昭和43年3月11日 夜の御理解(途中切れ)
今日は、北九州青年教師の方達の信心研修会が、ここのお広前で、ここのお教会で開かれたわけでございます。明日までですが。今日の、今日の、講師にみえておられた方が、(?おりお)教会の(?三橋)という方です。もう、67才になられるそうですが、若い。私よりも若い、感じでしたですね。本当に、もう若若しい。私と同んじに、やはり満州から引き揚げて、私しは、(?ほくち)の方から。そんな事で、ん、あの私のことをよう覚えておってくださったんですね。
20、今日は、はっきりと話しておられました。24年前、御取次成就信心生活運動の展開にあたってのお、お話合いがですね、甘木の教会であったんです。九州中から集まった信者、または先生方、それも一晩泊まりでございましたが。各教会からではなくて、その地区からなんでん、私も選ばれて、まあ参っておりましたが。当時、私は、もう一番修行中でした。その時に私が、お話したことを克明に、覚えておられるんですね。その私がお話したことを、まあ当時のえらい信者さん達、甘木の平田さんとか、(?ひぐち)さんあたりが、非常に攻撃をされましたね。非難をされたんです。それを、そのちょうど私が、私は、全然覚えがないんですよ。真正面に座っておられたらしいんですね。「あんなに、言うわんでよかろうと、これもう、引き揚げて帰って来てから、もう裸一貫で、お互いおかげを頂いておるのに。しかも、あれだけのおかげ話をしよんなさとに。どうして、あげなことを言わなでけんじゃろうか。ち、その思うておったから、もう、こちらの先生のことを、私はよう記憶しております。この頃も、北九州のお、幹部のお、信者の研修会の時に、私は(ひぐち)さんに申しました。あんたが、あげなこと言いよった、あんた、あん時の大坪さんが、今の合楽の教会長げなじゃなかか。見てみなさい。おかげ話が、いかんでんなんて言うけれども、おかげ話が頂け、(?おかげ話がでけるちいうなかけん、おかげが頂きらん)。私が、あん時、言うとったろが。」とその、まあ言うたっち言ってですね。これは、先日、あの季節してね、ここの信徒会の時に、(ひぐち)さんがみえてですね、「大坪先生、私はあげなことば、(?三橋)さんから言われたんだけれど、私は、あげなこと言ったじゃろうか。」ち言われるんですよ。「言いなさったですよ。私は、よう覚えとりますよ」ち、言うて、「もう本当に、もう赤面いたします。」と恐縮しておられましたけれどもですね。
ですから、これはもう、ひとつのそういうような話しがね、間違ってはならんから、今晩、皆さんにも聞いて頂こうと思うのです。
当時、私の生活はすでに、神様任せのいわば生活に入っておりました。お商売は、もう差し止め頂いておりました。それにその、いついつは、あ、研修会に一晩泊まりでもいかんならん。それこそ、今日のように、ちょうど米を三合、持っていかないかん。会費をいくら持っていかなならん。電車賃がない。お米がない。持っていく。そこで神様に、私、お願いして、もう時間だ、それをですね私、その時に、ちょっと時間切って行ったことまで、今日は覚えておられるんですよね。私は、それを忘れておりました。ほんにそうじゃったたい。旅費がでけんけん、なんべんでん、なんべんでん、その(?あらたな)教会、福岡の教会に、何回も何回も、私がお参りしたんです。何回目かのお参りの時にです、私、あのう(?あらた)のお教会から、ちょっと行きました、(?とうじん)市場というのがあります。(?とうじん)市場に昔、取引をしとった方がありましたから、そこんところに、まあ参りましたですね。え、そしたら、その市場の入り口で、ちょうど、福岡教会の奥様が、ちょうどお野菜か、なんかを買い物にこられとのと、ぴったりあったんです。大きな教会ですから、私が、教会に参りよっても合えるんです。合えないんですよね。え、そこでなんしよるかと、裏の方におられますから。ところが、あそこでピッタリとおうた。「あー、大坪さん、ここで合えて良かった。」ち言いなさいますもん。だけん「なぜですか。」ち言ったら、「あのう、善導寺の方に2、3日うちに帰られますか。」ち。「あー、実は私、今日は甘木に行かなならんち。甘木が終わったら、その足でえ、善導寺に帰ります。」。「はあ、ちょうど良かった。すいませんけどもね、星野教会からね、お茶をお願いしてあった。」ちね。星野の教会に。それで星野の教会にお金も、私は、忘れもしません、600円というお金を払いなさらなきゃならん。で、「すいませんけれど、あなた、この600円、あの善導寺から、また星野の方にやってもらうから、あのう持っていってください。」と言うてやられたんです。もう私ですね、おかげ頂いたと思うたんですよね。その600円を持って、私は家に帰りました。そしたらですね、帰りましたら、あの隣に( ? )のような所に、おばあさんの(? )のおばあさんがおりました。この時、家内がですね、もういつか、そのお米を5合ほど貸しておったらしんです。そけん、「もう、これは返してもらうこといりませんよ。」と言うて、あげとったのを、おばあさんがですね、「でけたから。」というて返しにきておられた。私が、持っていかなければならないのが3合。向こうから帰ってきちゃるのが、5合ですよね。そのお米と、その600円の金を持って、電車賃にしよう、お初穂にし、会費にし、そして私の心の中に、これは確信することなんです。「私が、明日、明後日、善導寺に帰る時には、必ず善導寺、お返しする、お金をお繰り合わせ頂く」、私、それを確信しておりました。いうなら、そういう意味合いのおかげ話しであり、確信に満ちた話しでした、ね。ところが、「人の金を使こうてから。そういう、そういう立派な信心ばしよってから、そげん、あんたんごつ貧乏するはずなかじゃんの」と言うて、(?ひぐち)さんが言われましたよ。そりゃもっとひどい、その、「そういうこと言うから、金光様の信心が低級視される」とかですね、もうそれこそひどい、そのことでしたけれどもね。私が、お話しをいたしましたのは、その、だからそういう、生き生きとした神様だ。だから、いうならば、私が、おかげ頂かんはずはない。いうのが、私の確信だったんですよね。そういう話しを、私は、その時にしたんです。それを今日、見えた(?三橋)さんが、よう覚えておられるわけなんですね。その話しを先日、その(?ひぐち)さんにされたというわけなんですね。
これが、今は、それが、本当に笑い話しというよりも、私はその話しを、時々させて頂きます、ひとつの実証でもございます。(?三橋)さんが、この話しゃあ忘れられん。あん時に、私は、もう大坪さんという人ですね、もう、自分の境遇とよくに似てる。同じ引き揚げ者同士で。そして現在では、なになに会社の社長ですね。もう、自家用車で、いつも、今日はあのう、あちらの運転手さんが、あ、今日は送ってきとりましたが。もう、うちの会社は、もうそれこそ席の温まる暇のないように、四国あたりまでもお話に周られる。(?おりお)教会の総代をしておられます。もうそれこそ、「実に信念の強い人だ」と言うて、今日、先ほどね、コタツの間で、その人が私に話してくれたんです。というほどに、その(?三橋)さんは、おかげを(?さんきょう建設株式会社)の取締役ですかね、社長ですか、取締役社長ですね。というように現在、成功されお道のためにも、それこそ席の温まるひまもないほどに、御用を頂いておられます。その方の、話しを、「今日は信者さん方と一緒に、頂いてよい」ということであったから、私も一緒に、暫くお話しを聞かせてもらいましたが、長い。ちっ。ある教会の先生のお話しの中に、その先生が、作られたという詩、句ですね。あれは、なんち言われたかね。はあ。なに。うん、どうなり、なる、なりとかな。どうなりと みは、みわかみかぜの やなぎかな、かね。という、まあ【※録音切れ。私のミスです。すいません】、いわば、成り行きを大事にしていくという先生で、大変、おかげを頂かれたという話しをしておられましたのでございますね。うん、もうどうなってもええ、身は神風の、いうなら、柳かなである、ね。柳のように素直に、風任せという意味なんですよ。
私は、そういうような、あのお話を聞きながら、ほんにこれは、もうこれも、もう十五、六年前だったでしょうか。正義さんが頂いた、教歌を思い出しました。えー、雨風は、「雨風も 天に任せて 地にすがり 『励めか』、励め折れるな 若竹の節」。それをかえ、久保山先生に書いてもろうて、あの、自分の部屋に掛けておるはずですよ、ね。だから、そのこと、その歌の違いを、感じ分からなければいけない、と言う感じなんです、ね。どうなってもいい。「身は 神風の 柳かな」、これはですね、こういうことになるのですよ。うーん、あれは、うーん、良寛でしたかね。(?5合庵)という(?いおり)を結んで、そのもう、必要なものは、必要なだけ集まってくるんだ、と。あの、鞠つき歌で有名な良寛なんですね。働かない、ね。そして、5合以上のお米は置かない。5合がなくなりゃあ、また托鉢に出ると言うわけなんです、ね。その人の、この中にですね、うん、「いるだけは 風が持ってくる 木の葉かな」と。もう、天地のひとつの道理というものを喝破した。もう素晴らしい境地の句だと思うのですね。「いるだけは 風が持ってくる 木の葉かな」ね。もう必要なだけはですね、焚きもんを取りにいかんでん、ちゃんとその集まってくると言うわけなんです。それが、ちょうど今日、私がお話を頂いた、その句に、よく似ておるとこう思うのですよ。ところが、それではですね、どこまでたっても、5合庵です。これじゃあいけんとです、金光様の信心は、ね。これはもう本当に、宇宙の大真理とでもいうか、そういう真理を知り、喝破した人でなかなりゃあ出来るこっちゃありません。けれども、これではですね、力が受けられないです、ね。無くなったら、また托鉢に出る。といったような、そういうね、成り行きを大事にするというても、いわば正義さんが頂いておりますようにね、なるほど、天に任せて、地にすがる、だけではなくてですね、ね、もう、励め努むる、めるということが必要なんです、ね。天に任せて、地にすがる。「もう、神様にお任せしとるけん、朝はゆっくり、ふろはっん、床ん中におる」いうことじゃでけんちいうこと。というて、頼むためでもなからなければ、すがるためでもない、ね。それこそ、いよいよ真の信心を追求するために、朝の修行も必要である、ね、様々な工夫の修行をなされなければならない、ね。そこから、私は、本当の、いうならば、おかげ。
私が、例えば、なら24年前にです、ね、なるほど必要なものが、その人の金であっても、必要な時に、現れてきておるでしょうが。必要な時にお米が集まってきとるでしょうが、ね。それを、人から借りておったとか、そういう貧乏をしておるということを、が、まあ非難された、攻撃されたわけなんですけれども、それでいて私の心の中には、神様の働きの間違えなさが、で心が、たぎるようなに有り難い。その感激を私が、感動を、その時に私が発表したわけなんです、ね。だからです、ただ私が、その、今の良寛あたりのような生き方だけであったら、やはり今でも、お繰り合わせは頂きよるかもしれん。必要なだけは。それでは、いう、いわば小さいその日暮らしにすぎないのじゃなかろうかと思うのですよ、ね。私が今、思います。もうここで、例えば50人、今日は70人かですか。お食事の準備をしたという。それがもう、本当にそれこそ、それこそ「いるだけは、風が持ってくる、落ち葉かな」でありましてですね、もう必要なだけは、必要な、「さあ、お酒がいったけん、さあ、酒屋にいかなならん」ちいうことがなかでしょうもん。それが大きゅうなれば、大きゅうなったで、それだけ、ね、私が、いうならそん時に、ただそれだけではなしに、そこに励め努めさせて頂いたということ。寝る間も惜しんだということ。「人の出来る修行なら、私にもできんことはない」というて、あらゆる修行に取り組んだということ、ね。それが、私は、そういう風なおかげになってきておると、こう思うのですよ、ね。
で、もうひとつ、(? )がおかげを頂きましてですね、そういう自然の中にはです、人間を幸せにせねばおかんというかですね、昨日、(? )先生のお話の中にもあったように、ですから、そういう気持ちが開けた時にですね、もう絶対、必要なものは必要に応じて頂けなければならないはずなん。それを不安であり、心配であり、人間心使こうて、あれ頼み、これすがりするから、崩れてくるのです、おかげが。「ままよ」という、ドン腹据えて、したら、そういうおかげが受けられる。