とる所が、大きく出るというのはなんとはなしに軽々しい。これは不思議なんです。そういうものはこちらに響いてくるんです。けれどもそれがずぅっと地中にいかって、ちょこっとしか出とらんけれども。その石のそのうなんて千万金の重みとでも申しましょうかね、そう言う様なものがその石からこちらへ伝わって来る様にです。

 そういう信心を求めていきたい。そういう信心を身に付けて行きたい。いよいよの時程むしろ元気の出る信心を頂いておきたい。もうそこでよろよろしたら駄目、もうそこで迷うたらもう終いだ「。また元の振り出しからまた登ってこんならん。そういう信心をいかに繰り返しておってもうだつは上がらん、本当の事にはなって来ないと私は思うのです。安心はしてはならない、心を緩めてはならないと仰るが、もう安心と思うその前の前のところを、今日は皆さんに聞いて頂いたように思うのですけれどもね。

   どうぞ。



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