昭和40年4月28日 朝の御理解
何事も、信心になるとか、信心をもって、すべてをなしてゆく、信心をもっておかげを受けていくということ、どういうようなことだろうか、今朝から少し、早ようございましたから、今朝は、皆さん、みなさんまだ、見えてませんでした、お広前には、誰も居りませんでした、御祈念前に、私は、昨夜、大体書き上げられとった、建設委員の顔ぶれというもの、ずいぶん今度変わっております。
今まで書いてなかった方が、それを補足してあったり、役が変わったりしております。あれを見せて頂きながら、これは、この人には役がちょっと重すぎるとか、この人には役が足りないとか、この人を書くなら、この人も書かにゃいけんのにとかというのが、沢山あります。ちょっと10分ばっかりの間でしたけれども、私は、こう一覧さしていただいてから、それを感じたんです。
ま、そんなことが結局、御祈念の座に着かせて頂いて、一番に私の頭の中にあった。そしたら、神様から頂きますことが、只今もうしますようなこと、「何事にも信心になれよ」とか、「信心をもっておかげを頂く」とかということは、こういうことだといって、頂きますことがですね。「羽根」ですね「追い羽子」ですか、ムクロをついて、上にこう、羽根が付いて、あれを、こう、いただくんですね、
「は」、こういうような、心の状態というか内容でなからねば、いけないなということを、私が、思うたんですけれども、本当にあの、一人一人がですね、やはり、総代になったような気持ちが必要ですねえ、何百人かの人が書き上げてございますけれども、自分なこれは、いうなら、一山いくらんとこに書いてある。あの、実行委員というのはもう、そんなんしたるごつ、どっちでもいいごつあるですけれども。
一般信者の方達のあれが書いてあるけれども、あの一人一人がやはり総代にでもなった気持ち、総代さんの中のある方が言っておられますように、最後の締めくくりは私がしかもそれが一生かかってもと、こういうておられるようなものがです、一人ひとりになからなければいけないと思うですね。ですから役が重すぎるとか軽すぎるとか、誰々さんはどうのこうのと言った様なものでは、全然信心にはならない。
一番特別に目立つのは、これは私神様から頂いてからこのことだけは、是非しといて下さいというて帰り頂いていることがある、ね、特別奉修委員が、というものがあることです。いうなら御祈念係があるということです。これは私しは婦人総代と、婦人部の方達の竹葉会とか、または美登里会の会長を、それにあてております。例えば男の方達がそれこそ、あのう夕べなんかでもその勢いを感じました。
それこそモリモリするような、とにかく前には進んでも後ろにゃ引かんぞと言った様な、いわば不退転の精神を心を持ってから、何もかも押し倒していくような勢いで前に前進される。そこには、怪我をする人がでけたり、押し倒されたりする人達ができてくる。そこんところをたとえば、看護いたしましたり、介抱していったり、そこんところを祈っていくところの力というものは、まあ昔のその戦争時代の言葉で言うなら、銃後の守り的なわたしは、内容を持った所の方達でなからなければならん。
そのまあ、先達になって頂く方たちを、私は、夫人総代さんがた、それから各、役の会長さんを、そこにあてております。これなんかは、椛目独特というか、信心だから当然それが、必要であるということを私は、感じましたから、それを書いて頂いている。ですから、ほんならそれは、その5,6人の人達がするかというと、みんなが、その気にならなければならないんだといううことです。
祈って祈って祈りぬかせて頂いて、そこからおかげ頂いていくということが、何事にも信心になることである。同時に、今朝から頂いておりますように、あの、羽根のようなもので、( ? )におかなければならないということ。それを、お道の信心でいうならです、もう、本当に私のようなものがというようなことなのです。あの中にはまあだ、書き連ねてない方で、実際、御用にたっておる当たっておるここでおかげ頂いておる人を見させていただいておる中に、まだ何人もあります。
私ぐらいのものがあんに例えば、椛目のおそらく歴史に残るものであると、記録に残るものだと私は思うのですけど、その中に自分が名を連ねているということだけでも、勿体ない。私ぐらいの者がというところ、私ぐらいの者を、このような場にお使いを頂いてということ、同時に、私は、信念の重さというのがです、ね、格別のおかげを頂きながらという、私、それが、向こうのところの思うところじゃなかろうかと、これが、反対になってごらんなさい、どういうことになりますか。
羽根んところが、重うなってごらんなさい、おれは、こげん所じゃ役不足だと、どうして俺をこげんところにおいとるじゃろうかと、ね、今度は羽根が重すぎる、自分というものに対する思い上がりになるんです。ね、いわゆる、(本物の唐木?)じゃなくって、よう、たとえば、重い鉛のようなものをするときに、おいはい羽根が出来るかどうか、ひとつ、考えてごらんなさい。
あれは、ほんのわずかなことの力でズーっとその、風をきって上にあがって、しかもそれが、なんていうですかねえ、羽根なんかは、いまは、バトミントンでも理屈はおなじです。「ね」、下のところが重くて、上がようは軽いものが付けてあるところに、いわば、舞い上がってゆくところの、その、なんともいえん、軽快な、まあ一つのリズムとでもいうんでしょうか、それが、なされて行く訳なのです。
銘々が総代になった気持ち、銘々が奉修委員になった気持ち、銘々が総代幹部にならして頂いた気持ちしかもそこには、責任の重さということをです、信念の重さということはです、羽根に出来るならば、その向こうに渡るようなもの、ね、そして私というものはです、孔孟の歌舞伎に置かなければいけないということ、ようそれは私の様な者が、私の様な者を神様がこういう所にお使い回しを頂いて、私の様な者が、とても私の様な者で、出来ることでないのだけれども。
神様におすがりをさしていただいて、御用を果たさせて頂きますようにというような、私は、願いが必要だと思うのです。昨日、一昨日、でしたか、親教会から、電話が掛かってってまいりました。鹿児島が泊りがけで昨日からきておると、久しぶりに今度は、一日こちらでゆっくりするらしいから、あのう、すぐ出てくるようにというて、朝の御祈念の、ご理解中に電話がかかってきとった。
それで私は、一通りお取次ぎを終わってからやらして頂いたら、丁度朝食の準備がしてあって、お神酒でも頂くようにして御座いました。ですからまあお神酒を頂きながら、まあいろいろ、行徳先生のと親先生と私、親奥様と四人で、まいろいろな話を聞かせてもろうたり、また聞かれたりした訳でございます。私は本当に有難いと思ったことは、こんど、椛目のことを、行徳先生がまあ、ゆうなら根掘り葉掘り、ね、
大体どう言う様な風で、お取次ぎさせて頂いておるかとか、ご結界の奉仕の状態はとか、あーたのところに沢山お道の先生方やら、特に青年教師の方達が、多く見えるという話だが、どういうお取次ぎさせて頂いておるかとか。ご建築のことは、勿論のことでございましたけれど、いろいろと、聞かれました。今まで、かって私は、こういうことを久留米関係の先生方から聞かれた事がなかったんです。
様々な非難は聞く、言わば拝み信心と言った様なここに来ていわばびっくり、皆さんがされる様にです、全然見ると聞くでは大違いと言った様なデマてきな事だけは、いわばまそのう聞いてましたけれども、本当の椛目の信心の、信心に触れようというのではないでしょうけれどもです、私しは行徳先生から聞かれたのが初めてでした。本当はこれはもう早う親先生から聞いて貰いたいという思いは、いつも持っておったんです。
大体、大坪さん、どげなふうな、お取次ぎをさせていただきょるのと、お取次ぎという言葉を使こうちゃいかんならです、どういうようなふうで、椛目は、助かっていきよんの、どうゆう風なことからかということをです、彼の信心に触れて頂きたかったんですけれども、というても、私が、こういう信心させていただいて、人が助かっておるということをです。説明致しましたり、ね、いうたところで、それは吹聴にしかなりません。ですから、私は赤裸々にそのことを説明もしました。
なるほど椛目が現在のお道の教師、または現在の教会のです、一番欠けているものを、椛目がもっておるから、ということに、結論がなったんですね。ね、第一私が、朝の五時から7時間奉仕をするということなんかは、当たり前のこと、教師として当たり前のことなんだけれども、それがどうこもでけていないという事実があるんです。しかも、私の場合なんかは、晩の10時までは、これがその、私の手代わりによって、やはり、続けられているということです。
朝の御祈念が一分間でも遅れてはいけないといったような、一つの戒律の中にです、私が、それを守らせて頂いているということです。私が解くところ、もうそれこそ、天地自然と一心なりであり、この働きのところ天地金の神と一心と仰るが、私の解くところはです、どこまでも、天地自然と一つである。一体になれということ」である。そのためには、成り行きを大事にせよ「自然を尊とべ」、これが、椛目の信心のいわば主流なのだと、そういうようなことも、わたくしは、聞いてもらいました。
同時に私しが来年お道の教師の資格を取るために、一年間ご本部に修行に行くということ。そのことをこれは信者も知りませんから、家族の者も知りません。誰も知らんけれども、先日から高芝さんを通してです、ね、親先生が高芝さんに仰っておられること、東町の田中先生がやはり高芝さんをとおして話しておられること一つに致しますと、皆んなが私に一年間あちらへ行くという事を希望しておられるということ。
教務所の所長は。ね、そういうて大坪さんに頼んでくれと、といわんばかりにです、いわば辞を低うしてどうでも一年行ってもろうて、まあ言うならば誰はばかる所なく、教会の看板も上げてくれ、教会長としての御用にもたってくれと、言うような意味の事を、高芝さんを通してから言わせて頂いておる。それで実をいうと私もその事に関しては2~3日色々思う所があったのですけれども、私だけは腹を決めましたと。
おかげを頂いてから体もこうして、最近はもうこう健康で御座いますし、ね、一年間あちらに修行にやらして頂きましょうと。ただし恐らくまた私一年間して帰って参りましても、問題は尽きないでしょうと、しかしその問題は折角教師として戻って来たけれども、教会なさらんと言った様な事になるかも知れん、いやなっても私はかまわんと言う様な事も私は意思表示をしてきた。
だから、だからそのための、私は一年間の修行じゃない。ね、これは私信心どうでもプラスすることのおかげのために、私は一年間行くことを腹を決めたということで、非常に親先生もよろこばれ、行徳先生も喜ばれとる。そうたいたったもう一年じゃけん、親奥さんたちはもう、ほんなごてその中にあんた帰って来る時間がもういくらでもあるから、大祭ちいや帰ってき、夏休みといやあ、一月も帰ってこられる。
だからもうこっちでもうおもうことなかち、いう、もう大変喜ばれとる、やっぱその喜ばれるのを聞いて、何かさみしかったんですけれどね、実は。ほんとに、あんたが一年おらんなら、信者の方たちが大変難儀をされるだろうけど、困られるだろうけど、ここはひとつ辛抱して、まあ、行かなければ、他のところの手前もあるけんどというような風に聞きたかったんです、私は本当言うたら。
なぜって親ですからねえ善導寺の。ところがなんです、私がそう言う様な意思表示をして帰って来たとたんに、足がまた悪うなったんですから、ね、皆さんもご承知だったでしょうか丁度半年前に、ね、秋のご本部大祭にお参りさせて頂いて、あの時は非常に悪かった。私は下から上までおんぶして皆んな上る位だった奥城には。そしたらその御祈念さして頂く時に、杖を持ってゆけというお知らせを頂いた。
御祈念座を立たして頂くときには、足がもう軽快、軽くなっておった。もう走っているように私の足は、おかげ頂いておった。それから半年間もう、本当にスッキリ足がしたように思うておかげを頂いておった。ところがです意思表示をして、帰ってからとたんに足が悪うなって、まあ今日もやっと立っておりますけれども、帰ってからすぐ、久冨先生に足を揉んで頂きながらです、どうしたことだろう。
神様はもう杖を置いていっても良い、杖はいらんとまで言うて下さってから、半年間ほんとうに、起ころうともしなかったこの足が、またこんなに悪くなるのは、どういうことだろうかと、私は、思わせて頂いたらとたんに、ご心願にです。あれはエジプトですかねえ、ピラミッドと一緒に有名でありますスフィンクスというのが御座いますでしょう、あの巨人です、ね、あれをご心願にいただきましてね。
巨人、巨人を実証する、今だと言う様な意味の様な事を頂きました。私しのこの足が悪いのは巨人ち、いうことは偉大な人ということだと私は思います。大きな人だという意味だと思います。人が誰が何というてもです、さあああせにゃいかん、まあこれは私のこれは曲解かもしれません。邪推かも知れません。ね、けども私を一年間御本部にやるということはです、「ね」、それは堂々と、私が教会を持てるためのことではなくてです、一年間私がいなかったらです、行徳先生もおっしゃってられましたです。
以前に、椛目のところがあった、一年間教師の資格をとるために、御本部にいった、帰ってきたときにはもう信者は影も形もなかった、その先生自身が行方不明になっておられるというような事実を、四国に、そういう事実があったことを、私は、聞かせて頂いた。皆さんも聞かれたでしょうが。だから、だからこそやられんのだといったような時代がありました、もう7~8年も前の話だったでしょうか。ね、いうならば、彼等の虚心のためだと、いうふうに、邪推しても良いような感じが致しますですね。
それでも私しは、今私のはんの決まっておる事はそうなんですけれどもです、ま、神様の思いというのはです、お前が足が痛いとか、頭が悪いとかというのもです、お前の都合であるのではなくて、神の都合で足が立たんごつなった、頭が悪くなったりするのである。どうでしょう、頭がわるくなったり、足が立たなくなったり、さああと一年後に御本部に行こうといったっていけんじゃないですか。
神様がやるとおっしゃらいけるのであり、やらんという腹を決めなさりゃ、神様はどう、私を御本部にやんなさる筈は絶対にないと私はおもうですね。そのことをきいてから、わたしは、その御理解を頂いてから思いましたんです。ね、皆さん私はこんな例を取らして頂いてるのは今朝のご理解、大人は巨人にならなきゃいけないということ、( ? )大きな私にならにゃいけん、どういうあちらのいわば人情がです。
何事にも様々な本当に私のことを思うて、御本部に行けという人もあるかと思うと、中には虚勢のために、それはそんなことこういう言葉で行徳先生が今度、仰いました。これは、何といったて皆んなのねたみ、ねたみがこういう結果になるです、いつまでも椛目が教会になられんのは、皆のねたみが原因だということを、はっきり仰いました。私が聞いておる範囲だけでもそうだということをハッキリいうておられます。
だから、皆のおかげを受けるくらいにです、椛目で事実おかげ受けておるということが有難い。「ね」、けれどもそういうことをこちらで、信心でやらせて頂くということは、私は、人間並みでは、夕べの話したことですけれども、人間的に言うたらもう本当に、様々な問題が沢山あるんです。まあ一例をあげますとです、今度、桜井先生を善導寺の親先生にお願いしてから、向こうに連れて帰ってもらったことなんかの、これは荒戸の若先生が言われたことです。
大坪さんが桜井先生をその、帰して来たのは教師の時代は、もう利用するしこ利用してから、もう教師を取り上げたということになった、とたんに椛目が桜井先生に対して、冷淡になったと言うことをいうくらいです。もう実に心外も心外もお話にならない事でしょうが。それをハッキリ聞いて来とるもんですから、末永さんがあんまり腹立ちまぎれに、その藤原さんとこに、いうていっとる時に秋永先生が一緒に行って、その話を昨日末永さんもやっぱそのことを、昨日う見えとりましたがいうてられます。ね、
ですから人間的に言うたら、もうお話にならない事なんですけれども、そこをやはり大きくならしてもらい、それをおかげの元にし例えば、椛目の場合過去15年の事を振り返ってみましてもです。どげん考えても普通じゃないなと言う様な難儀の中にですたい、それが度々に、おかげを受けてきているという事実がある事で御座いますもんね。ですからお互いが信心にならなければならない、いうならお互いが一人一人が、総代になり幹部にならしてもらい、奉修委員になったような気持ちでです。
この度の事はおかげを頂いていって下さらなければ、本当の意味合いにおいてのスムーズさは、出て来ないんだと私は思います。又神様の働きも頂き難いと思います。どうぞ皆さんがです私の様な者にという所のお道の信心ぶりは、それは私は自分の身自分というものを、孔孟の歌舞伎におかなければいけないという事、神恩のの重さと責任の重大さとというものをです、私はその羽根のそえに例えて皆さん考えてみて下さい。
でなかったら、気持ちのよいような、いわばバトミントンですかねえ、いわゆる追い羽根というようなああゆう軽快なです、働きいわば気持ちを有難く、元気で御用が出来るということはありません。心に何かの一物、ね、あれがしよるこつは知らん、あれが責任だからといったようなことでは、なくてです。ね、総代になった気持ちでです、もう端々のことに至るまで、ね、心を込めさせて頂いて、持たしていただくところの信心が、椛目全体の上に言えるのではなかろうかと。
(音声はここで終わり 話はまだ続きそうな感じ)