昭和42年7月10日 朝の御理解



昭和42年7月10日 朝の御理解

 今朝方から汚い汚いお夢といいましょうか、御神夢に間違い御座いませんけれど、汚いお夢を頂いたんですけれど、ほんのそこだけだったんですけれど、もう口元にね蠅が止まっているんですよ。それで私がその蠅をピットこの自分の手で叩きましたら、あの蠅があのこうジゴを出した、それが口元へ付いたと言う様な、もうそれこそまざまざと。本当の事の様にして頂いたんです。

 自分の口元へ蠅がとまっとる、その蠅をパチッとこう叩いたらその蠅がジゴが出て、口元にこうジゴが付いておる。もう何かこうこの辺が汚らしい、その感じお夢の中でのそんなお夢であった。私はその蠅と言う事は「はい」に通ずると思うんですね。返事の「はい」です。中村さん「はい」っと言うあのはいなんです。右を向きなさい「はい」左を向きなさい「はい」ですから言えば、それは素直と言う事だと思うんですね。

 確かに私共は信心をさせて貰うなら、素直にならなければならない。それであの、総代さんの久富繁雄さんが、あの頂いておられますですね、それを綺麗に表装して御座います。私が大きく丁度茶の間がけぐらいな、あの障子紙いっぱいに書いておるのです。「素直にて。何事も素直心の一つにて、雲の上まで登る道あり」と。いうんですよ。確かにあの、素直にならなければならない。

 けれどもその素直と言いましてもです、どの様な事にでもその「はい」という、その「はい」その素直では、私はいけないと思うんです。素直にならなければならないけれども、所謂、ハイがジゴを出しておる様なはいでは、いけないと言う事なんです。そう言う事は、やっぱりあるんですよね。いわゆる無批判に唯「はい」。成程神様のお言葉であってみればどの様な事にでも「はい」が必要であり。

 同時に是は人間の知恵力では分からない、神様はそう言う様な事がと、本当に神様に口返事をしたい様な事が御座いますけれども、それでも矢張りあの久留米の初代が仰っておられますですね。この信心もですね御徳を受けて行くという時のこの、いわゆる神徳学問というのは、又別物と言う事を言うておられますが、言うなら普通の常識では考えられない様な事があるんです。ね。

 ですからそう言う様な事がですね、例えば素直に聞かれると、考えて見るとそんな事はと思うのですけれども、本当に矢張りあるんですね。まああの私の例で申しますならば、私が以前は難儀しまあ困迫しておる時代、御本部に月参りをしておる、ある時でしたが。もうあの時分が一番、最高の難儀をしておった時代であったと思いますし、又修行としても一番激しい修行の時分であり、写真に残っておりますあの痩せ細った写真が、あの時分の、断食から断食を続けておる時分で御座いましたから。

 もうその写真が残っておりますが。もうそれはどこの辺であったかも、分りませんですね。もう無我夢中で一生懸命にその、汽車で山口県かどっかあの辺の所じゃなかっただろうかと今でも思います。けども思うて見るとあの時が、あの時が私が初めていわゆる神様の世界を、この肉眼ではっきり拝ませて頂いた時でしたからね。神様があのもう私の家のめぐりの深い事を色々と物語って下さった。

 とてもお前が一生懸命願って願って願い続けるけれども、お前の願いは成就しない。だから、お前自身がめぐりのお取り払いの為に、命を絶たして貰自分の命を絶って大坪の家のめぐりを絶って貰え。そして後々は立ち行く様に、おかげを蒙れと言う様なお知らせを頂いたんです。さあ神様はどう言う様な事で、私のこのいわば生を絶って下さるか、まあ言うなら、死なせて下さるかと私は思っておったけれどもね。神様はね今日の御本部参拝の時に、あの進行中の汽車から飛び降りよと仰ってた。

 どんなに考えましてもね、幾ら一生懸命の時でも、私はようあの所謂あの泥棒なんかが汽車ん中であの、刑事に追われてから、汽車から飛び降りると言う事を、本当にあれがもし、信心で飛び降りたら、大変な徳を受けると思いますですねえ。私は出来ませんでした。もう何回飛び降り跳ぼうとしましたけれども、もうそれがですね、あのデッキのこうつかんで、あの上に上がる所がありましょうがステップの所。

 もうあそこへ何時もこう手が入って、跳ぼうと思うたんです。まあそれはその時分の事、その時の事を思いますと、もう身も心もへとへとの時ですよね。断食から断食、もう痩せ細っている時です。もうしかもギリギリの時に是だけお縋りしても、もう自分の願いが成就しないのであるなら、本当に自分でもう自分が一人命を絶つならば、大坪の家が立つならと私は思うたんですね。本当に死を覚悟したんですけれど、どうしても汽車から飛び降りる、その事が出来んのです。

 その時神様はですね、あの懐紙ですね、ちり紙を外へこうあの出してみいと、こう仰るんですよね進行中の汽車の中から。それでですねちり紙をこうやって置きますと、そのちり紙が汽車に付いて来たです、ずうっと。まっ一般に言うならです、飛んでもまあ言うなら死なせはせんて、言う様な事だったと思うんです。もう無我夢中だから分らんのですよ。もう、ああいう不思議に、合った事が御座います。

 ちり紙をですね進行中の汽車からパーッと、それは飛んで行くのが普通でしょうが、その汽車にですね、ちり紙が付いて来るんですから。そういう神様の特別な不思議な働き。あの時分ですよ、私が、狐つきじゃないじゃろうかと人から、色々心配された時代ですね。一から十まで神様のお知らせ通りに動かせて貰い。もうそれこそですね、汽車に乗っとりましても、汽車のあの電灯にあのう、桂先生のお姿が写ったり、石橋先生のお姿が写ったりという時代でした。

 もうこの畳を歩いておりますとね、こう畳のこの目畳の目一つ一つがですね、みんな神様に見えるんですよ。お装束を付けられた方たちの姿にもう全部が。ですからもう、足を踏もうと思うても足が踏まれんのです。勿体のうして。成程ああいう風で気違いになるのじゃないかと思うですね。動きが取れない。ですからあの神様御無礼致します、御無礼致しますと言うて通る。いわゆる神の中を分けて通りおる様なものじゃといのは、あの時代に私は体験致しましたですね。

 教祖の神様は畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが神の中を分けて通りおる様なものじゃという実感なんですね言うなら。もうあぜ道を通りよっても草がこう踏まれたら痛いと言いよる声が、聞こえる様な感じがするんですね。もうだから靴脱いでからねはだしで歩くんです。そしてから痛かろばってんすんまっせんすんまっせんと言うてから、そんな状態の時ですから人が気違いという筈でも、御座いましたですね。

 そんな時代です。とうとう自分で飛び降りる事は出来ませんもん、ある小さい駅に着きました。そこで私が何時もう、もう私は飛び降りると言った事が出来ません。そしたらあの神様がですね、そんならこの汽車の中へ機関車の中へ入ってち。そう是なら入れるですね。もう私はあの機関車のホームから下へ降りてから、機関車のもうあの時はそう感じたのかもしれませんけれども。

 あのこちらから見るとそうでもないですけれども、中に入った時のあの、あのう車のあの車輪ですね、車輪の大きさにもう驚いてしまいました。もうあれだけでも圧倒されるですね。金光様と唱えてからあのう、中へしゃがみ込みました。そしたら汽車がゴトッと動き出したんです。もう時間髪を入れずにね「さぁ出よ」っと言うお声を頂きました。もうどうして出て、どうして汽車に乗ったか覚えませんでした。

 もうへとへとになってですね、もうへとへとになって私はあのデッキにこう、もう上に乗ってこう腰かけました時にです。今のが死に神ぞと神様が仰った。確かにあの自殺なんかをする人はですね、そういういうならまあそこん所は、どう説明して良いか分らんですけれども、言うならばそういう死神的な、そういう働きを受けてですね、言わば死神が死に誘導して行くんでしょうねきっと。

 だからあの死があんな事が出来るんですよ。自分で命を絶つと言った様な事が。私に死神の体験をさせて下さったんですね。もうへとへとでした。そしてですそのおかげを頂いた事を、お礼申させて頂いてほっと前を見た時でした、もう私の目の前がですね全然違った世界なんですね。あらと思ったらもうそれこそ、あの教祖の神様のごしん、神界においての、ご結界奉仕のお姿でした。

 もうそれがですね二つの駅を通過するまでくらいに、パーッと心眼に心眼じゃないもうこう肉眼ですね言うなら、肉眼で拝み続けでした。この事だけはですね私は十年位は極秘にこれはこの事は、人に話すな伝えるなと言う事でした。そら確かに神様世界の事を人に漏らすと、大変な困った事があると言った様な事を、昔聞いておりましたんですけれど。私の場合は十年後ぐらいにはですね、それを人に、この話は何回も皆に聞いて貰った事があるんですけれどそう言う事でした。

 もうはっきり肉眼でですね、もう厳然として神様の世界では、教祖の神様はこうやって日夜、矢張り、お取次ぎを下さっていると言う事実をですね、私は、もう本当にこの、目で私は拝ませて頂いたんですから。私共は例えばよし、お国替えを頂いても、金光大神のお取次ぎを頂いて、あの世はあの世なりにおかげを受けられると言う事も、私は本当に確信がだから持てます。

 本当に神様があるやらないやらと、色んな事だけに流通したりね、本当にそう言う事実を一遍は分って貰い、聞いて貰う時期があるだろうと思うんですけど。例えて言うならばそう言う様な事の場合。今日私が言う是は神様がそうであったから、今から考えるならそげなこつは出来ますもんかい。とまあ言うても良い様ですけどもです。矢張りそう言う所に「はい」と言うのは、是は私はある意味では、素晴らしき「はい」であり普通から考えますと、信心しておってもです。

 そげな事あるかと言う様な事があります。まあだそういう例ならそれこそもう、それこそ枚挙にいとまがない位でした。私が神様が下さるものならどの様な事でも、黙って受け様という椛目が人が助かる様になりまして。ちょうど五年祭を仕える為にちょうど四年半目での、だから秋の御大祭でしたから春の御大祭の、準備をさせて頂いておる時でした。神様からお伝えがあった。是まではですもうどの様な事でも、例えば御心眼にこう頂いたあのほうれん草を頂いた。

 ほうれん草を根こぎしたばっかりのほうれん草であった。赤い枯葉も付いておりゃあの赤い根の所に髭も一杯付いておった。まあまだ引いたばっかりで、泥も少しは付いておるという様な感じでした。是を今まではね。もうその泥が付いておろうが、枯葉が付いておろうがね、その全部を頂いたという、言わば四年半であったと言う事であった。もう私神様が下さるものなら、何でも頂くという時代であった。

 もうそれこそ考えますとね。棒にも箸にも掛けられない様な、その誰も構え手はいないその病人を、椛目へ連れて来るんですからねえ。あの時分ですよ私は検事局に呼ばれましたり、警察に呼ばれたり。いわゆる保健所からの調べを受けたりした時代だったんでした。もうそれをそう言う事になれば、もうそう決ってるんですけどね、もう何でもかんでも受けるというのが、私の修行で御座いましたから、結局受けさせて頂いた時代でした。金を貸してくれと、もうどんな見ず知らずの人が参りましても。

 恐らくあの時分はまだ、お初穂というのが御座いませんでしたが、お賽銭箱ばっかりでした。もうお賽銭箱でもひっくり返して私は持たしてやりました。もう是は全然あの参って来た事のない人でもお金を下さいともうあるだけを。何でも一切を受けるという時代でした。けれどももう本当にそれはですねもう四年、四年半限りで御座いました。その時分は皆さんもご承知であったと思いますけれども、それこそ十人位何時も棒にも箸にもかけられんごたる病人が言わば椛目の御広前には寝泊りしておりました。

 ああいうお知らせを頂いて、此の方というものはですね、例えば椛目で修行させて頂くと言うても、本当に信心修行させて頂くという人達だけしか、お許しを頂けませんでしたけれどもまた、そういう病人やらが、来る事もなかった。いかに神様のご都合であったかという事を思います。こう言う物でも、大坪は受け切るじゃろか。何でもかんでも受けるというが、よもや是は受け切るまい。

 ある時なんかは、ほらもう立派な青年。青年というが、もう奥様があったんですけれども、ちょっと頭が変になっとった。それを、椛目に修行しておった、ある人が連れて来た。あれは久留米の吉武さんでしたよ。あの人は人の世話までしなさる。吉武さんがですね。あ放浪して歩いておる時に、そのどっか洞窟の中からですね、もうそれこそ、連れて来たとがですね、どっか滝場かなんかで会うたち言うて。

 それがあぁたその病人がですねもう立派な男ですもん。所がですね女さえ見りゃ女にしかくるち言うその病気なんですよ。で今たびだけは家内が後ろでですね、勝手場でそれば聞きよりました。私がよかここでなら修行してよかというのを。そん時だけ出て来てから、ちょいと先生他んこつならどげなこっでん受けるばってん、あぁた是だけ婦人の方達のお参りのあるとに、もしも万一の事があったらどうしますかち。

 是だけは断りなさらないけませんよち言うてから、家内が申しました事で御座いましたけれども、さあそういう時でもね、受けるという(胸をポンポンと叩いて)のが、私のその修行で御座いましたからね。昼ごろでしたか、夕方になっておらんごとなりましたもん。もうそれっきりあの参りませんでした。いかに神様のお試しであったかという事を思いますですね。そんな事も御座いましたと言う様にです。もうそれこそ一事が万事、どの様な事でも、いわゆる「はい」と言うて受けるだけでした。

 ですからこういうのは、成程石橋先生の仰る、「神徳学問はまた別物」と仰ったのはその事だ。もしそう言う様な時代の事を他のご信者、他の教会の方達が聞かれたら、椛目が間違うとると仰る筈で御座いますよね。そういう時代でしたから。けれどもそれはどこまでも神様の教えには背かれんという「はい」でした。四年半いわゆる半年前の春のご大祭を仕える前にです、ね。

 是からはですね例えばそのほうれん草でも、髭のある所はむしって、泥の付いてるとは払っていや洗って、枯葉の様な所は愈々食べられない所は、栄養にも何にもならない様な所は切って捨てて食する事が、是からの修行ぞと言う御理解を頂いた。それから私は自分のに私の考えでです。あ是はいけない例えて言うならば、金を下さい金を貸して下さいなんていう人が、参りましても私はもう決して、神様のお下がりを無断で人に貸す様な事も、それから以来は致しませんでした。ね。

 また病人なんかを預かってくれと言う様な事は、それから一、二回ぐらいはあったでしょうけれども、私はそれはもうもうそれこそ厳然と断りました。ここはお篭もり堂じゃない。本当に信心修行がしたいという人だけの、なら受け入れますけれども、以外の人達は預かる訳にはいかないと言うて、断ってまいりました。と言う様にです同じ例えばそのはい、という中にでもそういう「はい」もあります。人が見たら聞いたら、間違っていないかと言う様な場合でも「はい」と言わなければならぬ時には。

 「はい」と言わなければならない、修行も御座いますけれども、それは何処迄も、矢張り神徳学問は別物じゃという、そういう修行なんです。信心しておるから素直にならにゃ、素直にならんならんと言うて、唯「はい、はい」と言うておるだけが素直じゃない。神様へ向けられた所の「はい」でなからなければならない。是はもう例を言うと皆さんの、中にも色々あろうと思います生活の中に。まあ一例をいうなら。夫婦の中に主人なら主人が信心がない。一生懸命お参りをしておる。

 お前んごと毎日参っては出けん。一週間に一遍ばっかりせろそれを「はい」とこう素直に。私はそういう「はい」は私は言うちゃいかんと思いますね。是が本当だと愈々思う時の「はい」は私は例えばそこにコリを積ませる様な事があってもよし、そこに夫婦喧嘩になりましてもです、必ずそれは後にはおかげになって来るのですから。まっ色んな例が御座いましょうけれども、言うなら今日私が今朝から頂きました、口元にハイが止まっておる、そのハイを手で潰した時にです。

 そのハイのジゴが口元に付く様な、言わば不衛生というか不潔なというか。そう言う事にまで「はい」と言う様な信心は、それは信心で言う素直さではありません。ここ辺のだから見極めが大事なんです。ね。確かに「はい」という素直な心一つで、雲の上までも登れる道があるという事は。本当の素直さという事になってまいりますとです。確かに神様にもなれれる道が付いて来るというのですよ。けどもそこん所に一つの見極めというかね「はい」と言わねばならない事。「はい」と言うてはならない事。

 ですからそこん所を何時も、私中心ではなくて神様中心にして置きませんと矢張りいうなら、自分の弱さが「はい」と言う。それを素直と間違えたりする様な事では、おかげ頂きません。是はと人が誰がなんと言うてもこうする事が本当だと言う所に、言わば「はい」を付けて行かなければなりません。素直になって行かなきゃならんのですね。例えば死神がその。私共を死に追いやろうとするような時に、死神の前に「はい」と言うたら本当に、言わば自殺行為になってしまいますからね。

 そう言う事のあろう筈がないのですから。毅然として矢張り断るとこは断れて、それこそ死神に付かれる様な事すら大きくいやはりますでしょうね。今日私所謂不潔な「はい」間違った「はい」ね。そう言うと言わば神様が中心にしての時には、人から見てもです人が聞いてもそげなこつがあるじゃろか、そげなこつは幾ら神様でちゃと言われる様な中にでも矢張り「はい」と毅然として言わなければならない「はい」もありゃ。言うてはならない「はい」もある。素直のいわば見極め所というのがあると言う事で御座いますね。

   どうぞ。



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